2020年10月 3日 (土)

十六夜(いざよい)

今年(2020年)は101日が十五夜だったので、当然今晩が十六夜(いざよい)。
熱いお茶をポットに入れて、屋上でひととき。
雲間に見え隠れする月は明るく、しっかりと影を落とす。
昼間は汗ばむほどだったのに、夜はかなり肌寒いから、
小さなカップのジャスミン緑茶はあっという間に冷める。
ようやく香り始めた金木犀と十六夜の月の光は、
なんというか、心の奥底を懐かしくくすぐるのです。

「次の夜から欠ける満月より 14番目の月が1番好き」

と、松任谷由実は、満月に向かう十四夜(待ち宵月)に悲しい恋の予感を歌ったけれど、新月に向かって欠け始めた十六夜の月に、今日の僕はどんな運命を見れば良いのだろう?

いざよいは躊躇い。
闇の始まりを松尾芭蕉は切なく歌い、紫式部は夕顔の揺れる心を露にした。

でも、今僕が感じるのは、ただ流れる時間。
雲も流れ、月もゆっくり傾(かたぶ)く。

いや、今はそれで良いのだと思う。

 

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2020年9月23日 (水)

つらつらとたまご

久しぶりに、本当に何十年ぶりに、茹で卵を作りました。
僕の知識では、

・水から茹でる
・卵は常温にしておく

と記憶していたのですが、

・お湯から茹でる
・冷蔵庫から出して冷たいまま

が良いという話を聞きました…

要するに、茹で初めに温度差があった方が殻と白身がセパレートしやすいんだと。
さらに、茹でる前に画鋲的なピンで底に小さな穴をあけておくともっとうまくいくそうです。

試してみると…
なるほど、圧倒的に剥きやすい!

ところが、前記の茹で方の方が良い、という人もいるようで。
その方が茹で時間が短縮できる、そうなのですが…
「冷蔵庫から出したら室温になるまで10分程度待つと良い」
…う~ん、その時間がもったいない気がします…
「茹で上がったらすぐ冷水に。急激な温度差で剥きやすくなる」
試してみたところ、剥きやすいさはやはりお湯から茹でる方に軍配が上がります。
ま、好みの問題ですね。
味の違いなんてなさそうだし。

たまごは「物価の優等生」と言われます。
消費者物価指数はこの50年ほぼ横ばい。
飼料価格や需要の変化、景気や経済動向等の中でほぼ一定だなんて、すごいです。

僕が子供のころは「卵は一日一個まで」と言われていました。
贅沢だから?コレステロール値が上がるから?
確かにコレステロール値は上がるので、やみくもに食べるのは体に悪そうですが、一日1.5~2個程度ならむしろ体によさそうです。

なんで突然たまごの話?
筋トレとダイエットをはじめたので、意識的にプロテインを摂りたかったのです。
で、茹で卵とかささみ料理とかを積極的に食べている、というワケで。
4月から17kgやせました(*^_^*)

ちなみに、「ゆでたまご」「うでたまご」どちらでもOK。
古来、「うでる」という読みはごく普通に使っていたようです。
また「ゆ」の発音については地域差・地方差もあるようでなかなか興味深いところ。

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2020年9月22日 (火)

秋風の吹く

しばらく甘いものを我慢して、久しぶりにチョコなんて食べたりすると、その甘さ、美味しさに身震いする。

何の話かって?
感受性の話。

ミュージカル「家なき子」の中にこんな歌詞がある。

「いつも朝はひとかけらのパン 夕食は塩とジャガイモだけ 
 でも今日は~♪」

清貧の母子がごくたまに口にできるごちそうのパンケーキについて歌う。
今の僕らにとってごくありふれた、小麦粉と卵とバター。
主人公レミたちにとって、それはもう大変なごちそうなのだ。
宮川彬良さんのメロディは、嬉しくってもったいなくって、少しずつ確かめるように準備をして、時々顔を見合わせてはつい笑みがこぼれてしまう、そんな慎ましい喜びを歌わせてくれる。(作詞は「襟裳岬」等でも知られる、岡本まさみさん)

日々の忙しさの中で、空を見上げることも忘れ、夢を見ることも忘れ、刺激に慣れ、濃い味に慣れ、つい当たり前のことのように思えてしまう。
水も空気も命も音楽も、そこにあること自体が奇跡のようなものなのに。

