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2008年4月14日 (月)

パチンコにおける日本人の余暇の過ごし方についての一考察

学生の頃はパチンコにはまっていた。
まあ、負けることはほとんど無かったように思う。
しかし、当時の彼女に「パチンコかタバコどちらかやめて」と懇願されて、パチンコをやめた。
それからなんとなくパチンコに興味が戻らぬまま20年以上が過ぎた。

5年ほど前、缶詰で台本を書いていて、煮詰まった僕はなぜかパチンコに手を出した。
そのまま去年の夏まで、回数こそ多くは無いもののパチンコ熱は続いていた。
しかし、そのあまりの非生産性と自分のギャンブル適性の低さに耐えかねて、再び禁パチンコ宣言をした。
決めた日から、ただの1回もパチンコはやっていない。

昔からよく話題に出ることだが、日本人は余暇の過ごし方が下手、らしい。
エコノミックアニマル、とまで言われた日本のサラリーマンたちは、「ハイ、余暇ですよ。有意義に遊びなさい」と言われてもどうしていいのか分からない人が多かったのではないだろうか。
ここで、僕はあるキーワードに着目する。
「日本人はとっても勤勉な種族」であると言うことだ。

休みの日は体を休める。
心も休める。
でも、それだけではなんだかもったいないので、物を作ったり、習い事をしたり、何かにチャレンジして成果を欲しがったりする。
それはそれで素晴しいことで、それでいいんだと思う。
むしろ欧米(特にアメリカ)のまねをして、余裕ぶらなきゃいけない、という方が無理している。
でも、やっぱり、そんな「勤勉さ」から逃れたい場合もある。

パチンコの非生産性。
ギャンブルとして一攫千金を狙えるでもなし、手に職が付くでも無し、情報が得られるでもなし。
その”ムダさ”が、その”無意味さ”が”ラクチン”なのではないだろうか。
でも、そこは勤勉日本人。
みんなで並んでいすに座って、みんな同じ動作で画面に見入って、規則的に打ち出される銀色の球の行方と数字の抽選に一喜一憂する。
そして、苦労に苦労を重ねた先にはご褒美が待っている・・・かもしれない。

まさに、擬似成功体験。
「無駄なことをしている開放感」と「これは生産的行為なんだと言う満足感」を両方味わえる、真に日本人的な遊びではないだろうか。

まあ、これはかなり穿った見方なのかもしれない。
純粋にパチンコと言うゲームを愛している人もいる。
友人の作曲家Mさんは、「パチンコはタバコを吸いに行くところ。タバコを吸って考え事をするにはもってこい」だと言い、タバコをやめた現在、パチンコに行く理由は無くなった、のだそうである。
また、別の友人S君は「僕はそれほど好きではない。でも、絶対に負けないのでお金が欲しい時にのみ、行く」のだそうだ。
本当かどうかは知らないが。

たしかに、大当たりが出ると嬉しい。
なかなか当たらずに、やっとの思いで大当たりを引き当てると、何かを成し得たかのような疑似体験が出来る。
合格発表や、コンクールで選抜されたときのようなあの喜びだ。
それは、本当になかなか普通の人では得がたい喜びに違いない。

でも、それ以上でもそれ以下でもない。
結局僕は、その非生産性に我慢が出来ない「勤勉日本人」なんだろうなぁ・・・

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