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2010年2月

2010年2月23日 (火)

迷走するサラバンド その3

さて、「迷走するサラバンド」を読んでいます。

4分半ほどのこの曲は、あえてシンプルな素材(メロディや和声のフィギュア)を使って簡素に、そしてオーソドックスな手法を用いることによって、一つの素材「サラバンド」が他の要素と融合する様が明瞭に映し出されています。

《短い序奏~急速な主部①~緩やかな中間部~急速な主部②~短い後奏》の所謂三部形式と見ることができます。
書き込まれた内容の濃さと、急速な展開から考えてもう少し細かく構造を書き出してみると、《序奏~主部①(A-B-A)~中間部(C-C)~主部②(B’-A’)~後奏》、となります。
それぞれのパーツ間には関係性と融合と影響が見られますが、非常に簡潔な構造です。主部の中で「A」に戻るときには必ずテンポアップを含んだ発展をしますし、大楽節の間には必ず経過句を含みます。また冒頭の二重奏は主部②の前にも楽器を換えて模倣します。特に、主部①の最後に現れる中間部への経過句(Grave)は特別な意味を持っている、と言えます。主部②の最後にも現れ「Epilogue」の役割も担っていますが、主部との関連性に注目すると最後の(Grave)は後奏とは呼べないのかもしれません。だとするとこの曲の後奏は最後のピッコロの一小節だけ、という事になります。この重要なフィギュアは序奏で提示された後様々な荒波をくぐりぬけてここまでたどり着きました。そして、きっとまだ続いていくのです。
実際にはGraveに入ると、序奏で提示された素材がすぐ絡み合ってきますから、この部分を「後奏」とみて差支えはないと思います。
しかし、もう一つ違った見方をすると、主部②はそれ自体が「展開部」と言えると思うのです。ソナタ形式等の展開部では主題の扱いのほかにも調性によく特徴が現れます。今日そう言ったセオリーはもちろん絶対的規範となるわけではないのですが、「なぜそれが生まれたのか?」という問いへの答えを探すときそこにはやはり必然ともいえるものを感じることがあるのも事実です。
さて、展開部でよくみられる調性の特徴は「近親調への転調」です。古典的なソナタで一番よく見られるのは五度上の調、つまり属調への転調でしょう。この主部②は主部①における「B」と言える部分から始まりますのでここでは明確な調性を限定することはあまり意味がありません。が、「A’」にははっきりとg mollで戻ってきます。これは主部①とまったく同じ調です。着目すべきはGraveです。主部①でのGraveは支配音“D”によるC.T.(Chord Theme)(D7b5…"b"は“♭”に読み替えて下さい)でしたが、ここでは支配音“A♭”によるC.T. (Ab7b5)です。つまりは主部①に対して五度上の関係なのです。それも「減五度」。作曲者は明らかに調の関係性を浮き彫りにしています。それが何を意味するのか?そこに何を見出すのか?「終焉と蘇生」という表題の裏に、それとはまた別の何かが脈打っているような気がしてならないのです。

まあ、それはそれとして、中間部以降を読んでみましょう。

(F)~
直前の和音はCb11。構成音は下からDes-F-As-(D)-Gです。(Dは省略されています)。Gは本来ならGesなのですが上方に変位されています。この和音はもちろんドミナントとして機能していますので通常ならGes(或いはFis)に解決しますがちょっと変化球でEs durに解決します。特別な音“G”を保留して、また高音の上行形ではFisに導音的役割を匂わせて“G音“を印象付けています。メロディラインはすぐ“D”に移行しますが、この音、サラバンドのリズムアクセントの位置である二拍目ですから印象は強くなります。そしてEs durの主和音Ebのメジャーセブンス(EbM7)です。とってもメロウに美しく響きます。コード進行はEbM7-Abm6/Eb-Eb-(Eb#5)が最初の4小節で、後半4小節はEbM7-Abm6/Eb-Ebです。つまり和音から見るespressivoの頂点はどちらも2小節目(。IV+6)。メロディラインは1小節目にアクセントをつけるべく作られていますから自然に融合させるも良し、少し強調するも良し。でも、和音は常に主音がいますからあまりおおげさな抑揚は違和感を生んでしまうでしょうね。ちなみにこの二つの小楽節をつなぐのがEb#5、つまり主和音のオーギュメントです。その特異音(Eup. Fag.)を上手に使えばこの4小節の繰り返しが、意味のある8小節フレーズへと完成するでしょう。単なる繰り返しにせず8小節のフレーズをきちんと作るのは常識。だけど、日本人が「楽譜から読み取れない」とよく指摘される部分でもあります。それにしてもオブリガードとメロディとの対比はいろんな観点(リズムの融合、和声の変遷、音程によるメロディラインのアナリーゼ等々…)から見てこんなシンプルなのに完璧!見習いたいものです。