感性を磨くのと感受性を高めるのとはちょっと違う。
しかし、感受性なくして感性は膨らまない。
「慣れ」はそのアンテナの感度を鈍らせてしまう。

だんだんと色濃くなっていく秋。
空の高さに、匂いに、音に、風の肌触りに、明日の予感に。

心のセンサーの感度は高く持ち、しかし因習と慣習の中に埋もれぬよう、新たな日々の音を感じ続ける。
それだけは大切にしておきたい。

…ちなみに、チョコは毎日食べてます。

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2020年9月17日 (木)

オカリナは土の音

今年(2020年)春
仕事でご一緒したオカリナ奏者の小山京子さんに薦められて購入したオカリナ「吟」
Ocarina 職人さんが淡路島の土で一本一本手作りする逸品。
値は張るけれど、ずっしりとした金属のような重厚感、ブレのない吹奏感(いや、素人なんですが…)、半年待った甲斐があるというものです。

オカリナはすごく古くからある楽器…
のように思えて、実は今の形に近くなったのは150年ほど前。
でもその起源はきっともっと古いのでしょうね。
その原型は4000年前のマヤ文明のころからあったとか。

ビール瓶の口を吹いて音を出すのとほぼ同じ発音原理。
入った空気の逃げ道のない壺のような形。
そこで起きる共鳴を利用しているワケです。

※「ヘルムホルム共鳴」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%84%E5%85%B1%E9%B3%B4%E5%99%A8

その音色は、素朴で暖かく感じます。

そもそも「音色」とは。。。

すごく簡単に言えば、音高やヴォリュームとは違う、感覚的変化のこと。
そしてそれは「含まれる倍音によって決まる」のです。
その含まれる倍音を作り出すのは、楽器の形状だったり、共鳴方法だったり、発音方法だったり、それを決定付ける材質の違いだったり…まぁ、いろいろです。

むかし学生時代、「音のサンプリングを録る」というアルバイトをやったことがあります。
シンセサイザーで人工的に音を作り出すための資料、ということでした。
(実際にサンプリング音源としても使われたようですが)
その時に参加したみんなでオシロスコープを見ながらいろいろと教わりました。
波形の種類や倍音列の話やフーリエ変換の話…
そして、楽器の音色の変化は含まれる倍音によってきまる、という驚き。

ほとんどの楽器には複雑に、そして多くの整数倍音が含まれていました。
(クラリネットには奇数倍音しか含まれていませんでした!)
それぞれに特徴や癖があり、また刻々と変化するのです。

倍音を全く含まない音、「純音」(正弦波)
はシンセサイザーや音叉では出せますが、生の楽器ではそんな音はありません。
無機質でボーっとした音です。
ところが、尺八の方がワザを見せてくれたのです。

色々な楽器や人の声では意識的に倍音の構成を変える(=音色を変える)ことが可能です。
口琴やホーミー、ディジルドゥなどでは「音色旋律」的な使われ方もしますよね。
尺八ももちろんそうなのですが、時に「整数倍音以外の音」も強制的に混ぜたりするのです。
いわゆる、ホワイトノイズのように。
そしてその方はもう一つ、倍音を減らしていくのもやって見せてくれたのです。

結果は驚くべきものでした。
上部の倍音からどんどん減っていき、とうとうほとんど基音だけになったのです。
つまりは、純音!
その音はフルートのようでもあり、オカリナのようでもあったのです。

オカリナの倍音編成はわからないのですが、もしかしたら他の楽器より倍音列が純音に近いのかもしれません。
また、そもそも「ヘルムホルツ共鳴」というものは、決まった共振周波数を持っているわけですから、それに近い構造のオカリナがその音色に近いのは当然なのかもしれません。

いずれにせよ、オカリナの音色には言いようのない魅力があります。
ソロでもアンサンブルでも、客席に染み渡ります。
不思議なのは、それほど大きな音の出る楽器ではないのに、600人程度収容の中ホールでも病院のロビーでも家の居間でも、隅々まで届くように響き渡ること。
この小さな楽器が世界中で愛されているのは、きっとその音色によるところが大きいのでしょう。

そして、オカリナを手にして最初に吹くのは?
コンドルは飛んでいく?シルクロード?時のオカリナ?トトロ?

