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2009年10月

2009年10月27日 (火)

沖縄料理とCD完成

D1000064 昨日は打ち合わせで池袋の沖縄料理のお店へ。
よくある沖縄風料理ではなく、素材からすべて沖縄料理そのもの。
食べ慣れない人には結構驚かれるかもしれない。

料理とお酒と沖縄音楽と踊り。
特に踊りは素晴らしかった。
そして、長年疑問だった沖縄のリズム体系の謎が少し解けて、本当に有意義な夜だった。
三板(さんば)を鳴らして僕も演奏に参加して、一セット頂いた。

今日の話の内容の一つは、CDが出来上がったこと。
このCDについて、少し触れなければならない。

僕は指揮者・作曲家として活動していて、録音の現場には何度も参加している。
おくづけや紹介に名前やプロフィールが載ることもあるが、未だ自分を冠にしたような録音はしていない。
だが、いつかはこだわった演奏で録音を発表したい、とはもちろん思い続けている。
インディーズレーヴェルではなく、メジャーから。

今回のCDは図らずも名前が前面に出てしまった。
それもメジャーレーヴェルである。
しかし、内容が引っ掛かる…

「この不安な時代に、聴くと元気の出る曲で一服の清涼剤を」
というのがコンセプト。
メジャーなのである程度売れなければならないし、クオリティの低いものもですわけにはいかない。
しかし…

一つは演奏について。
編成は金管+打楽器。
最初は演奏の音楽監督という事で引き受けたので、指揮を振るつもりではなかった。
しかし、若手の演奏者で不慣れなため、結局指揮を振って参加することになった。
おそらく今後の日本の音楽シーンには全員が登場するであろう前途有望な若手との演奏はとても楽しく刺激的だった。
お互いプロとして、時間内に想像以上の成果を上げることができたが、それでも編集すると「最高の、こだわりぬいたクオリティ」とは言えない。
ディレクターとプロデューサーにお蔵入り(いわゆるボツ)も進言したが、動き出したメジャーレーヴェル。
そうもいかない、とのこと。

二つ目は収録曲について。
果たして、元気が出る曲、とはなんだろう?
いろいろなアイディア・企画があるだろうが、今回は「若手のプレイヤーでやる」「古い流行歌を取り入れる」というのが根幹にあったようだ。
この「元気の出る古い流行歌」には「軍歌」として使われたものも含まれる。
「若いオリンピック選手の数人が元気の出る曲を聴いて本番に臨んだ。その曲が昔軍歌に使われた曲だった」というのが出発点の一つにもあったらしい。
だが、僕は軍かなんて大っ嫌いだ。
戦争に繋がるもの、戦争に利用されたものなんてまっぴらごめんだ。
しかし、「私たちも戦争賛美なんてするつもりは毛頭ない。むしろ、戦時によくない使われ方をした曲たちの中に埋もれた、元気の出る名曲を掘り出したい」という話を聞いて、妥協点を見出すことができた。
結局、数曲の「元軍歌」と数曲の「流行り歌」そして数曲の新曲を散りばめて録音された。

三つ目は、売れるのか?という疑問。
収録曲も演奏も、これぞ!というインパクトが少ないのではないか?
例えばこの編成でやるならば、楽譜を売ることも視野に入れた新作の紹介や演奏プログラムの提案、だったり、この編成で聴く「ミュージカル名曲」「オペラ名場面」「演歌の花道」「歌謡曲の小歴史」「クラシック名曲選」等々、ターゲットを絞ったほうがいいのではないだろうか、等。
しかし、プロデューサーにはある確信があるようで、実際問い合わせはいくつもすでに寄せられているようである。
僕としては複雑な気持ちを禁じ得ない。

僕としては、オーケストラの録音をガンガンやりたいのが本音。
でも、世に有名オーケストラ+有名指揮者の録音がひしめき合っている中、いきなりど真ん中に食い込むことなんか不可能。
だから、「吹奏楽の、本当にこだわった演奏の録音」「若手奏者をフューチュアリングした近代協奏曲集」「日本の作曲家の特集」等、コアなリスナーをターゲットにしつつ、新たなリスナーも開拓できそうな(興味をひきそうな)企画を盛り込むのが良いのではないか…と思っている。