(G)~
先ほどこの曲の構造について触れた時、中間部は(C-C)としか書きませんでしたが、もっと細かく言うと(F)~がCの前半、(G)~がCの後半、(H)~がC’の前半、(I)~がC’の後半。こんなに細かく分解する必要ももないんだけれど細かく練習番号が付いているのでせっかくだから細かく見ちゃいます。
ここからはCの後半と言う事になりますが、さらに初めの4小節と続く8小節とで2分割。初めの4小節はC-F-B-Ebと、V-Iの連続、5度進行です。和音はCm7-Fm7-Bbm7-Ebで一般的な進行です…と思いきやちょっといたずらあり。2・4小節目では第7音が後倚音して6の和音になります。で、この音は次の先取りや経過音になっていて、言わば転調の連続を柔らかく繋いでいます。古いシャンソンの匂いがして素敵ですよね。導音が無い分なんだか素朴な感じがします。違う時代のものが同時にそこにあるような、古くて新しい不思議な感覚の部分です。
続く8小節間もなかなか面白いところです。メロディは2小節、そしてもう2小節、抑揚を掛け合いながら進展して次の2小節ではオブリガードも合体して一緒にCresc.に転じて、最後の2小節ではドミナントを形成してEs durへと圧倒的な全奏を作り上げています。低音部の音形にはヘミオラの形を見ることができますが和声的にもリズム的にもヘミオラは形成されていません。が、強調することでそれらしい効果は上がると思います。ただ、最後の2小節ではBbm/Dbの倚音(A-Bb)の解決がヘミオラになっていてそのアプローチには一役買うかもしれません。最後の2小節、ベースはヘミオラではなくなっていますが、1小節目で前述の倚音が、2小節目ではベースのサラバンドのリズムが、それぞれ結局ヘミオラの位置にアクセントを与えてヘミオラを形成してると言えます。でも、それよりもサラバンドのメロディの掛け合いとしてこの8小節を作り上げるほうがシンプルで効果的だと思います。ちょっとこの8小節の和音を簡略化して書いてみましょう。
Fig10_2
1小節~2小節、3~4、5~6は同じ進行です。主和音から見る第5音上方変位の増和音を経過和音として(曲中ではメロディの構成音ですが)同主短和音へ。一種の刺繍和音です。そして6の音(上記譜には書いてありませんが…)を経過音として短3度上にあがって同じ動きを続けます。主音はEs-Ges-Aと変化していきますがその音程は短3度。その進行に減3和音(ディミニッシュ)の響きを見つけることもできます。6小節目の最後には偶成的にD7を経過してBbm/Dbへ、そしてAbm+6(。IV+6)へ到達します。この六の和音、中間部の大きな特徴ですね。(上記譜で7・8小節目に表示されているコードネームは演奏上は間違いではありませんが機能の上からは違います)
小さな抑揚を繰り返し強奏の(H)に向かいますが、直情短絡に繰り返すのはタブー。全体としてのsempre cresc.を損なわないように効果をあげるべきですね。ストレットのかけ具合によって(H)の前の“タメ”の量が変わります。ストレットの量を増やせばその分そこには“タメ”が生じるわけです。このストレットなく(H)の前を単にrit.するのは愚の骨頂。

(H)~
(F)と同じ構成ですが決定的に違うのはそのヴォリューム。2・4小節目も(F)では持続音だった低音が和音のルートを演奏していますのでより一層アクセント感が強調されます。ここで考えなければいけないのが作曲家の意図。(F)も同じですが、四小節のカデンツを二つ組み合わせたのがこの8小節。8小節全体として(F)との対比と中間部の頂点を印象付けなければなりません。だから、3・4小節目ではdim.はするものの、全体の中の抑揚として処理するのが普通。ですが楽譜からは4小節目のはっきりとしたdim.と準備のないf(フォルテ)による4小節フレーズの強調が見てとれます。fで始まり、cresc.してdim.して再度fにて…と言うわけではないようです。しかし音楽はこの8小節が一つの頂点としての構成を持っています。作曲者の意図を表現してなおかつ全体の音楽を仕上げるには思ったよりもオーケストラの技量が必要です。きついアタックと減衰音による音塊をいくらぶつけてもこの部分は成立しないでしょう。

(I)~
一旦波が引いた後一気にクライマックスです。低音はcesですがEb aug/Cbととらえて先に進みます。2小節目はAbm+6でサブドミナント。この和音(。IV+6)はセオリーでは直接主和音へ解決します(ここまでずーっとそうでした)ので、ここでも3小節目で今まで通り解決!…とは行かず所謂「解決の引き延ばし」が劇的に描かれます。すなわち低音は主音に解決しているのに上声はAbm+46(。IV+4+6)にわずかに(Es-D)変化します。この“しぶろく”の和音、その前の六の和音と同じくサブドミナントです。が、ここはドミナント「根音省略第9音下方変位の属9の和音(Bb b9)」へ進んだ、と見たほうがより主和音への解決がはっきり感じられます。バッハのフーガの終結部などにも時折見られる手法ですね。ということは自ずから音楽の表現は決まります。しかし、それに反する強弱が書き込まれています。ということは通常よりも強烈な印象が現れる!と言うことです。と言うことは!?…全体を俯瞰で見ての、或いは他の部分との関係性から見ての、意味付けと表現が必ずこの曲の面白さをさらに引き出すことでしょう。
限定進行音をきれいに扱う事でより一層サウンド感が上がれば、音量に頼らずに、続く2重奏が対比されるでしょうね。このサラバンドの主題はここまでの音楽を受けて変容されています。フレーズが4小節目に入るのを利用して主部②へ突入します。

つづく…

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2010年2月21日 (日)

