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2009年2月28日 (土)

物に魂は宿るか・・・


オカルト的な物を手放しで信じはしない。
だが、心のどこかでお化けや幽霊も信じている。
信仰は、人の心の弱さが作り出した物だったり、心の依り所を求めた人々の願いから生まれたりする。
それらは時に政治と結びついたり、人が人を統べるための戦略的な道具に使われたりもする。
でもやっぱり、心の奥底で神様や霊魂を信じている自分もいたりする。

何か物を、たとえば人形とか自動車とか、長く大切に使うと魂が宿るような気がする。
使い慣れ、わずかな変化も読みとれるようになり、それが自我を持っているように感じるだけかもしれない。
何かの事象と絡めて、あたかも関連があるように感じているだけかもしれない。
でもたぶん、物に魂は宿らない。

石像や遺跡や人形や、様々な物質にいにしえの思念が宿り、それを感受できる超能力があるという。
その能力のない自分には真偽のほどはわからない。
だが、たとえば村はずれのお地蔵様や、今日のお寺の仏像が何かを語りかけているように感じるときはある。
それはあるときは自分の中からの声だろうし、記憶の中の再現かもしれない。
いや、もちろん本当に魂が宿っているのかもしれないが。

その物たちが過ごしてきた時間、越えてきた歴史、の中にはきっと様々な人々の想いがあったことだろう。
その”想い”に想いを馳せるとき、そこからは声が聞こえてくる。
物に魂は宿らないかもしれないが、想いは確かに宿る、と思うのだ。

と、ここまで分析しておいて、それでも僕の心の中の一部分が叫ぶ。

長く愛し続けた車がある。
僕にはその声が聞こえる。
僕の”想い”がこもったその”物”には、
魂が宿っている、と信じて疑わない。

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