「これはこれとして出しましょう。そして、西村君のやりたいものも今後どんどん形にしていこう」
という事で、今回はテストケースの意味も含めてリリースが決まった。
これが売れれば次もある。
しかし、僕の近しい人たちにはあまり受けが良くないかもしれない…

まあ、評価・インプレッションは様々あれど、とりあえず聴いていただければ嬉しいな。
僕の作曲も一曲入っています。

まあ、そんなちょっと重い話は最初の小一時間で、後はひたすら夢と希望と、尊敬すべきこの世界の先輩方の驚くべきエピソードであっという間に時間が過ぎて行きます。
そして閉店時間を過ぎても、踊り子さんと店員さんとママと、沖縄談義は果てしなく続いたのでした。

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最後の演奏

演奏会は、いや、練習を含めて、一回一回の演奏全てが最初で最後の演奏だと思うのです。
僕の好きな言葉の一つに「それが何回目の演奏であろうとも、初演のように情熱的で千秋楽のように高いクオリティで」というのがあります。
先日の演奏会はいろんな意味でそれを実感する演奏会でした。

演奏者の多くは大学生。
特に3年生にとっては執行学年を引退するために、これが最後の演奏会である印象も強いようです。
そのモチベーションや意気込みはとっても大事。
そして美しい。
でも、僕にとってはこの演奏会は一つの区切りであるにせよ、最後の演奏会などでは絶対にないのです。

僕は引退や卒業によってそこに残される、或いはいつもそこにあるであろう想い出ではないから。
何かの縁があってここで知り合い音楽の時間を共にして、年は離れていようとも友人であり、仲間であり、ある意味先輩であり、ある意味後輩だと思うのです。
みんなの先生だと思ったことは一度もないし、みんなから教わることもとってもとっても多いから。
だから、この演奏会が一つの区切りにはなろうとも、これからも友人であり、機会があれば一緒に演奏できたらいいな、と思うのです。
卒業とともに想い出のアルバムに綴じられる、青春の1ページの住人にはなりたくない。

だからこそ逆に僕はこの演奏に一期一会の感情をより強く込めるのです。
少なくとも今日この時間、このメンバーとのこの時間は二度と来ないのですから。

この演奏は最後の演奏である。
 そういう意味ではそうなのです。
今日を最後にもう会う事もない。
 そんなことはない。きっとまた一緒に音楽や話ができる。
道は分岐してしまう。
 そう。でも、僕らは同じ時間を歩いている。

今まで本当にどうもありがとう。
そして、これからも友人でいてほしい。

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最後の演奏

演奏会は、いや、練習を含めて、一回一回の演奏全てが最初で最後の演奏だと思うのです。
僕の好きな言葉の一つに「それが何回目の演奏であろうとも、初演のように情熱的で千秋楽のように高いクオリティで」というのがあります。
先日の演奏会はいろんな意味でそれを実感する演奏会でした。

演奏者の多くは大学生。
特に3年生にとっては執行学年を引退するために、これが最後の演奏会である印象も強いようです。
そのモチベーションや意気込みはとっても大事。
そして美しい。
でも、僕にとってはこの演奏会は一つの区切りであるにせよ、最後の演奏会などでは絶対にないのです。

僕は引退や卒業によってそこに残される、或いはいつもそこにあるであろう想い出ではないから。
何かの縁があってここで知り合い音楽の時間を共にして、年は離れていようとも友人であり、仲間であり、ある意味先輩であり、ある意味後輩だと思うのです。
みんなの先生だと思ったことは一度もないし、みんなから教わることもとってもとっても多いから。
だから、この演奏会が一つの区切りにはなろうとも、これからも友人であり、機会があれば一緒に演奏できたらいいな、と思うのです。
卒業とともに想い出のアルバムに綴じられる、青春の1ページの住人にはなりたくない。