いえいえ、キャプテンハーロック「まゆのテーマ」です。

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2020年9月15日 (火)

忘れられない?みんなのうた

忘れられない曲がある。
自分の人生を変えた思い出の曲もいくつもある。
けれど僕には、
「思い出せない、忘れられない歌」
が1曲ある。

NHKの超長寿番組「みんなのうた」
子供のころ、テレビにかじりついてこの番組を楽しみにしていた…という所まではいかなかったが、流れてくるメロディに心を奪われ、遊びや用事の手を休めて見入ったり(聴き入ったり)することは多々あった。
そんな中で、号泣してしまい、「僕はこの曲のことを一生忘れないぞ!」と誓った曲がある。
ところが…
今現在思い出せないのである…
あんなに涙を流し、心に焼き付けたというのに…

その曲の存在を思い出したのは、ずいぶん大人になってから。
「ああ、そういえば…」とは思いつつ、いずれ思い出すもしくは再び出会う日もあらぁな、と少し調べる程度で放置。
それでも、何年かに一度はその曲を想ってきた。

今思い出せる情報は、「鳩の映像」だったこと。
それも実写ではなく、アニメーション。
セル画を撮影するタイプのものではなく、切り絵のようなデザインが幾何学的に動くもの、だったような気がする。
ところが、肝心の音楽の方が全く思い出せない。
涙を流して感動し、強く心に刻み込まれたのは確かなのに…

元来、僕は自分の記憶力というものに自信がない。
特に人の名前と顔などはなかなか記憶に残らない。
テレビのタレントですらそうなのだ。
ところが、数字や記号になるとおかしなくらい覚えていたりする。
電話番号や車のナンバー、小惑星のナンバーや元素の周期律表などなど…
円周率も100桁以上空で言えた。
音楽に関してもその記憶力は発揮された。
試しに交響詩「海」やチャイコの4番のスコアを書いてみたりしたこともあった。(指揮者ならみんなできるのかもしれないが…)
だが、件の曲だけはどうしても、これっぽっちも出てこない。
ただその時の雰囲気、というかイメージが鳩のデザインとともにぼんやり浮かぶだけなのだ。
そして子供心に誓ったあの思いだけ…

おそらく小学校の低学年だった。
場所は自宅…かもしれないが鎌倉の祖母の家だったかもしれない。
いま、ネットの力を借りて情報を探してみて驚いた。
1961年に始まったこの番組、1983年以前の映像と音は、ほとんどアーカイブされていないのだという。
つまり資料からこの曲を探し出すことはほとんど不可能になってしまったようだ。

2020年の今、考える。
果たして、今その音楽と映像に邂逅して、その時の感動が蘇るだろうか?
もしかしたら出会っても気が付かないかもしれない。
自分の中で美化、或いは変容しているかもしれない。

この先、その曲を探すことはもう二度とないと思う。
だがあの時の確かな感動は心にしっかり焼き付いている。
そのときの想いはきっと僕の中で、すでに血となり肉となり骨となっている。
だからもうすでの僕の音楽の一部となっている、と思うのです。

でも、
もう一度、会いたい。

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2020年9月12日 (土)

チョコに恋して

チョコレートが好きである。

大人のチョコ、ブラックチョコ、カカオの濃~いチョコ、は苦手。
トリュフチョコ、生チョコ、抹茶チョコ、ちょい苦手。

好きなチョコ。
ハーシーズキスチョコ、キットカット、トブラローネ、デメルのソリッドチョコ、ポッキー、きのこの山(”きのこの山派”である)、ゴディバのプレートチョコ、紗々、明治アーモンドチョコ、M&M's、アポロ、チョコベビー、ガーナ板チョコ、リンツのプレート、フェレロロシェ、ロイスのピュアチョコ、チョココーン、ロッテチョコパイ、チョコフレーク、クリスプチョコ、明治マカダミアチョコ、ビックリマンチョコ、六花亭ストロベリーチョコ(ホワイト)、ネロのオランジェット、ギリアンのシェルチョコ、高野のフルーツチョコ、でん六ピーナッツチョコ、ミルキーウェイ、スニッカーズ・・・
まだまだありそうだけれど…とりあえずほぼ好きな順。

