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2009年10月 6日 (火)

寿司の嫌いなお寿司屋さん

僕が思うに、
「作曲をする」という事は、9割が発信で1割が受信。
(ちなみに、今たとえで使っている“受信・発信”というのは「聴く・喋る」という具体的な入出を指すのではなく、精神的な受能のこと)

「楽譜を読む」という事は、はじめて読むときは8割が受信で2割が発信。
やがて読み込むにつれ、8割発信の2割受信に移り行く。
「(リハの)指揮をする」という事は8割発信の8割受信。

矛盾するようだけど、受信と発信で別々の能力を駆使するのでそうなります。。
僕の場合は自分の中に二つの役割が別々に存在するのです。
「なんで受信10割発信10割じゃないの?」
いや、もちろんそれが理想なのですが、お互い少し影響を受けて連動しちゃうわけで…
で、「本番の指揮をする」時には9割が発信で1割が受信。
まあ人によって言い方も感じ方も違うでしょうからこの話はここまで。
で、何が言いたいかというと。

「では、編曲をするという事は?」

日本語の“編曲”という言葉には、英語の“アレンジ(Arrange)”という意味と“トランスクリプション(Transcription)”という意味の両方を含む。
“アレンジ”は「別のものに変更する」意味が強く、“トランスクリプション”は「写す(移す)、置き換える」意味が強いのです。
つまりアレンジにはクリエイティブな作業が多く含まれ、トランスクリプションにはそれが少ないのです。

編曲には目的によって様々な形があります。
・ピアノを使って作曲した曲をオーケストレーションする。
・メロディと和音から一つの楽曲に完成させる。
・オーケストラの名曲をピアノで楽しめるように簡略化する。
・歌曲を器楽曲に変更する。
・管弦楽曲を吹奏楽に改変する。
等々…

それぞれ多かれ少なかれクリエイティブな要素を含むでしょう。
アイディアだったり工夫だったりひらめきだったり。
でも共通して言えるのは「作曲の能力がない者には編曲はできない」ということ。
トランスクリプションの要素が強ければ、知識と経験の能力だけでも編曲は可能でしょう。
でも作曲家がする編曲には、それがどんな目的にせよ、いや目的があるからこそもっとクリエイティブに能動的に作られているのです。

「名曲を簡単に演奏するために原曲の対旋律を省略」
「良い響きを追求するために原曲の構成を単純化」
「楽器編成が少なくなるので色彩感を犠牲に」
「演奏者の実力に合わせてリズムを簡略化」
等をしなければいけない編曲の場面もあるでしょう。
そんな中でも作曲家は「それをしなければいけない理由」を明確に持ち、「その編曲の目的」を確実に目指しているのです。

閑話休題、
世の中には「寿司な嫌いなお寿司屋さん」や「オーボエの吹けないリード職人」、「子供嫌いの保育士さん」、「お菓子の作れない老舗菓子店店主」もいらっしゃいます。
だから、「作曲のできない編曲家」もいるのかもしれません。
でも、「どうせなら寿司が大好きなお寿司屋さんのにぎるお寿司を食べたいなぁ」と思うのは僕だけでしょうか…?

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