だからこそ逆に僕はこの演奏に一期一会の感情をより強く込めるのです。
少なくとも今日この時間、このメンバーとのこの時間は二度と来ないのですから。

この演奏は最後の演奏である。
 そういう意味ではそうなのです。
今日を最後にもう会う事もない。
 そんなことはない。きっとまた一緒に音楽や話ができる。
道は分岐してしまう。
 そう。でも、僕らは同じ時間を歩いている。

今まで本当にどうもありがとう。
そして、これからも友人でいてほしい。

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2009年10月21日 (水)

オリオン座流星群

Sdsc07512 75年ほどの周期で飛来する“ハレー彗星”
そのハレー彗星の塵が地球に降り注ぐことで見られるのが「オリオン座流星群」

別にオリオン座から流星が飛来するわけではありません。
今年は大きめのダストトレイル(塵の塊)にぶち当たるようで、結構派手に流星が見られるようです。

名前からわかるようにオリオン座のちょっと上。
東の空です。
1時間に50個も流れることもあるそうで、ちょっと夜中に見てみました。

!!
見えます!確かに!
よし、カメラで撮ってみよう、というわけで。
三脚も使わずにカメラで撮れるわけないのですが、めんどくさいのでそのまま挑戦してみました。

撮れるわけありません、はい。
でも、悔しいのでぶれないようにしっかり支えておおいぬ座の“シリウス”を撮ってみました。
それなりに幻想的ですよね。

今日あたり極大(たくさん流星が見える)になるようです。
秋の夜長、お暇な方は東の空を眺めてはいかが?

ちなみに11月17,18日ごろは「しし座流星群」が見られるそうです。
今年は観測条件が良いうえに、ダストトレイルの中心を通過する、と言う予報もあり、もしかしたら“流星雨(雨のように流星がいっぱい見れる)”になるかもしれません。

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染まる樹々

ちょっと前になるけれど…

急に思い立って富士五合目まで行ってきました。
さすがにまだ紅葉には早い…と思ったら結構色づいていてびっくり。

普段から「紅葉よりも緑に息吹く春から夏の樹々が好き」
と言ってはばからない僕ですが、嫌いなわけではありません。
「紅葉狩り」なる行楽に興味がないだけでむしろ季節の変化を感じられる山々の変化は大好き。
ちなみに、真冬の寒々しい景色だって。

せっかくなので名物「噴火カレー」をば頂きました。
Sdsc07505
「…これってもしや…?」

そう、気付いたあなたはマニアです。
これは「開運ハヤシライス」
一人きりの注文にもかかわらず、「噴火カレー」の形にしてくれたんだそうな。

味は…まあ、普通でしたよ

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2009年10月19日 (月)

今日の他愛のない出来事

それは、次のリハへの移動中、近道をするために細い抜け道を運転中でした。

右側には森、というよりは雑木林が広がっています。
ゴミの不法投棄が多いためか有刺鉄線が張ってあり、立ち入り禁止の立て札もあります。

突然!
森の中から5,6人の迷彩服の男が僕の車の前に飛び出しました。
大層なヘルメットと、手には銃を持っています!

「ク、クーデター!?」
男たちに車を囲まれ…と思いきや、
「すみませ~ん」的な笑顔をこちらに向けつつ、小走りに男たちは去って行きました。

想像するに、彼らは“サバイバルゲーム”でもやっていたマニア集団ではないか、と。
立ち入り禁止区域で遊んでいたため誰かに怒られてあわてて逃げたように見えました。

ドキッとした一瞬にいろんなこと想像してしまいました。

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2009年10月17日 (土)

貫徹?完徹?

急いで書き上げなければいけない楽譜が数曲。
何日にどこまで進めなければいけないか結構綿密にスケジュールを立てて臨んでいたのです。
そのうち数曲が思っていたよりも順調に進んだので、ついのんびりしていたら非常事態に!

