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2010年7月27日 (火)

迷走するサラバンド...その後①

長い時間一つの曲と向き合い、研究や実験ができるのはコンクールの数少ない利点の一つ。
4分程度の短い曲でその熟成に耐えられるのは、素晴らしい作品であるか、作品が稚拙(失礼!)であるため幅広い解釈や演奏のバリエーションが違和感なく幾つも存在してしまうものか、のどちらかであることが多い。
そうでない作品はいじくりまわして腐ってしまうか、飽きて陳腐になり下がってしまうか。
誤解のないように付け加えておくと、どの作品にもそれ相応の価値がありその優劣はあまり問題ではない、と言う事。
コンクールである以上、演奏者が技術的な鍛錬はしなければならないわけで、またそちらに演奏の審査の比重は高いわけであるから。

「迷走するサラバンド」は、好き嫌いはあるにせよ、僕はやはり熟成に耐えられる作品に近いと思う。
もちろん作品の性質上、100年熟成させて飲むワインではなく、また熟成を必要とする部分の多い曲でもない。
ただ、演奏者の熟考にじゅうぶん応えうるシンプルさと推敲の深さを感じるのだ。

ところで、この曲を幾度か演奏し、聴いていてひとつ気が付いた。

「音楽は世界の共通語。その感動は国家も人種も越えて共感できる」ともちろん信じているけれど、それには、その曲の作られた背景、国、言語、等、様々な「世界共通ではない」ものを学ばなければならない。
そのうえで音楽には、好き嫌いではなく「間違った解釈」が存在する。
その間違った解釈が堂々と演奏されて憚りないのが、面白くもちょっと恐ろしいところ。

ところがこの曲の場合は、そんなエキセントリックな解釈の演奏でもそれほど違和感なく聴けてしまうのだ。
つまりは、技術的なところが浮き彫りになりやすく、演奏の良し悪しが演奏の完成度に大きく左右されるのである。
要するに、「ハッタリ」は効かない。

正しい音楽表現も間違った表現も同じ土俵に上がる、そういう意味では課題曲に向いているのかもしれない。
でも、この曲の素晴らしさを認めている音楽家の一人として、聴衆を納得させて心に届く演奏ができるといいな、と思っている。

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