迷走するサラバンド その2

作曲者は、
「・・・その歌や踊りが長い歴史の中で…(中略)…徐々に変質しつつ進化した軌跡を表現しようと試みた・・・」(スコア序文より抜粋)
と言っています。
「サラバンド」が実際にどんな民族によって創造され、どんな時代のどんな喜びや悲しみを反映し、どんな文化を吸収し、どんな流れに翻弄され、そしてどこに行きついたのか、を4分半の中であまねく、そしてつぶさに語ることは難しいでしょう。
それよりも「それを歌って踊った人間たち」の苦悩や想いに思いを馳せ、その一端を抽象的に描いたのではないか、と想像しています。
(これからこの曲を読んでいくうちにまた印象も変わるでしょう。また新たな発見や思い違いもあるかもしれません。あくまで僕個人の“第一印象”、です)

冒頭はd mollで典型的なサラバンドのモチーフで始まります。T.Sax.とB.Sax.の掛け合いで始めるなんてなかなか洒落てますね。同音(D)から始められ、4小節のテーマ(Theme1)が流れます。B.Sax.の音形はD-E-F-G…と続く音階の形ですが、主和音Dm(I)と同主長調からのS和音(+II(+IV))のカデンツによる伴奏です。ヘミオラの要素も感じられます。1小節目の2拍目にはサラバンドの特徴のアクセントがありますが作曲者は2小節目のほうにアクセント感を求めています。中間部(F)の1小節目との違いを意識するのか、それとも統合するのか、狙いはどこにありや!?音程の感覚もフレーズの感覚もごく自然ですが、次の4小節目!
本来ここはdim.で落ち着いて半終始、或いは終止、と行きたいところですが、出てくる和音はEs-A-D。いきなりEs-Aで減5の音程の洗礼です。そして、その音を半音で修飾する、呻きのような動き。更にD音の上下に刺繍してのたうつようなCla.の動き。これらはいずれ来る苦悩への「予感」に思えると同時に、この曲の重要なモチーフであり、この後も幾度となく登場します。
ここは今までの流れを断ち切るかのような音楽(3小節目のdim.を打ち消すかのような)が肝心。音量以上に、音楽的には強いアクセントです。ちなみにEs-Dの7度の音程は実は中間部のEs durに聴こえるEbM7(Es-G-B-D)の明るい響きへの予感も秘めているのかもしれません。(この後コードネームの“b”は“♭”と読み替えてください)
5小節目からはTheme1の後半。d moll主音(D)に戻ります。前半とは異なりテーマも予感に呼応するかのようにcresc.を伴って8小節目へ入ります。
8小節目は「不安」の減5度音程(As-D)から始まる二つの律線が、半音上下を縫うような先ほどのモチーフを用いてリフレインします。これに掛け合いで現れるA.Sax. Cla. Fl. のフレーズには減5度のジャンプが含まれています。8小節目で一気に厚みを増して、9小節目で一旦音量をmpに戻し、10小節目のフルサウンド11小節目の「決め」でプロローグを終えます。
このプロローグでは、やはり素朴なサラバンドのテーマと「不安の予感」の部分の対比が重要ではないでしょうか。そしてこの短いプロローグでは今後登場する多くの音要素が断片的に提示されています。
8小節目と9小節目の変化はスコアの見た目以上に効果を狙っているように思えます。すなわち、8小節目はサクソルン族にいくつかの楽器が段階的に参加し見た目よりも薄い印象、9小節目からは転じてトゥッティの音圧、みたいに。実際、音域の広がりと持続音の響きで印象は大きく変化することと思います。それから10小節目3拍目の上行形には特徴的な音階(下記)が断片的に表れます。(この音階、重要な要素でよく登場するので、今後S.T.(Scale Theme)と記します) さらにこの六連符、とても重要なフィギュアです。S.T.の動きの後、主要音を刺繍するメロディの要素をもう一度提示します。この曲を司る要素の一つであり、曲の最後(Pic.)にて蘇生されます。
Fig09
(A)へのブリッヂにはサラバンドのメロディをEup. A.Cla. T.Sax. がごく断片を演奏します。この音域の楽器をこれだけ重ねるという事はソロのキャラクターを求めているとは思えず、オケで言えばV.c.tuttiのような、音量は大きくないがVolume感のある音、が想像されます。しかし、すぐtuttiで奏されるアコードを考えるとソロのように扱うという解釈も成り立つかもしれません。その場合は楽器を絞ったほうがいいかもしれませんね。
ちなみに和音の支配音はもちろん“D”。D-Gの解決をもってg mollの主部①(A)に突入です。

(A)~
「鋭利なリズム」を強調するためにどんな工夫をするのか、アイディアの膨らむところです。2小節の短い前奏中のみリズム形に全てアクセントが付いています。鋭さが出ないようならあえてこれを無視して他のアクセントに合わせる手もあります。「全部にアクセントがある」というのは「全部にアクセントが無い」のととても似てしまうんです。でもやはり、ここは重くならないようにきわめてセパレートの上で淀みない全アクセントを聴かせるべきでしょうね。3小節目からは直線的な“D音”の持続から和音の刻みに伴奏は落ち着き、メロディ(Theme2)が始まります。和音のアタック群と掛け合いになっていますね。このTheme2にもサラバンドの要素が含まれている…というのは深読みのしすぎでしょうか?
Fig07
和音群には上記譜1小節目、メロディ群には上記譜2小節目、の倚音的要素が含まれています。そしてこの動きには意外と重要な意味が隠されているのです。
(A)の4小節目、持続音のない乾いた世界に初めて出る持続音。強い印象をオーディエンスに与えたいところです。6小節目はこの小楽節の頂点。三連符の刻みの中のスラーのアーティキュレーションは冒頭4小節目で既に提示されている素材(深読みすればサラバンドのアクセント特性)。強調するならスラー前の音は短く。全体のヴォリュームを重視するなら全体を長めに。人数の多いCla.Sax.達でどこまで繊細な表現ができるか、腕の見せ所(?)。大事なリズムフィギュアなので曲全体を通して表現を統一しなければ一貫性を欠くでしょうね。この小節の和音はA7(b5)下記譜のように入れ替えればEb7(b5)
Fig03
上記の譜面では違う音(C7b5)ですが同じ構造です。この和音はとにかくこの曲で一番多用される(と言うかこの曲を支配している)和音です(今後は和音主題としてC.T.(Chord Theme)と記します)。そして直接主和音に解決です。またEup. Acla. T.Sax. の下行形は先ほどの音階S.T.
7小節目からのTheme2は今度は開始1小節で変化して9小節目が頂点。(和音はC.T.(C7b5)8分音符の下行形はS.T.)そして9小節目と10小節目の上行形三連符もやはりS.T.。 1オクターブずつ下がってくるもののまったく同じ構成音です。これでTheme2の短い提示を終えdim.で(B)に入ります。最後の和音をC7b5ととらえれば半音下、F#7b5ととらえれば5度上にB7で始まる次のセクションへ。