降り番だったはずのライオン・キングに急遽乗ることになり、いっぺんに余裕がなくなりました。
というわけで完全徹夜(=完徹)です。

まったく眠らないで48時間以上。
やればできるものですね。
でも…

もう…

限界…

ぐぅ…

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2009年10月10日 (土)

秋の香り

台風が行ったら自宅近所の金木犀の香りが強くなった。
雨か風で花がたくさん咲いたのか、それとも散った花たちの残した香りなのか。

僕らが子供の頃は金木犀の香りと言えばトイレの芳香剤の定番。
現在の芳香剤は匂いでごまかすものより、匂いの元を科学的に弱めるほうが主体らしく匂いは二次的な扱いだそうです。

今の子たちはラベンダーのほうがトイレの印象が強いようです。
北海道のラベンダー畑で「トイレみたいで気持ちいい!」と言った子がいたとか。

僕にとっての秋は、“音”で始まり、“香り”で深まり、“味わい”とともに冬へと移りゆきます。
そして冬は、“香りで始まり”、“味わい”で深まり、“音”を最後に春へとバトンタッチします。

それぞれ何だか、は秘密。
わかります?

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2009年10月 9日 (金)

お気に入り

D1000062 最近これが好き。

ご飯の上にゴーヤチャンプルーを乗せた、その名も「ゴーヤチャンプルー丼」

横はちゃんと煮て淹れた麦茶と、午後ティー微糖アップルピーチ。
豆腐と豚肉と卵とゴーヤの、本場のとはちょっと違った所謂、内地風ゴーヤチャンプルー。

う~ん、今日も野菜が足りない…

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2009年10月 7日 (水)

雨の朝

雨音に気づいて起きたらもう10時過ぎだった。
昨日人の死に接していろいろ考えちゃったせいか、朝方まで眠れなかった。

昨日停滞してしまった仕事たちを今日は少しでも進めなければならない。
早く起きなければ…

ちょっと肌寒くて、ベッドの中で布団にくるまったらなんだか気持よくってもう一度うとうとしてしまった。
ハッとして起きたらもう昼前…

ええい!と開き直ってもう午前中はサボり。
シャワー浴びてコーヒー淹れてお昼作って屋上で雨の中朝昼飯。
D1000060 作ったのはカリカリベーコン+半熟目玉焼き。
これをご飯の上に乗っけて目玉焼き丼。

胡椒は粗めに挽いてたっぷり、塩はこだわりのイタリア海塩。
それだけで別物のように美味しい。

誰に習ったのか忘れちゃったけど、簡単で美味しいお気に入り手抜きご飯。

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北富士忍草

昨日はお世話になった方の通夜に出席するために富士吉田に行ってきた。
子供のころよく遊んでもらった、というか、いじってもらった。
大きくなってからお会いしても、気さくに子供のころのように接してれるおばちゃんだった。

肝っ玉母ちゃんというか、とにかく親分肌で面倒見がよく、気風(きっぷ)がよすぎて子供のころにはちょっと怖いくらいだった。
東京にも時々講演で来ていたが、会うときは大抵モンペに菅笠で、遠くからでもでっかい声で人懐っこく呼んでくれる。
でも、やっぱりおばちゃんは死ぬまで闘士だった。

北富士には長い闘争の歴史がある。
戦後の駐留軍との生きる権利をめぐる闘争から戦いを受け継いで、入会権などを勝ち取ったのは女性たち、このおばちゃんたちだった。
すさまじい権力や自衛隊の妨害や暴力にも耐え抜き、ただただ家族と平和に暮らせる故郷を取り返そうとしたおばちゃんたちには本当に感服する。

リーダーのおばちゃんの死によってこの戦いがどこに向かうのかは分からない。

だが、「人助けの練習」ではなく「人殺しの練習」が今も北富士で続いている。

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2009年10月 6日 (火)

寿司の嫌いなお寿司屋さん

僕が思うに、
「作曲をする」という事は、9割が発信で1割が受信。
(ちなみに、今たとえで使っている“受信・発信”というのは「聴く・喋る」という具体的な入出を指すのではなく、精神的な受能のこと)

