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2009年8月

2009年8月25日 (火)

カジムヌガタイ

カジムヌガタイ

風が伝えるもの

美しい想い出と悲しい記憶と

次の季節の匂い

都会にいると鈍くなるけれど、

そこにもここにもカジムヌガタイはありますね。

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頭痛…

もともと片頭痛持ちのケがあって、
時々ひどい頭痛に悩まされます。

片頭痛の薬も持っているし鎮痛剤もあるから、
それほど困ったことではないんだけど。

突然やってくるから備えがないと大変。
頭痛が来てから1時間治まらないと、吐き気を伴って活動が停止しちゃう。

まあ、原因はいろいろあれど、今日のはたぶん疲れ。
目の疲れとひどい肩コリ。

どっちが先かわわからないけれど、
全部つながってる感じが、小憎らしい。

頭痛持ちなら知らない人のいない「頭痛大学」
頭痛持ちじゃない人ものぞいてみると面白いですよ。

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2009年8月22日 (土)

琉球の風

Sdsc06951 仕事がらみとはいえ久しぶりの沖縄。
実に9年ぶりだ。
自由な時間もわずかながら得られた。

僕がはじめてこの島を訪れたのは1984年。
それからほぼ毎年、数回ずつ訪れていた。
これは「母のお供」であり、免許も持たず無知で蒙昧な子供だった僕では、運転手の役目もボディガードの役目も、盾の役にすら立たなかった。
蹴っ飛ばされたりぶん殴られたりしたなぁ…

1972年に日本に返還なったこの地だが、それから十数年経っていた当時でもアメリカの色は濃く、とても深く残っていた。
その時に学んだこと、直接この目で見てこの耳で聞いて経験したこと、肌で感じた「いまだ続く戦後」は今でも忘れることはできない。

大人になって数回旅行で訪れた。
遊びと共にやはり戦争のことを知りたくていろいろ勉強した。
「どんなに仲良くなっても、やっぱりヤマトンチューはオキャクサマでしかないよ」と言ったタクシーのおじいのセリフは今でも耳に焼きついている。
ショックだったし、何にも知らない自分が恥ずかしかった。

琉球の国にそもそも沖縄なんて名前を付けたのは誰なのか。
勝手に戦争に巻き込んで、勝手に死ぬことを押しつけて、それを当然のようにのたまったのは誰なのか。
みんながきっと未来に持っていたささやかな、喜びや楽しみや感動を奪い取り、踏みにじったのは誰なのか。
それは間違いなく「戦争」であり「ヤマトンチュー」なのだ。

その後何度も仕事やプライベートで訪れている。
その頃の僕は何をするにも未熟で、本当にたくさんの方に教わり、助けていただいた。
お金のない僕に無理やり仕事を作って下さった作曲のN先生をはじめ、ああ、ここではとても書ききれない…

そんなお世話になった方々や、いろいろな知り合いに今回は誰一人としてお会いできなかった。
次回は絶対にその機会を作ろうと思う。
これから訪沖のチャンスが増えるといいのだが…

久しぶりにダイビングやウィンドサーフィンもしたいなぁ…

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2009年8月12日 (水)

今日の衝動買い

義理の妹はただ今イタリアに演奏旅行中です。
5ヶ所でコンチェルトを演奏するそうで…うらやましいなぁ…
で、海外用スーツケースを貸してくれ、と言うので僕が長期滞在時に使用しているやつを貸そうとしましたが、さすがに大き過ぎるということで、国内で使っているのを貸しました。

SAZABYので、とっても使いやすくていい感じ。
軽くて、適度な大きさで、燕尾服も入ります。
(多分ドレス用の畳み具合なんだけど)

ところが、よく考えたら使うんですよ、そのスーツケース。
自分が使うことをすっかり忘れてました。
と言うワケで買っちゃいました。
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これで、特大・大・中・小と揃ってしまいました。
そんなにしょっちゅう使うものじゃないのに…

予告…さ~て、次回の衝動買いは?

@700、とμ(ミュー)タフを買います。
それと、デロンギのアイスクリーム・メイカー欲しい…

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2009年8月11日 (火)

祈り

今年も父と母は広島と長崎に出向いた。
暑く長い一日だったという。
長崎市長は、核保有と思われる国へ、ここへ来て見てほしいとのメッセージを送った。
公式のレスポンスは未だ無いという…

人は忘れる生き物だそうだ。
辛い記憶も楽しい記憶も、だんだん「思い出」になり、
そしてだんだん「思い出さなく」なる。

熱かっただろうに…
痛かっただろうに…
辛かっただろうに…

人が人を殺すという狂気。
誰かに「死んで良い」と思われる理不尽さ。
憎むべきは落とした人間より落とさせた人間だ。
そしてもっと憎むべきは爆弾ではなく、悪意と殺人の意思を落とさせた人間だ。
つまりは日本の先導者たる人間たちだ。