20年以上前、インターネットが盛んになり始めたころ、自分でホームページを作った。
そこで「好きなチョコレートランキング」なるものを作って詳しい感想や解説もしていた。
堂々一位は「キットカット」
そして、たまたまページを見たネスレ広報の方から連絡を頂き、「宣伝の御礼」と称してたくさんキットカットを頂いた。
有名漫画家が作品中に商品を出すと、そのものが届く…という噂は聞いていたが、まさか自分の小さなホームページで…と、当時飛び上がって喜んだ。
たまたま偶然と幸運が重なって、なのは重々承知。
しばらく地方で試験的に発売する新製品のモニターなどもさせていただいたが、今は昔。

義理の妹に「美味しいショコラティエのお店があるよ」と聞いて出かけたのは八王子「コンデトライ」。
トリュフが主軸の品ぞろえ。
トリュフチョコは苦手…と言いつつ、やはり旨いものは旨い。
ただし、たくさんは食べられない…
ここに限らないが、専門店に行くと必ず迷いに迷う。
それはバーで、「今日は4杯だけ」と決めて、飲む順番や酒を考え抜いて計算して注文するのに似ている。

ところで、僕の大阪での定宿は北浜。
北浜で見つけたカカオティエ「ゴカン」はまさに夢の御殿。
ショウウインドウに並べられたチョコはまさに宝石。
店員さんは全員正装で、高価な貴金属を扱うがごとくチョコのケースを開く(あくまでも僕の個人的な感想です)
必ず訪れてもらいたいのが2階のサロン。
昔懐かしいカフェスタイルだが食事もできる。
ここの「ビーフシチュー」は何が何でも食すべし。
カカオと無花果のデミグラソース。
チョコ好きならば、東京からでも行く価値あり(*^_^*)

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2020年9月11日 (金)

カジムヌガタイ、或いは「キララ」南の島の雪女

かじむぬがたい
「風の物語」
てぃだむぬがたい
「太陽の物語」
ふしむぬがたい
「星の物語」

大切な人に、何の恩返しも出来ぬまま一年が経った。
北海道出身で、東京でも活躍し、うちなんちゅとして生涯を終えたその人。
いまはなかなか島に渡ることさえ簡単にはいかない…

僕が初めて沖縄に行ったのは1980年。
沖縄返還が1972年5月15日だから、まだ10年経っていない、そんなころ。
それからほぼ毎年、訪沖しているが、今年はどうにもままならない。
お盆もとうとう過ぎてしまった(今年の沖縄のお盆は8/31~9/2だった)

その人とお会いしたのは1990年。
僕はまだ指揮者などとは呼べない、何も知らないただの小僧だった。
師匠が指揮をする沖縄オリジナルの創作オペラに、副指揮として無理やり参加させてもらったのだ。
交通費と宿泊費は出していただいたものの、ギャラは無し。
朝はホテルで食事できたが、昼めしと夜めしは自費。
金のない僕は、昼は抜くことが多く、夜は朝食でくすねたパンやジャム。
時に運が良い日は、地元の方たちや先生たちにごちそうになることもあった。

沖縄本島での最終稽古の後、那覇、名護、etc...数か所を回って公演した。
オーケストラピット初稼働のホールもあったりしてアクシデントや面白いエピソードもあったが、旅公演はおおむね順調で楽しかった。
名護での本番の夜、作曲、演出、指揮、の諸先生方とともに、協力者でもあった今帰仁焼きの陶芸家の先生の家での宴の末席に入れていただいた。
仄かに昼間の温度を残した東屋で、泡盛を酌み交わしながら見事な今帰仁焼きの大皿に豪快に盛られた戻り鰹のタタキを食した。
気持ちの良い風が吹き抜け、月が明るく照り、宴もたけなわの頃、陶匠の先生が同席した男性に声をかけた。
「おい、なんか弾いてくれよ」
その男性は実はクラシックのギタリストだという。
何処からともなく陶匠が持ってきたギターはフォークギターでそれも弦が1,2本切れていた。
しばらくチューニングしてからおもむろに弾き始めたのは・・・アルベニス「入り江のざわめき」
(僕はこの曲を知らなかったので、その場では、一音も逃すまい、と記憶して後に曲名を探し出した)
月と星と風と酒と音楽と…
涙が止まらなかった。

時は遡るが、那覇で行われていた稽古のある日。
皆は昼飯を食べに街に出て行ったが僕は稽古場に残っていた。
楽譜の準備がある、ようなことを言い訳したような気がするが、要は金がなかったのだ。
水道水を腹いっぱい飲んで…なんて思っていたら声をかけられた。
「お金貸すよ」
その人は知っていた。
見るに見かねて声をかけた、というわけだ。
だが僕は断った。
「大丈夫です」