「楽譜を読む」という事は、はじめて読むときは8割が受信で2割が発信。
やがて読み込むにつれ、8割発信の2割受信に移り行く。
「(リハの)指揮をする」という事は8割発信の8割受信。

矛盾するようだけど、受信と発信で別々の能力を駆使するのでそうなります。。
僕の場合は自分の中に二つの役割が別々に存在するのです。
「なんで受信10割発信10割じゃないの?」
いや、もちろんそれが理想なのですが、お互い少し影響を受けて連動しちゃうわけで…
で、「本番の指揮をする」時には9割が発信で1割が受信。
まあ人によって言い方も感じ方も違うでしょうからこの話はここまで。
で、何が言いたいかというと。

「では、編曲をするという事は?」

日本語の“編曲”という言葉には、英語の“アレンジ(Arrange)”という意味と“トランスクリプション(Transcription)”という意味の両方を含む。
“アレンジ”は「別のものに変更する」意味が強く、“トランスクリプション”は「写す(移す)、置き換える」意味が強いのです。
つまりアレンジにはクリエイティブな作業が多く含まれ、トランスクリプションにはそれが少ないのです。

編曲には目的によって様々な形があります。
・ピアノを使って作曲した曲をオーケストレーションする。
・メロディと和音から一つの楽曲に完成させる。
・オーケストラの名曲をピアノで楽しめるように簡略化する。
・歌曲を器楽曲に変更する。
・管弦楽曲を吹奏楽に改変する。
等々…

それぞれ多かれ少なかれクリエイティブな要素を含むでしょう。
アイディアだったり工夫だったりひらめきだったり。
でも共通して言えるのは「作曲の能力がない者には編曲はできない」ということ。
トランスクリプションの要素が強ければ、知識と経験の能力だけでも編曲は可能でしょう。
でも作曲家がする編曲には、それがどんな目的にせよ、いや目的があるからこそもっとクリエイティブに能動的に作られているのです。

「名曲を簡単に演奏するために原曲の対旋律を省略」
「良い響きを追求するために原曲の構成を単純化」
「楽器編成が少なくなるので色彩感を犠牲に」
「演奏者の実力に合わせてリズムを簡略化」
等をしなければいけない編曲の場面もあるでしょう。
そんな中でも作曲家は「それをしなければいけない理由」を明確に持ち、「その編曲の目的」を確実に目指しているのです。

閑話休題、
世の中には「寿司な嫌いなお寿司屋さん」や「オーボエの吹けないリード職人」、「子供嫌いの保育士さん」、「お菓子の作れない老舗菓子店店主」もいらっしゃいます。
だから、「作曲のできない編曲家」もいるのかもしれません。
でも、「どうせなら寿司が大好きなお寿司屋さんのにぎるお寿司を食べたいなぁ」と思うのは僕だけでしょうか…?

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2009年10月 2日 (金)

秋の雨

今週は楽譜を書いたり読んだりする機会が多く、ちょっと頭が疲れ気味。
コーヒーを飲みながら煙草でも吸おうか、と屋上に行くとそこは雨。

夕刻にはちょっと早いと思ったけれど雨空で薄暗く、時折通る自動車と屋根にあたる雨音だけの静かな世界。

「熊野の雨は下から降る」って聞いたことがある。
実際に見たことはないけれど、熊野古道を描いた絵が頭に浮かぶ。
その絵は雨で煙る熊野古道がひっそりと描かれていて、木々に遮られた雨粒は下に落ちて、霧のように石畳から立ち上っていた。
そんなことを思い出す。

一面真っ白だと思っていた雲に、良く見ると少し切れ間があって青空がのぞいている。
逝ってしまった夏のかけらのようでなんだかさみしいけれど、とっても綺麗。

さて、もうひと頑張りしようかね。

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2009年10月 1日 (木)