理解できることではない。
認められることではない。
忘れて良いことではない。

6日の朝。
テレビのほとんどはタレントの失踪のニュース。
60年前に何があって、そこから何を反省し学ばなければならないか。
知らないことは「恥」ではなく、「罪」なのだ。

知らなければならない。
考えなければならない。
伝えなければならない。

歴史上は過去のことであっても、今現在この地に生きる我々にとって、そのことは過去ではない。
今もどこかで続き、そして始まろうとしている「狂気」について、今考えなければならない。
この世界は「戦争で得をする人間のもの」ではないから。
「戦争で辛い思いをする」僕らの世界であるから。
そして僕らは「被害者の国」に生まれた、と勘違いしてはいけない。
「加害者の国」でもある、ここに生まれた僕らが、戦争をして良い理由はどこにもない。

思う
想う

20年以上も昔、高校生だった頃に初めて広島を訪ねてから、その後も何度か行く機会がありました。
いろいろ案内して下さった兄弟のおじさん、喧嘩しながらリアルに当時の生活を語ってくれました。
めし(盲)いた目から大粒の涙をボロボロ流しながら“その日”のことを話してくれたおばあちゃん、臨場感があり過ぎて鳥肌を通り越して寒気がしたのを思い出します。

今では皆さんお亡くなりになりました。
でも、話して下さったことは覚えているつもりです。
これからも、なにもできなくても、忘れずに考え続けます。

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2009年8月 8日 (土)

暗譜

「友さんっていつも暗譜で指揮をするのですね。大変ですね」

と時々言われる。
そう、僕は大概の場合暗譜で指揮をする。
暗譜がカッコイイ!と思っているわけでは決してなく、得意なわけでもない。
ただ、譜面を熟読すれば自然に暗譜してしまうし、逆に言えば暗譜するぐらい読めていなければリハーサルも本番も上手くいく気がしない。

それと、何よりスコアをめくるのがとっても下手なのだ。
せっかく音楽がいい流れなのにスコアをめくるために左手を動かしたおかげで台無しにしてしまったこともある。
その「譜面をめくる」と言う事務的動作で、奏者に余計な反応をさせてしまうこともある。
めくりに失敗してページを飛ばしてしまい、聴取の皆さんに悟られぬように巻き戻したこともある。(しっかりばれていたが…)

オペラやミュージカルは違う。
不測の事態に備える意味もあり、一応譜面は指揮台に置いておく。

かの岩城宏之先生は「フォトコピーをするように譜面を頭に写し込む」とエッセイで書いておられた。
僕はどうやらそうではないようで、言わば詩を暗誦するような、或いはストーリーのある絵画を記憶していくような感覚、とでも言おうか…

どんな変拍子の曲だろうが現代曲だろうが長かろうが、そこに音楽の必然があれば暗譜するのは難しいことではない。
ところが、短い曲だとしても音の並び達に理由や魅力を感じないと全然頭に入ってこない。
失礼を恐れずに言えば、「良い曲・魅力のある曲は自然に心に残り、そうでない曲はそれなりに…」と言うことだと思う。
もちろん、“好み”も含めて極めて主観的な話だが。

時々、例外もある。
どうやら僕の中で「うまく記憶装置とかみ合わない曲」っていうのもあるらしい。
そんな「大好きで、素晴らしい曲なのに暗譜に苦労する曲」今のところのBEST3は…

ベートーヴェンの交響曲第7番
バルトークの舞踏組曲
伊福部昭のシンフォニア・タプカーラ

どれも昔から大好きな、複雑な部分の少ないむしろポピュラーな名曲なのに…
共通点を探してみると…ああ、舞曲の要素が強い!
それもグランドオスティナートの感が強い。(舞踏組曲はちょっと違うけれど…)
そのあたりにも理由があるのかな?

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2009年8月 6日 (木)

ああ、夏休み

夏も本番。
世間はなんだか夏休み気分ですね

僕らの仕事には休みはありません。
まあ、毎日がお休みのように見えるかも知れませんが…
でも、たまにはまとめてお休みしてみたいなぁ…

海派か山派か?
子供の頃は「夏と言えば鎌倉の海」でしたから、やっぱり僕は海派かなぁ…
でも、海が当たり前だからこそ山に行くと新鮮な気もするなぁ…

高校生や大学生の頃は夏によく合宿に行きました。
場所は大抵、山の中。
新たな何かが始まりそうなワクワクドキドキ。
今でも時々合宿に参加すると、そのときの気持がよみがえります。