まあ、ばつが悪かったのもあるが、ただカッコつけていたのだと思う。
だがその人は数日たってもう一度声をかけてきた。
「夜、ホテルで時間があるならば頼みたい仕事があるんだ」

それは「写譜」だった。
弦楽アンサンブル(だったように思う)のスコアからパート譜を起こしてほしい、というのだ。
僕は言われるままに数日かけて写譜をして、そして2万円ほどのギャラを頂いた。
その時もうすうす気づいていた。
今ならはっきりわかる。
金もないくせに頑なにカッコつけるガキに助け舟を出してくれたのだ。

全公演が終了し、大きな打ち上げが終わった翌日。
師匠を含む東京組の帰京を見送った後僕は一人で、余ったお金で一泊し本島のあちこちを回った。
結果的にはさらにもう一泊し、現地の人に厄介になり、おばあとおじいに一晩かけてたくさんの「うちなーむぬがたい」を聞くことになるのだが、それはまた別のお話。

時は過ぎて、2018年。
僕は意を決してその人に連絡を取った。
一人前の指揮者になってからご恩返しをしたい、と思っていたのだが、いつまでも、きっとずっと僕は半人前。
そろそろきちんとご挨拶を、と思ったのだ。
驚きながらも快くお会いしていただいた。
那覇のホテルで昼食をご一緒しながら、僕は堰を切ったように話をした。
そして、あの時の2万円をお返ししたい、というと悪戯っぽく笑って、
「そんなもんいらねぇよ」
と切り捨てた。

いつかあのオペラを再演したいし、何かでご一緒して、一緒に音楽をやりたい。
僕のアイディアや夢も並べ、その人の話もたくさん聞いた。
その後、なんと奈良で僕も良く出演させていただいているホールで、万葉を題材にしたオペラもプロデュースしているのを知り、ますます共演の予感に喜んでいたのに…

中村透先生。
オペラ「キララ」
いつか必ず再演します。

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ペチカ

 

屋上でできる焚火セットを買ったので、時々炎を見ながら思いにふける。
寒くなったらスープやココアが美味しいに違いない…

北原白秋と山田耕筰のコンビで1924年(僕はよくよくこの年に縁があるらしい…)の「満州唱歌集」で発表された、『ペチカ』
ペチカとはロシア式の暖炉のこと。

雪の降る夜は 楽しいペチカ

ペチカもえろよお話しましょ

昔々の…

燃えろよペチカ

雪の閉ざされた暗い夜。
家族でペチカのある部屋で明るく過ごす。
お話しながら…

子供心にほんのり温かい風景を想像して憧れたものです。
我が家でも夕食後、家族でトランプをしながらいろんな話をしました。
パソコンやゲームもなく、テレビも消して。(ラジオから音楽ぐらいは流れてたかな?)

ヒトは炎を見ていると心が落ち着く、とよく聞きます。
「太古の記憶が遺伝子に残っているからだ」とか「1/fの揺らぎが心地よいのだ」とか「マイナスイオンを浴びる」等々、言われていますが、その真偽のほどは定かではなく。(特にマイナスイオンなんて…謎)
心理学的にも、波の音などと同じくリラックス効果があり、脳のアルファ波を引き出す効果は確かにあるようです。

理屈はともあれ、
満天の星の下、ゆっくりと流れる時空が、
心地よいのです。

 

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2020年9月 9日 (水)

Ballet Mechanique バレエ・メカニック

フェルナン・レジェの「バレエ・メカニック」を観る。
実は美術館の展示で見るのは生まれて初めて。
※参考 https://www.youtube.com/watch?v=wi53TfeqgWM

1924年の作品(!!)
(僕は1924年頃の音楽に一方ならぬ思い入れがある。…別述)
ジョージ・アンタイルが音楽を担当、とあるがアンタイルの作品リストでは1926年の作品とされている。
それも、コンサート作品として作曲された、とあるので詳細をもう少し調べたい。

僕が「バレエ・メカニック」を初めて知ったのは、まずアンタイルの音楽から。

Ballet-machanique-sample
※参考 https://www.youtube.com/watch?v=58H0hC96zDg

ストラヴィンスキーの影響強い音楽。
けれども、もっとマチエール(素材感、筆致)の浮かび上がるような音楽。
キュビズムでもあり、フォービズムとも思える。
レジェははじめ印象派と目されていたのだから、そこもとても興味深い。