(B)~
作曲者によればこのセクションは「錯綜する声部のバランス」。 2小節間ははっきりとtuttiサウンドではない、はっきり声部のコントラストが描かれています。Eup. A.Sax. T.Sax. はmfとespress.の指示。Theme1を意識したもので、リズムにサラバンドの特徴を垣間見られます。サクソルンの音色で統一し、オケで言えばVln.抜きの弦楽器群。Vla. V.c.的な扱いですね。低音部には表情の指示、con suono ma non legatoがあります。 「よく鳴らして、でも音を繋げないで」といった感じでしょうか。伴奏部ははっきりmpの指示。でもメロディとの対話が書き込まれており、2小節目のラストでは合体。この2声部間の対話を強調すると3小節目でのサウンドの変化が出にくいかもしれません。バランスが大切になるでしょうね。
“Ges”を倚音として和音はC.T.(B7b5)ですが、B7の“F#”としてB7-B7b5の倚和音的に感じたほうが音楽の性格が理解しやすいかもしれません。 このセクションでもほぼこの和音しか出てきません。
3小節目からは全奏による様々なモチーフの錯綜。Fl. Ob.達の8分音符はS.T.によるフレーズ。Cla. Sax. Trp. Hrn. の三連符は刻みと半音階。Hrn. Trp.2,3 はオーケストラ的な独立した扱いにも見えます。Trp.の音はHrn. とのバランスによって各バンド調整すべきでしょうね。メロディラインを担っているのと同時にバランスの繋がりが面白いですね。Trb. は和音の持続音。これは冒頭4小節目で初出の減5度であるのは言わずもがな。低音は和音の決定権を持ちつつ全体に揺らぎを与え。これらの要素をまったく融合させ一体感をもって作るのか、それぞれの要素の特徴を目立たせて一つのスパイラルを作るのか、ここも考えどころ。サラバンドテーマと主部①の第1要素「A」の変化形との融合と、主部第2要素「B」へのアプローチがこのセクションの役割です。
和音は、B7-C.T.(B7b5),B7-C.T.(B7b5)→短3度上がってD7-C.T.(D7b5)→C.T.(C#7b5)-Ddim.→C.T.(G7b5)と、どんどん発展していきます。音楽的には間違いなくsempre cresc.。 2小節の主従のある音楽の後、3小節目からは各声部の錯綜を強調して、それぞれにキャラクターを与え立体感をもってcresc.させるのが王道でしょうか。「うねり」みたいなものが出ればよし。逆に、絶対的な音圧感は減ると思われますがその後の展開を考えるとここで必要なのは「錯綜する様々な想い」

(C)~
前のG7b5からF#7b5への半音進行(C7b5ととらえれば5度進行)で主部①第2要素「B」に入ります。
テンポを落として突入する、言わばAgitato主部における中間部分。悶えるような、刺繍形のフィギュアとS.T.を融合させたメロディ。この掛け合いの持続音は再三登場する、冒頭提示のE-Bの減5度。上行の音階ははっきりとS.T.の音形。音の要素を入れ換えても、この4小節は全てC.T.のF#7b5(=C7b5)に帰着します。が、3小節目でコンプレスされる掛け合いの持続音は1音上がってFis-Cの減5度。発展している、と考えるのならば和声も転換されている、と考えて表現しても面白いのかもしれません。苦悶の表情を浮かべ呻き悶えるかの様な部分はAgogikも含めた表現の自由がかなりありそうですね。しかし、16分音符のスタイルはくっきり強調するべきだと思います。「16分音符中心のアンサンブル」と作曲者から注釈がありますが、その具体的なメッセージの中から想像すべきもののヒントはは、この苦悶と怒りにあるのかもしれません。
5小節目からの和音は引き続きC.T.(Ab7b5) ただしHrn. Sax. Fl. etc. の上行への倚音とコードにはincalorireの指示があります。直訳すれば「熱くなる(する)」。もう少し「怒り」の要素が入ってもいいと思います。延ばしの音がどんどん短くなっていく仕組み。当然テンポアップのニュアンスも秘めていますがその後の3拍のaccel.の為に直情短絡に陥らないようにするべき。引き延ばし音が徐々に短くなって、最後の鋭い16分音符(Pic. Fl. Ob. EbCla. Xylo.)にエコーのように残るHrn. Trp.2,3 はとっても効果的です。