夏の高原や山の上は、やっぱりとっても清々しくって大好きです。
冬にスキーに行く場所が夏には一面緑になっていて、なんだかとっても不思議な感じ。
志賀高原とか上高地とか穂高とか霧ヶ峰とか八ヶ岳とか立山とか…ああ、行きたいなぁ…

海は親しい友人や家族、恋人等と行くことが多いのかも知れません。
だから、山とはちょっと違ったワクワクドキドキ。
その分ホッとする面もあります。
沖縄の海は言わずもがなの素晴らしさだし、湘南や伊豆や千葉の海も「日本の海水浴場」を満喫する楽しさがいっぱい。
その中で僕の一押しは「長者ヶ埼海岸」
相模湾の海岸線を鎌倉から、逗子マリーナを過ぎ、森戸海岸を抜け、葉山御用邸を越すと小さな海岸と鋭く飛び出した岬に着きます。
結構有名な海岸なんだけど、規模が小さいのでかえってあまり混んでいません。

満潮では水没する海岸線が干潮では道となってあらわれ、岬の先まで行けます。
砂浜も磯もあり、ほんのちょっと泳いだ先にある小岩は表面が平らで上陸して遊ぶのにも潜るのにも最適。
昔ながらの海の家の壁には、いまだに「冷コーラー」とか「みそラメーン」とかのメニューが大真面目に貼ってあって情緒満点!
カフェとかマリンショップとか、そんなお洒落なものは一切ありませんが、ここで見る夕陽は本当に素敵です。

なんてダラダラ書いてたら行きたくなっちゃった。
やっぱり僕は「夏は海派、冬は山派、ピアノもヤマハ」
よし、長者ヶ埼に行こう!
休みを決めて仕事を終えて水着やサンダルを買って、
で、ダイエットして…

コネタマ参加中: 夏に行くなら、あなたは海派? 山派?【ココログ選手権】

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心の旅

よく思うのですが、
お金がないなぁ…と思っていると、忘れていたギャラが振り込まれたり、
焼き肉食べたいなぁ…と思っていると、焼き肉に誘われたり、
○○したいなぁ…って思っていると、そんな機会に恵まれたり、
案外願いって叶うものです。
これって楽天的な自分。
でも、なんとなく誰かに守られている気もします。

逆(?)に、
やけに事故を見かけるなぁ…と思っていたら自分も車をぶつけちゃったり、
なんだか足の怪我の話をよく聞くなぁ…と思っていたら自分も足を怪我しちゃったり、
今日はあっちこっちで“すいか”っていう単語をよく聞くなぁ…と思っていたらスイカが3つも届いたり、
良きにつけ悪しきにつけそんなこともあります。
これってなにかの“サイン”?
思い過ごしや思い込みもあるのでしょうが、そんな“サイン”をちょっと気にすることでうまくいくこともあるので、これまたなんだか誰かに助けられている気もします。
虫の知らせ、ってやつ?

僕は無宗教ですし霊感も無いようです。
が、なんとなく目に見えない“何か”は畏れます。
だからそんな助けやサインも、もしかしたらあるのかもしれない…なんて思っています。
ジンクスに近いのかも知れません。
でも、何かのきっかけにちょっと注意を払うのに損はありません。

ここまでは前置き。

最近いろいろ考えていたら、何かのメッセージを携えているかのように唐突に、そして何度も僕の目の前にあらわれた言葉。
一度や二度ではなく。

子曰、学而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方来。不亦楽乎。
人不知而不愠。不亦君子乎。

論語学而編の第一章。
誰かからのメッセージだとしたら…そうだね、そう思う。
学ぶのはたのしく(現在)、友と語らう中に再発見もあり(過去)、真摯に自分の為すべきことに向かう(未来)。
とっても大切なもの。

これまた偶然、なんとなく手にしてなんとなく購入した古い本のなかに、北欧・ノルンの神話の話がありました。
ノルンの三姉妹。
運命の女神、ベルダンディとウルドとスクルド。
それぞれ現在・過去・未来を司る。

そしてまた、歯医者の待合室でなんとなく手にした漫画「サイボーグ009」
その中に出てきたのが“世界樹ユグドラシル”と“運命の三女神”。
三人の女神の名前はベルダンディ・ウルド・スクルド…
もしや、と思って見てみると棚には「あぁっ、女神様」の単行本もずらり。
この漫画の主人公の名前は…、ベルダンディとウルドとスクルド

この偶然、なんだかちょっと怖くも思えます。

まあ、こんな迷い道もいつかはどこかに行き着きます。
「過去」からは学びましょう。
「現在」は一生懸命生きるとしましょう。
「未来」は信じています。

それもこれも、心の旅。

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