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2010年8月20日 (金)

12分の演奏会

かの大漫画家、故・手塚治虫先生は多少の例外はあるものの数多ある漫画賞の審査員を拒み続けたという。
ましてや自分の名を冠した賞など言わずもがな。
その理由は、いつも最前線の漫画家でありたいと思い続け、若手漫画家の才能を認めつつ、それでもライバル心を持ち続け、常に審査される側でありたい、という信条に由来するのだという。

変わりゆく読者を常に意識し続け、劇画ブームに反感を持ちつつ融合点を探したり、子供の視点も持ちつつ大人へのメッセージも発信し続ける。
その恐るべきモチベーションはどこから来るのだろう。
僕も負けずにいつも進化し続けたい。

管楽器中心のオーケストラ=「吹奏楽」
日本では学校等のクラブ活動を中心に「コンクール」なるものが夏の話題を盛り上げる。
僕も吹奏楽器出身で、この編成には愛着がある。
管弦楽の紛い物ではなく、また軍隊行事や屋外イベント等、特定の目的のためではない、ステージで演奏されるこの編成の音楽にはまだまだ可能性が潜んでいる、とも考えている。
その発展に「コンクール」の果たした役割は大きい。
まあ、その辺の話はまた語るとして、
今年も僕は「審査される側」として数回演奏した。

「審査する側」、つまり審査員も幾度も経験したし、「ある条件」さえクリアにできれば審査員を引き受けることも辞さない。
が、基本的には(手塚治虫先生と並列の話しにするのはおこがましいが…)、僕も審査される側でありたい。
しかし…

問題は数多くある。
これは審査員を引き受けた場合でも同じことが言える。
しかし今日はそのことについて語るのもよそう。
単純に今年の感想を・・・

「課題曲」が数曲用意され、そこから1曲選択して演奏。
「自由曲」として文字通り自由に曲を選んで続けて演奏して12分以内に収める。
人数制限はあるものの形式もジャンルも自由。
芸術性を問われることはほとんどなく、技術の高さと音楽表現の伝わりやすさが審査の対象になることがほとんど。

恐ろしいのは「正しい音楽」よりも「効果的な表現」が評価されることが多いこと。
音楽には正しい表現と間違った表現は確固としてある。
しかし「間違った表現」でも“ウケ”れば「表現力が高い」として認められたりする。
本来「好み」とか「解釈」とは次元を異にする話なのだが、同じに語られたりする。
まあ、そのあたりは結局審査員個々人の能力に左右されるわけだが。
その審査員を選ぶのは基本的に素人の主催者側だから少々話は複雑になる。
著名な音楽家や人気の奏者が必ずしも優れた「音楽家」とは限らない。

音楽にはスタイルがあり、また「流行り」や「常識」も時代によって変化する。
200年も演奏されているベートーヴェンの交響曲だって今と昔では全然違う演奏が存在する。
それはもう、「全然違う」のだ。
しかし、そこにはやはり理由がある(優れた指揮者、演奏者ばかりではないので、そのエキセントリックな演奏と混同してはマズイのだが…)
その「理由」を読み取れないものには、その演奏を云々する権利はない。

僕の演奏にはすべて「理由」がある。
「理由」のないことはほとんどしない。
毎年のことだが、今年もその「理由」を読み取ることのできないヘボ音楽家がいたことは残念でならないが…
そのうえで、その解釈や好みについて踏み込んで語ることは、本来とってもレヴェルの高いことだと思う。

とは言え、審査の内容には文句はない。
納得ずくの参加だからだ。
(表現について「その手もあるか、と思ったが私の好みではない」と辛辣な点数を付けた審査員にはげんなりしたが…)

比べる相手があってのコンクールである。
できるだけ有利に条件付けをするのもコンクールの一部分といえる。
曲選び、練習内容から始まってメンバーのメンタル的なことまで含めるとやるべきことは山ほどある。
普段はほとんど人にまかせっきりの部分なのだが、いろいろなアイディアも含めて自分の能力・経験をもう少し使うべきだ、と思った。
「継続は力なり」
その「継続」を作り出すのが難しい。
が、一番必要な部分でもある。

演奏には満足している。
いや、むしろ素晴らしい演奏だったと思う。
昨年に比べてどの演奏もお世辞抜きに著しい進歩だ。
ただ…

フィギュアスケートでジャンプが得意な選手はジャンプを中心に組み立てるだろう。
野球で投手が弱いチームは守備を鍛えてカバーするだろう。
エースストライカーのいるサッカーチームはその選手を軸に攻撃のフォーメーションを組むだろう。
特に「選曲」というファクターにはっきり差が出た。
「やりたい」という理由で不利な曲にあえて挑む余裕はどの団体もまだ、無い。
だからこそ弱点を減らし、強味を伸ばす曲を積極的に選ぶべきなのだ。
次回はもう少しそのあたりはっきり導かなければ、と感じた。

それにしても、素晴らしいサウンド・演奏にいくつも出会った。
どの楽団も精一杯練習して運営してきているのだ。
技術の上達と音楽の向上を、厳しくも楽しい練習を手放すことなく実現するのはとても難しい。
緩め過ぎれば解けほどけ、絞め過ぎれば凝り固まってしまう。
しかし、もう一歩踏み込んでチャレンジしたい、と心から思った。

ああ、それでもやはり、12分間の演奏会なのだ。
演奏会を楽しむ心で聴いているオーディエンスは少ないとしても、演奏を楽しんで聴くことを改めて感じてもらえるような演奏をしたい、と思う。

そんな演奏をしなければならない。

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