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2008年9月10日 (水)

1924

以前にも数度触れたことがあるが、僕はなぜか1924年が気にかかる。

この年、フランスでは夏季(第8回)・冬季(第1回)の両オリンピックが開催されている。
日本の高校野球ではこの年完成した甲子園球場で大会が開催され(第8回)、同時に春の選抜も始まった。(奇しくもオリンピックと同じ回数)

野口雨情と中山晋平のコンビで「あの町この町」「兎のダンス」が発表され話題になる。
<この二人の名作「しゃぼん玉」は僕にとって、音楽を作る上で大きな大きな先生になっています。>

宮沢賢治の「注文の多い料理店」もこの年発表。
<言うまでもなく大きな影響を受けました>
谷崎潤一郎「痴人の愛」発表。
<大変な衝撃を受けた作品です>

プッチーニ、フォーレ、レーニンが死に、團伊玖磨、越路吹雪、阿部公房、ジョージ・ブッシュ、ジミー・カーターらが生まれた年。

イベールの「寄港地」が初演され、オネゲルの「パシフィック231」も大きな話題になる。
<寄港地を演奏する年にはなぜか転機が訪れることが多いのです。それも良い方向に。>

同じくフランスではストラヴィンスキーのプルチネッラが初演され(1922年)ピアノ協奏曲も初演された。
(ピアノ協奏曲はいつか必ず納得いく形で演奏したいと温めている吹奏楽曲で、プルチネッラも僕の人生を変えた曲なんです)

ラヴェルは「ツィガーヌ」を、ヒンデミットは「オケコン」を、プーランクは「牝鹿」、サティは「ルラーシュ」を作曲。
<ツィガーヌは大学時代の思い出。ルラーシュは偶然性の音楽と不規則で無作為な音の音楽と意図ある音楽との認識へ僕の中の大きな指針となりました。牝鹿ではじめて室内楽以外のプーランクを知り大きな衝撃と憧れを抱き、後に「グロリア」への感動へとつながりました。オケコンははじめバルトークと間違えてレコードを手に入れて、聴き込むうちにオケコンへの興味が深まり、コーダイ、ルトスワウスキー、ユン=イサン、ゴッドフリー、と次々スコアを買いあさりました。いつか僕もこの形式で書いてみたい、と野望を持っています> 

バルトーク「舞踏組曲」初演、コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」作曲、ヤナーチェク「シンフォニエッタ」(1926)
<ハーリはなぜか吹奏楽でしか演奏したことがありません。すでに10回近く演奏しています。舞踏組曲は中国の不思議な役人と並んで僕の得意な曲のひとつです。シンフォニエッタは1924年ではありませんが、大学時代全曲のアレンジをはじめて大型五線紙に描いた曲です。>

レスピーギの交響詩「ローマの松」
<この曲も1924年。よくよく縁のある年です。初めて吹奏楽でこの曲を聴き、どの演奏を聴いても納得いかず、いつか自分で満足いく演奏をするんだ!と誓ったのを覚えています。>

ベルクの歌劇「ヴォツェック」
<大学時代、オーケストラにユーフォニアムの登場する曲を探しまくりました。オペラに登場するのは本当に珍しいこと。それもベルクとは…カルチャーショックを受けた楽譜でした>

シベリウス、交響曲6番(1923)、7番(1924)
<6番は作曲家・吉松隆が「自分を作曲家ならしめた曲」とエッセイで書いているのを見て僕も霊感が欲しくて何度も聴き返した曲。僕は結構3番、7番が好き>

同年のアメリカではグロフェ「ミシシッピ組曲」、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」
<同じ年でも国によってずい分違うものです。昔、「ラプソディ…」ではどうしてもソリストと合わせにくいところがあって悩んだものでしたが、オペラ・ミュージカルをいっぱいやったおかげで協奏曲が大好きになりました>

吹奏楽の世界でも、R・シュトラウスのファンファーレや、前出のストラヴィンスキー、V・ウィリアムスの「海の歌」「トッカータ・マルツィアーレ」「イギリス民謡組曲」など。

とにかく、僕に何かと深い影響を与えてくれた曲、大きな転機となった曲、等がよくこの年と関係があったりするのです…

これからもいろいろ関係が見つかりそうな気がする、なぜか不思議な年なのです。

S183 ところで、ここ数年雪山に強く惹かれる僕ですが、本気で冬山登山を考えています。
スキーが好きな理由は山に惹かれる心も大きくあるのだろうとようやく気がついたわけです。
ずーっと気になってるのは「黒部渓谷下廊下」、これは変化球かもしれませんね。
槍も行きたい!滝谷北壁にもチャレンジしたい!穂高ももう一度!
そういえば20代前半の頃西穂高山荘で装備の不備をおばちゃんに叱られたことがあったなぁ…

で、いつかはモンブラン、グランジョイス、ヨセミテの垂壁、グリュンデルヴァルト、シャモニー・・・その他枚挙に暇がありません・・・

そういえば、エベレストの謎のひとつ、「初登頂はマロニー達なのか?」
物議をかもしつつマロニーたちが消息を絶った大英帝国の3度目のエベレスト挑戦も1924年でした。(結局これが言いたかったの・・・)

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