(D)~
テンポを最速に戻して前半最後のセクションへ。Agitatoにはテンポアップの意味も含まれることが多々ありますが、作曲者は実際にスピードを上げることは望んでいないように思われます。焦りや不安、その中を進んでいく推進力、がその意味するところではないでしょうか。調性は進んで(g mollに戻らず)Fis mollに解決。2小節ですぐにa mollに、転換のスピードが明らかに速まってクライマックスが近いことを知らせます。この二つの調の主音(F#とA)が(A)のg mollに対して刺繍するようになっているのは、テーマのフィギュアを意識したのかどうかは不明です。でも、そう考えると面白いなぁ。とうとうコード進行にまで融合されてしまうメロディ要素。
ここで僕が必要だと思うのはフレーズごとに存在し融合されたサウンド。弦楽器に例えるのが無意味だとわかってはいますがイメージが湧きやすいのであえて例えると、高音木管群はVln.で中音木管とEup.はVla. V.c.。 はっきりとしたリズム群と相まって芳醇なサウンドが期待できます。音自体の目は詰まっていませんので5小節目以降自然に厚みが増していく仕組みです。5小節目からは基本的にはCmですが(A)で主和音Gmに“G-A”と入ったようにここでは“C”ではなく“D”からスタート。そしてそのまま下がっていきます(D-C-H-B-A) 7小節目でAsまで下がるとそこはC.T.(Ab7b5)。 ラストはincalzando(熱して、急き立てて)でg mollに回帰してGm上のテンションコードでブレイク。低音の「“G”にまつわるエトセトラ」はもちろん主題のフィギュアの断片。ちなみに5小節目のEup.のEs音はオクターブ下のほうがいいでしょうね。最近の楽器なら大丈夫。

(E)~
「Graveな表現」という事は「荘重に」という事でしょう。そしてそこから考えうる表現力の広がりが必要。ただ重っ苦しく演奏するだけでなく、この短い楽節にある様々な要素を意図をもって表現できたら、きっと個性にあふれつつも説得力を失わない演奏ができるでしょう。
サラバンドの特徴で書かれたTheme1。そのリズム要素でスタートするのですから意識するべきは1拍目からの流れとしての2拍目。唐突な2拍目からのスタートは点睛を欠く気がします。とすると(E)の直前はどう処理すべきか?
(E)の前の8分休符と(E)冒頭の4分休符をまとめてG.P.にしておもむろに始める、というのが一般的になりそうですが、ちょっと上記も踏まえてみると疑問も感じます。僕はおそらく(E)の頭に熱をもったまま飛び込み、1拍目でたっぷりGraveを見せたいと思いますが、皆さんはいかがでしょう?
和音はここでもC.T.(D7b5)。 重厚金管コラールから2小節目は突然“D”音のみの単音。 で、続く8分音符は前コードの分散和音。3小節目で“G”に回帰。tuttiでGadd/Fを経て4小節目でもうひとつの重要和音にて終止です。
Fig05
右の和音ととらえたほうが理解しやすいかもしれません。コードはDb7+#11(わかりにくいですね…根音をDesにした上記譜右の和音です)

続きは次回~

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2010年2月20日 (土)

迷走するサラバンド

第20回朝日作曲賞の受賞曲、「迷走するサラバンド(広瀬正憲)」
いろいろ入り組んだ心の迷宮に疲れて、ちょっとした息抜きのつもりで読み始めて一気に読んでしまいました。
その迷走する苦悩に共鳴したのかもしれません。

「サラバンド」はスペインで流行した舞曲で、後に定番化して『古典組曲』や組曲としての「シンフォニーズ」に組み込まれるようになりました。
そもそもはカリブ地方やスペインの植民地だった中南米から伝えられたとも言われ、その起源はさらに古代ペルシャにも求められるといいます。
まあ、現代の僕にとっては「古典的な舞曲の様式の一つ」としての認識が強いんですけれど…

「サラバンド」はゆったりとした3拍子で書かれることが多く、
Fig01_8
の1小節目のように2拍目と3拍目が融合したリズムになる、すなわち2拍目にアクセントが来るようなニュアンスをもつことがしばしば見られ、特徴の一つとなっています。
(ちなみにこれは「迷走するサラバンド」の冒頭のフレーズです)
2拍目のアクセント感が強調されることによってゆったりした中にも躍動感が、また強拍が1拍目に来た時などにそのフレージングの印象を強める効果もあります。
コード進行にもいろいろ特徴がありますがここでは一例を…
Fig02_5 
短いカデンツの連続が大きなカデンツを形成することもあります。
また、2小節のフレーズが二つ、その小楽節を二つ繋げてひとつの旋律ができているのも特徴です。

さて、この「迷走するサラバンド」
そこここにそんな「サラバンド」の様式を垣間見せつつ自由に描かれています。
大きな特徴は使用されている和音とメロディ構成と音階。
オーケストレーションについては、スコアを一見すると吹奏楽の様々な楽器の音色感はむしろあまり使用されず、かなり限定的な音色で統一的なサウンドを目指して書いているように思えます。
単独である音色に依存するのを避けるかのように。
もちろん所々には、ソリスティックな部分、或いは小編成の部分から大きなトゥッティに移りゆく部分など、音色の変化を意識した部分も見られますが。

