刹那のとき、悠久の時の流れの中で
音楽は一期一会。
録音された音や、録画された演奏会を見聞きする時だって、すべてが一期一会。
そのときの自分、自分を取り巻くすべて、自分を構成する沢山の時間たち、全部一瞬たりとも同じものはないから。
刹那とは極短い時間、儚い瞬間の事を指す。
短い音楽の中に、長い時間の描写をしてしまう音楽もある。
が、一瞬の煌きの間に起こった出来事や変化を訥々と歌い上げる曲もある。
そんな音楽を思うとき、僕は心が緩やかになる。
たとえば・・・
海に太陽が沈む。海は真っ赤な太陽を映し、色はその濃さを増す。水平線と太陽の輪郭が近づくにつれて、次第に境目が曖昧になる。やがて水平線と太陽はお互いに吸い付くように溶け合う。
・・・この瞬間のみを10分の曲にする。
たとえば・・・
愛してやまない女性との長年の恋をとうとう実らせて、ついに彼女を腕に抱く。僕の真剣な眼差しを目の当たりにして彼女は目を閉じる。ゆっくりと唇を近づける僕は彼女の吐息を近くに感じながらここまでのつらく長かった日々を振り返る。今まさに唇が重なり合う・・・
・・・この一瞬を2時間のオペラにする。
僕らは悠久のときの流れの中にいる。
そんな中で刹那の時間をいくつも折り重ねて生きている。
ダイジェストのような想い出を記録するだけでなく、時には深い思索の森の中で刹那の一瞬の中に止まった時間を見つけるのもいい。
そんな音楽もある。
なかなか理解してもらえないかもしれないが、
そんなことを考えたりもするんです。
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