僕が「バレエ・メカニック」に魅かれるのは、一つの問いに端を発している。

それは、

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」

。。。。。

2008年に作曲した「シュレーディンガーの猫」
これはもちろん有名な量子物理学の思考実験「シュレーディンガーの猫」を題材としているが、重要なテーマは上記の問いから始まっている。
簡単に言えば、「ミクロとマクロ、矛盾と可能性」
言い換えると「機械も恋をするのか?」ということ。

人間の体は素粒子でできている。
素粒子は一定の確率(角度)で運動するのみで、そこには意思もプログラムもない。
つまり、すべては偶然の結果なのである。
これが『ミクロ』
(「ラプラスの悪魔」はこの角度をすべて知ることができる=未来がわかっている、という)

その素粒子が集まって人の体を作る。
脳も。
その脳で人は考え、行動し、愛を語る。
これが『マクロ』

ならば、機械であるアンドロイドも電気羊の夢を見るのだろうか…

。。。。。

「バレエ・メカニック」は大きな影響を様々なアーチストに与え続けている。

坂本龍一も同名の曲を発表し、ポップな音楽の中に不思議な擬音によるリズム等、アンタイルの影響を標榜している。
近年では米津玄師のアルバムにも似た手法を垣間見ることができる。
アニメ「エウレカ・セブン」でも同名の回で重要な意味を持っている。
全50話の中でも特別に感動的で絶妙な回である。

津原泰水は同名のSF小説を書いた。
昏睡状態の少女の脳内のシュールの幻想は、筒井康隆の「パプリカ」も思わせる。
(ちなみに筒井康隆の代表作「時をかける少女」は1967年の作品!)

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は1968年発表のP.K.ディックの小説。
僕は映画「ブレードランナー」で初めて接したのだが、アンドロイドの自我と悲しみに驚いた。

確率で動いているだけのはずの素粒子が集まって人の形を成して愛を語る。
ならばアンドロイドも愛を知るかもしれないし、
確率、或いは偶然の運動に見える宇宙の営みも、もっともっと大きな視点で見れば、意志ある愛の産物なのかもしれない。

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2020年9月 8日 (火)

モネとマティス

  Img_e3538

モネとマティスを見る。
同じ場所で。

クロード・モネ
言わずと知れた印象派を代表する画家のひとり。
ジヴェルニーの庭園で多く描かれた睡蓮のシリーズは200点以上に及ぶ。

アンリ・マティス
フォービズムで名を馳せた、モネより少し若い世代の画家。
僕は2004年、サンクト・ペテルスブルクに長く滞在した際(プロコフィエフ国際指揮者コンクール)、エルミタージュ美術館で「ダンスⅡ」を観るのを楽しみにしていたが、日本での個展のために不在であり、大変残念な思いをした…
ちなみに、ヒンデミットの「画家マティス」で描かれているのは全くの別人。

今回は箱根での「楽園」にまつわる展示。
マティスは絵画に「楽園」を見たし、モネはジヴェルニーで「楽園」を手に入れた。
「楽園」に二人の接点を見た企画展だった。
しかし、作風はもちろんだが、今現在の僕が感じるものには大きな隔たりがあった。

僕は印象派の作品が好きだ。
だが、印象派に限らないのだが、強く惹かれる絵にはほぼ共通の感覚がある。
それは、「時間」或いは「刻」

。。。。。

モネの描く世界。
一見、瞬間を切り出された刹那のようで、その実そこには流れる時間が封じ込められている。
風に揺れる樹々しかり、染まり往く茜色の空しかり。
緑に輝く草原に映る雲の影も、また静寂の水面に映る睡蓮でさえも。
制作にかかる長い時間、画家は一瞬の刹那を想いながらもその時間すらも縫い込んでいくに違いない。

マティスが描く世界は、
まさにその一瞬を銀塩に写し取ったように、静止した時間がそこにある。
もしその絵を動かすならば、少しずつ変化させた絵を並べて撮影し、コマ送りで流す。
つまり、アニメーションの一コマであるように感じられるのだ。
フォービズムの特徴ともいえる、力強い線と簡略集約し強調された画面が時を止める。

もちろん良し悪しではないし好き嫌いではない。

だが、展示の後半で並べられた二人の後年の作品。
互いに全く逆の印象だったのが、不思議に面白くてならない。

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