交響曲

僕は作曲家ではないけれど、作曲するのが大好きです。
人から作曲を依頼されたときに出す条件はただ一つ。

「どんなに“変な曲~”と感じても、とりあえず誉めてください。そして、気に入らないなら僕の知らないところで捨てるなりお蔵入りにするなりお好きにしてください」

だから、自由に書かせてもらいます。
まあ、場合にもよりますけど。

日々指揮者として楽譜を読んでいるといろんなことが蓄積されていきます。
まあ、有名作曲家に無料でレッスンを受けているようなものです。
で、今まで挑戦したことはないけれどいつかは書いて見たい曲、というのがあります。
それは「交響曲」

ハイドンとモーツァルトが近代交響曲への扉を叩き、ベートーヴェンが一つの金字塔を打ち立て、その後もブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、グラズノフ、シベリウス、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ドボルザーク…名作が次々に生み出されてきました。
どんな作曲家でも一度は必ず通る道(結果、書かずとも)それが「交響曲」、と言っても決して過言では無いでしょう。

今とっても書きたいテーマがあるんです。
書く時間も余裕もないのは重々承知していて、だからすぐに描けるはずもなく、じっくりいつか書きたい、と願っているのです。
例えるなら、「試験前日に、切羽詰まっているにもかかわらず部屋の掃除をはじめちゃう」みたいな?

主題は6つ。
一つは粗削りで若々しくて、平凡だけど誠実なメロディ。どのテーマとも関連をもちつつその完成を高めていくメインテーマ。
二つ目は溢れかえらんばかりの才気に満ちて美しく、そしてどこか儚く、しかし短いフレーズの中に強い意志とエネルギーを秘めているメロディ。
三つ目はどこか破天荒で、無造作に見えてカッコよく、しかし裏腹に折れそうな弱さと繊細さも見せるメロディ。
四つ目は人の目に触れずに育った、妖精のように美しいメロディ。無邪気で、愛と喜びに満ちた夢見る乙女のように。だが他のテーマと関わって変化を見せる。
五つ目は誠実で真面目で理路整然とした優しさをもったメロディ。根底にある愛を感じさせるテーマ。どの主題と絡んでも本質は変化しない。
六つ目は支え見守る大人のようで、しかし静かな大きい情熱で第二テーマに関わるメロディ。

すべてのテーマが初期的な出会いを果たすⅠ楽章。
1→2、2→3、3→2、4→5、とそれぞれが時には優しく、時には哀しく愛をうたうⅡ楽章。
メインテーマが、初めのどこか頼りなげで行き先の定まらない不安定さから、変化を繰り返しながら一つの答えへとたどり着くスケルツォのⅢ楽章。
直面する重い事象、悩みと別離、失い壊れるもの。
そして、再び邂逅するすべてのテーマ。
何かを得るために何かを失う辛さ、出会いと別れ、未来のために過去を捨てる勇気。

そんな、どこか懐かしいような感動を「交響曲」という音楽にしてみたいんです。
題名も決まっています。
「????交響曲」

冗談めかして言っていますが、
いつかきっと本気で書いて見ようと思います。

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経年劣化

「ああ、俺も歳をとったなぁ…」
と感じることはまったく、いや、ほとんどありません。

「えぇ~?十分おっさんですよ?」
という声も聞こえてきそうですが…
本当にそう感じたことはないんです。

だから、まだまだやらなきゃならない事がたくさんある。
やりたい事がたくさんある。
なりたい自分にもなれていないし、まだまだ道の途中で、旅の途中。

結婚なんてまだまだ先だと思っていたんです。
もっと、何か人に誇れるものを一つでも持ってからじゃないとダメな気がして…

でも、まあ、まったく感じないわけではないです。
例えば…
指揮台の上ではなったウィットに富んだジョークがダダ滑りになったときに、何とも言えないスベリの快感を感じるようになっちゃった事とか?
「ああ、これが世間一般で言うおやじギャグなのかも…」

で、「ああ、俺も歳を…」につながるわけですが、やはりこれは経年から来る劣化ではなく、経験からくる進歩なのだ、という事です

ブログネタ: 年を取ったなと感じるのはどんなとき?参加数

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