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2009年12月 4日 (金)

交響曲第1番

語ります。

ラフマニノフの交響曲第1番を聴いた。
プレトニョフ指揮のロシアナショナル。
この曲を聴くのは初めてではないが、今回スコアも初めて手に入れてじっくり聴いた。

初々しくて新鮮。
言葉を換えれば、少々粗野で深みに欠ける気がする。
ボロディンの交響曲からの影響も強く感じる。
でも、立派な交響曲だし、ラフマニノフのオリジナルの創造力はかしこに見られ、好き嫌いこそあれ才気溢れる1曲だと思う。

ピアノコンチェルト第1番や歌劇『アレコ』等の成功もあり、未来を約束されたかのように認められていたラフマニノフ。
その彼が自信を持って1895年に作曲し1897年に初演されたのが「交響曲第1番」
初演の評判は惨憺たるものだった。
初演の指揮者グラズノフの問題が大きい、とする逸話も残っているが真偽のほどはわからない。
とにかく様々な酷評を受けラフマニノフはこの曲を破棄してしまう。
その後1947年にパート譜が発見され、そこからスコアが立ち上げられると、今日では演奏の機会を得られる交響曲のレパートリーの一つとなっている。

この初演の悲惨な失敗があった後、ラフマニノフは精神的に追い詰められて作曲ができなくなってしまう。
が、催眠療法を用いたダール博士によって彼の心も解きほぐされて数年後には作曲を再開する。
そして発表したピアノコンチェルト第2番は大成功を収め、彼のもっとも人気のある代表作になった。

作曲家・ピアノソリスト・指揮者として活躍するラフマニノフは1918年以降アメリカに移り住む。
そのまま死ぬまで2度と故郷のロシアには帰れなかった。
そして、客地で書いた最後の大きな作品が「交響的舞曲」作品45(この後も、編曲等小さな作品はある)
これだけ著名な作品が多い作曲家なのに最後の作品ナンバーが45なのに驚かされる。

故郷や自分の人生を想って書いたのは間違いない。
自分の「死」についても意識していたようだし、自身「最後の作品かもしれない」と言う思いもあったようだ。
1楽章ではロシアの大地を想わせる力強いリズムオスティナート、短い周期で歌う美しいメロディに郷愁の念を感じるし、3楽章ではスコアに「ハレルヤ」の文字と「主よ、あなたに感謝します」との辞もある。
自ら最高の作品であると言ってはばからない。

その1楽章の最後、主題の再現が終わった後に突然短いコラールが現れる。
そのコラールこそが交響曲第1番の第1主題。
自分を苦悩の底に引き込んだあの交響曲の!
このコラールの後、メロディとリズムは急に激しさを失い、優しく語りかけるようになる。

この曲が作曲された当時は交響曲第1番の譜面はどこにもないし録音もない。
だから「交響的舞曲」が初演で絶賛されたときにも、後に頻繁に演奏されるようになっても初めは誰も気がつかなかった。
今あらためて交響曲第1番を聴くと、そのメロディの変化に驚く。
40年以上経ってラフマニノフの中でどんな変化があったのだろうか?

自分の未来を信じ、初めての交響曲として全力で作曲した第1番。
その冒頭に現れる第1主題。
どれだけ考え抜いて作り上げたのか。
或る意味全楽章・全曲を通じての太い柱である第1主題。
それをすべて破棄した時の絶望と嘆き。
誰に伝えるでもなく、最後の作品にそれを登場させるラフマニノフの「心」について想うとき、得も言われぬ霊感に触れる。

交響曲の時とは全く違う和音と語法。
何を想って書いたんだろう?
いつか本人に聞いて見たい。

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