想像するに、「作曲家はこの曲をピアノで弾きながら、もう少し具体的にオーケストラの音をイメージしていたのではないか?」
確かにスコアからはピアノ曲のような統一的なオーケストレーションの世界を読み取ることができ、音の配置や音域への配慮は時に作曲者の本来の意図とは違うのかもしれない、と思えるところもあります。

だからこそこの曲の持っている音楽を考えるとき、おそらくはピアノで作曲されたことへの考察はとても重要だと感じるのです。
「作曲者はどんな音楽を目指してこのオーケストレーションを施したのか?」

トゥッティ部分の音の重ね方には分厚い音色へのアプローチを、また楽器間にまたがる和音のヴォイシングなどからは浮き上がるべき音色への期待を、それぞれ感じ取ることができます。
本当は作曲者はオーケストラの中のホルンやトランペットのような「キャラクターピース」と弦楽器群のサウンドの様な「トゥッティの厚み」を吹奏楽の限られた色彩の中でもっと出したかったのかもしれません。
要は作曲者の意図を読み取り、その再現と自分の創造力とを融合させることです。が、もっと大切なのは「その音楽を理解し、表現すること」だと思うのです。
この、厚く書き込まれたスコアの中から「作曲者の書いた音楽にふさわしいサウンド表現を引き出す」ということではないでしょうか。

さて、この曲を支配する要素の一つが特徴的な和音。
Fig03
特に多く登場するのが上記の和音。
通常の所謂「属7の和音」の第5音が下方変異したもの(上記1小節目)。一般的にはドッペルドミナントの一つです。S(サブドミナント)諸和音に分類され、通常はドミナントに進みますがその機能は主調に対しての属調への解決、つまりドミナントです。しかし、その解決を飛ばして一気に主和音に解決することもあります。また、まったく同じ構成音を持つ減5度の関係にある調であることから急激な転換も見られます。減3和音の要素が強いことも関係します。
第5音が下方変位しているのは「同主短調からの借用」にもその理由を求めることができます。
この和音、ドミナントとしての機能も強く持ちつつとっても面白いのです。
4つの構成音中、二つずつを分解してみるとそれぞれが「長3度」のつながりであることが分かります(上記2小節目)
で、この二つを入れ替えるとあら不思議同じ構成音で減5度(増4度)上の同じ和音になるのです(上記3小節目)
また、「減3和音」の響きにより緊張感が強く表れるのです。
バルトークの好んで使った和声法にも見られる手法です。

同じ和音を別の角度から見てみましょう。
Fig04
第1音と第5音、第3音と第7音、それぞれの関係を見てみるとそれぞれ音程が「減5度」であることが分かります(増4度とも言えます)
この曲の大きな要素でもあるこの音程=「減5度(増4度)」
減5度のさらに減5度上は元の音。
つまり1オクターブのちょうど真ん中がこの音(音程)
古典的なソナタ形式等の観点からも完全5度ではなくこの不安定な減5度で全体を構成した作曲家の意図とアイディアと、違和感なくまとめあげる才能に脱帽です。

ここでもう一つ触れておきたいのがこの和音。
Fig05
先ほどの下方変位の第5音に通常の第5音が同時に鳴ったもの。
同じような特徴を持ちつつ実は上方変位の第11音を持つテンションコード。
しかしその響きはさらに複雑に、そして幾分明るく聴こえるのです。

さて、ちょっとおまけ。
Fig06_3   
1オクターブの中を全部短3度(半音3つ分上行)に分けると均等に4つに分かれます。
この和音は減7和音(減3和音にもう一つ減3)
どの音を半音下げても自動的にどこかの長の属7の和音になるという、不安定でおもしろい和音です。(そのままさらに半音下げると前出の第5音下方変位の属7の和音になります)
もう一つは、1オクターブの中を全部長3度(半音4つ分上行)に分けると均等に三つに分かれます。(4つ目が基音のオクターブ上)
3つの音で完成なので7の和音は基本的にはありません。
この曲の中でも様々な和音の中にこの響きを含んでいるものが良く出てきます。

和音とメロディの両方に大きな影響を与えている要素が、「半音階」と「倚音」「刺繍音」
本来進むべき音に素直に行かずに寄り道するのが倚音や刺繍音。
Fig07_2
1小節目と2小節目のものは両方とも練習番号(A)で出てくる音形。
3小節目は“D音”の上下を刺繍するように縫って寄り道する、曲中では4小節目に初出する音形。 
そして下の楽譜は練習番号(I)の4小節間の和音
Fig08_3
耳慣れない和声進行のようで実は分かりやすい進行でもあります。
2小節目は「同主短調から借用の第6音付加の和音(。IV+6))と考えられます(和音記号は間違いです)ので、そのまま主和音に解決します。この和音が中間部の特徴的和音です。
3小節目で低音は主和音“E♭”に解決しますが上部構成音はE♭durのドミナントであるB♭属9の和音(根音省略・第9音下方変位)で解決を引き延ばします。
それと同時に、D→E♭、H→B♭、A♭→G、の半音進行する解決に強い印象を覚えます。

