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2009年12月 1日 (火)

新世界交響楽

セロ弾きのゴーシュが、自分の所属する金星音楽団の演奏会で弾いたのは第六交響曲。
練習中指揮者にずいぶん苛められたけれど、ちいさな協力者のおかげで成長とともに認められて、最後にはアンコールでたった一人で1曲弾いちゃう。
頑張れば必ず認められる、というような説法くさい話ではなく、なんだかもう少し切なく優しいお話だと、僕は思っています。

「…その粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪をこぼしましたが…」
というくだりがなぜかとっても心にしみて、読むたびに今でも僕も泪が出るのです。

「第六交響曲」というのはベートーヴェンの「田園交響曲」のことではあるまいか、というのがもっぱらの読み方。
多分そうなんでしょうね。
でもなぜだか、ドヴォルザークの「新世界交響曲」のような気もするのです。

同じ宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中にははっきり「新世界交響楽」が流れます。
「新世界交響楽だわ」の一言だけだけれど。
1893年に作曲したこの曲が日本で初演されたのは1920年のこと。
日本でもずいぶんヒットしたようであちこちで演奏されたようですから、この初演を賢治が聴いたのかどうか分かりませんが、とにかく賢治はこの曲に大きな感動をしたようです。
銀河鉄道の夜の最初の稿が書かれたのが1924年ですから、かなりタイムリーなネタだったに違いありません。

子供のころから繰り返し聴いたドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」
大好きな曲のひとつでした。
「ボヘミア的な要素」だの「黒人霊歌のイディオムが入っている」だの「アメリカの古い民謡に取材している」だの「故郷にあてた手紙である」だの…と言った情報より前に聴きこんでいたので僕の中ではもっと純粋に、“ドヴォルザークの書きたかったもの”としてインプリンティングされています。

昔から愛用(?)しているスコアは全音の出版。
オイレンブルグのスコアと中身が全く同じです。
古いカルマスのスコアも持っていますが、これもほとんど同じです。
で、最近ドヴォルザークの原稿のフォトコピーをもとに改訂されたスコアが出たようなので買ってみました。

ザーッと読んでいて三楽章、ダ・カーポで繰り返され、そこから先はコーダの譜面。
…のはず…
でも、なんか違う!
「低弦がトレモロでだーっと出る感じは同じなんだけど音が違う!
すわ!原稿からの新発見か新解釈で新しい演奏があるのか?
木管群はメロディの断片をやってるし。
…って、これって見たことある譜面だぞ…?」
落ち着いてよく見てみるとページ数がおかしい。
124ページの次が129ページ…
なんてことはない、落丁でした。
交換してもらって一件落着。
でも、この新カルマス版、ほんとに新発見があって必見です。

以前宮沢賢治記念館を訪れた際、彼の愛用したセロをさわらせてもらいました。
まったくの偶然ですが、僕の愛用のチェロ、「ゴーシュ」という名前の楽器なのです。

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