さて、いくつかこの曲の特徴的要素をひも解いてきましたが、最後にもう一つ。
「特別な音階」です。
Fig09_3
メシアン、ルトスワウスキー、等々様々な作曲家がいろいろな「音階」を作り出してきました。
それらは古い時代に存在した音階の復古だったり変容だったり、民謡や地域独特の音階からの取材だったり、独自の理論による新たな音響世界だったり、と様々です。
そんな創作音階の一つがこれです。
「半音と全音が交互に並ぶ音階」
今日の一般的な音階よりも一つ音の多い、9つ(8つ)の音で1オクターブです。
一つ置きに音を並べるとあら不思議「減3(減7)和音が現れます」
どの音からやっても同じです。
当然真ん中の音は完全5度の“G”ではなく、増4度(減5度)の“F♯(G♭)”
つまりとても不安定で不思議な音階なのです。
そして既存の短音階や民謡や教会旋法等の古い音階との近似もこの曲の素朴さに一役買っていると言えるでしょう。

さあ、それでは曲の中身について詳しく読んで行きましょう。

いつか。

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2010年2月13日 (土)

ホームページ

長らく放置状態だったホームページ、自力での更新をほぼ断念し人に頼むことにしました。

まあ、「人」と言っても身内なのですが…

少しずつ更新されていくでしょうがそこは素人の悲しさ、他愛ないミス等は流してくださいね。

ダムとチョコレートのページは何とか「責任編集」と行きたいところです…

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2010年2月11日 (木)

今日の一押し

時節柄、世はチョコレートの話題が多い。

チョコレートマニアの自分には嬉しい限り。

“チョコマニア”を自称している割に実は、「生チョコ」「トリュフチョコ」「ビターチョコ」が苦手。
もしかしたら実は、本道からは外れる“邪道チョコマニア”なのかもしれない…
やっすいチョコがもっそい好きだったりします。

今はまりにはまっているチョコは、
4548718384006_m 『キャラメルチョコがけマシュマロ』

これが美味しいわけですよ!

少し溶けかけて柔らかくなってもいいし、
ちょっと置いて表面が固めになった食感もまたよし。

お薦めです!

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雪が見たい

昨日は先輩指揮者のオペラのゲネプロを見た後、そのまま二人でお寿司を食べに。

いろんな意味で尊敬している大先輩。
いろんな話をして、いろんなアドバイスももらって、愚痴も聞いてもらって。
とにかく、強い人だ、この人は。
俺も強くありたいなぁ…

「優しすぎるところも友の才能の一つだよ」

これは褒め言葉とは言えない。
少なくとも自分ではそう思う事にしている。
何にでも巻き込まれていく。
強い思い入れは時に手痛いしっぺ返しを食らうね…
こればっかりはいつまで経っても治らない、進歩しない。

でもまぁ、それもいいや。
それでも好きでいよう。
いろんな事、いろんな人。
それでみんなついて来てくれれば嬉しい。

ちょっと気分転換に、ちいさなワルツを1曲作曲。
1ヶ所なんかのコード進行に似てるなぁ…と思って気が付いたら、SPEEDの"White love" だった…
で、急に雪が見たくなっちゃって盗んだバイクで(ウソ)走り出す。

今降っている雨が明日には雪に変わる、かも。
という情報を得て、という事は箱根の山は今頃雪景色に違いない、と深夜の箱根に向かう。
自宅近くの気温は7℃
これでは雪になるはずもなく…
でも、箱根の大涌谷近くでもやっと3℃
まったく雪に変わる気配もなく、がっかり帰路に就いた。

一人で音楽はできるけれど、指揮者は一人では存在できない。
そんなの承知でこの道を歩いているんだけれど、時には「山奥で誰にも会わずに絵を描く芸術家のように音楽を作りたい」なんて思う事もある。
自分をうまく演出したりプロデュースするのは苦手だ…というかできない。
だから馬鹿正直にぶつけ続けるしかないワケで…

BGMで聴いていたのは「交響曲第2番(ラフマニノフ)」「映像、夜想曲、交響詩『海』(ドビュッシー)」「椿姫ハイライト(ヴェルディ)」
どれも最近聴いていなかったので新鮮!
椿姫、何年前にやったんだっけなぁ…またやりたい

ちょっと寂しい気持ちでガレージに車を入れようとしたら、ちらちらと白いものが。
雪が見たい、という希望は叶ったわけだけど、
本当は雪の峠道をバリバリ走りたかっただけ…

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2010年2月10日 (水)

アナログの喜び

アナログ時代の音源。
レコードとかカセットテープとか。
そのうちコンピューターに取り込んで管理…
なんて思っていてもなかなか進まないものです。

最近、コンマスのFさんからターリッヒ指揮/チェコフィルの新世界のレコードをお借りしました。
それをダビングするついでに幾つかのレコードをコンピューターに録音しました。
デジタルもののダビングではないので、“演奏時間=録音時間”…というわけでそうそう沢山出来るはずもなく、今日は、
「ターリッヒ指揮/チェコフィル演奏のドヴォルザーク交響曲第9番」
「渡辺暁雄指揮/日フィル演奏のドヴォルザーク交響曲第9番」
「アーニー・ヘンリーのラスト・コーラス」
の3枚。

ターリッヒは言わずと知れたチェコフィルの大功労者。
指揮者が“解釈”という名の言い訳のもと、主観に溺れた演奏をするのに異を唱えた名指揮者ニキシュの弟子でもあります。
その演奏にはきっとドヴォルザークの意図を汲んだ色合いが強く浮き出ているに違いない、とワクワクして聞きました。

もちろん録音はモノラル。
さすがに現代の録音に比べると演奏の粗も目立ってしまいます。
細部のアンサンブルや音程の乱れも。
さらに、“主観を排す”とは言っても現代の“オーソドックス”と言われている演奏とはいろいろ異なる点も見えます。
でも、説得力があるんだなぁ…
いろいろ思っていたナゾに少し光があたったような気がします。
純粋に、聴いていて安心できる素晴らしい演奏でした。

渡辺暁雄/日フィルは当時、レコード発売記念の演奏会の会場で買ったもの。
演奏会に行くお金だってキツかったのに、本番の演奏に感動して無理して買ったのを思い出しました。
結局最寄りの駅までの電車賃が足りなくて幾つか手前の駅で降り、延々家まで歩いたのでした。
今聴くと、淡々とした印象を受ける反面、ともすると乱雑になりそうな場面の変化がシンプルに描き出されていて、むしろ自分の演奏に近い気がします。

最後はサックス奏者アーニー・ヘンリーのアルバム。
あんまり期待せずに聴いた古いアルバムなのに面白かった!
セロニアス・モンクやウィントン・ケリーがピアノを弾いていたり、ガレスピー楽団からのメンバー、リー・モーガン達も阿吽の呼吸で参加しているし、とにかく、楽しい!
多少のノイズがあっても、レコードだからこその奥行きのある音がこんな古いJAZZにぴったりくるんだなぁ…と実感したのでした…

余談ですが、録音したものをきれいに整理してCDに焼きましたが、その時初めてプリンターで印刷してみました。
こんな綺麗にできるなんて知らなかった~

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2010年2月 8日 (月)

日曜日のあれこれ

昨日もライオン・キング。

ちょっとした音楽的補正もしつつ、本番。
やっぱりみんな一流音楽家の集団。
素敵な音がそこかしこに幾つも聴けました。
この数日、数人の役者さん・奏者さんから嬉しい話を聞き心の奥で、ホロリ感謝。

ミーティングもそこそこに東海道線にて西に移動です。
ガラガラと荷物を引きずりながら劇場を出ると数人に呼び止められました。
「指揮者の方ですよね」
とっても感動した、との声をいただき大感謝。
一緒に写真を…という事でずうずうしくも映ってしまいましたが、このボサボサヘアでは…(恥)

大勢の人に応援の声に感謝しつつ歩を進めます。
駅近くの交差点で信号待ちしていると、また数人に声をかけられました。
声をかけるチャンスを探して後ろをくっついて来たんだそうです。
すぐ声かけてくださいよ~
聞くと僕の指揮の日を狙って来てくださったんだとか。
ホントに涙が出ましたよ、ありがとうございます。

好事魔多しと申しますか、捨てる神あれば拾う神ありと申しますか、良いことも悪いことも嬉しいことも悲しいことも楽しいことも辛いことも、きっと表裏一体なんですよね。
まったく逆の事のようである意味因果応報のワケで。

慣れないホームで乗った山手線は逆方向…
時間ないのに~
品川から乗り換えた東海道線ではつい指定席の誘惑に負け出費。
でも、快適~!
その後のリハも、とてもイイ感じでした。
終了後に飲んだ生グレープフルーツサワーは今まで飲んだ中で一番おいしかったかも。
大量のつまみと飲み物を頼んだのに閉店時間まであとわずかという事が判明。
短時間に食べて飲んで、結構酔い気味。
それはそれで効率が良かったのです。

指揮者は“転校生”であり続けることがある種宿命。
長く一所に留まり、蜜月を続けることももちろん必要かつ可能だけれど。
でも、いまはただ、請われ求められることが嬉しい。
喜ばれることが、嬉しい。

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2010年2月 2日 (火)

ちょっちね

100202023904_2 ちょっちね

新宿からの帰り道は雪。
嬉しがって調子に乗ったのはいいんだけれど、みんながみんなスタッドレスに4WDなわけじゃない。
道という道は大渋滞。
高速道路はあっという間に通行止め。
坂道では車が立ち往生。
結局3時間もかかって帰ってきました。

そういえば“ちょっち”って方言らしいです。

広島方面等でよく使う“さえない”という言い回しがあるんだけど、この表現最近なんだか気になる。
「あらぁ、せっかく素敵な人と知り合ったのに今日に限ってぼろいセーター着とった。わたしさえんねぇ…」
みたいに使うようですが、何だか言い回しが優しくて好き。

「だめだ」とか「悪い」と言わずに「さえない」というところがなんとも照れ隠しのようで可愛く思えるんです。
関東で使うと、
「あいつ、さえない顔してる」とか「その案はさえてないよ」
などとちょっと直接的な批判で可愛くない。
「俺ってさえてるぅ~」
なんて肯定的にももちろん使うけれど“照れ”がなくってつまんない。

ああ、それにしてもいろんなことがある。
少し落ち着いたらがっつり語ることにしましょう。

家の屋上は見事な雪景色。
今日は、今日のところは、
珍しくお酒でも飲んでみましょう。
極寒酒、ですね。

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2010年2月 1日 (月)

無題

いろんなことがありますが、辛いこと三つにつき嬉しいことがやっと一つ来る感じ。

ずーっと一緒に歩んで行ければいいのにね。

もっと自分が、得難く素敵な人間になれればいいんですよね。

政治力や策を弄した人心掌握術なんてやりたくたって出来ないし。

明日を迎えるのに精いっぱいで自分を飾ることなんてできゃあしない。

だから、

今日の頑張りやこんな想いが、いつかちゃんと実を結びますように

ちゃんと咲いて、ちゃんと届きますように

ところで、明日は雪が降るかも…という予報。

こんな小さなことなのにワクワクする。

ワクワクしていたい。

いつも。

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