« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月

2010年9月20日 (月)

パワフルパワー

とっても落ち込んでる人に会いました。
とっても悲しんでる人に会いました。
とっても嘆いてる人に会いました。

辛くて切なくて、それにじっと耐えているんだけれど、僕にはどうしてあげることもできなくて…

にっこり笑っているけれど、その心は涙でいっぱいなんだろうな。
あと一滴で、きっと溢れてこぼれて、流れ出してしまうんだろうな。

僕もそんな時はいっぱいあるんだけれど、
ある時どうにも心がはちきれそうになって車を停めて、シートを倒して天井をボーっと眺めていたら聴こえて来た幼稚園児達の歌がありました。

なみだがポロポロこぼれるときは
ひみつのじゅもんをとなえてみるのよ

ききめはバツグン たちまちげんき
ことばはかんたん あとはきもちしだい

ワタシハワタシヲ シンジテイル
ワタシノチカラヲ シンジテイル

パワフルパワー パワフルールル
ふしぎなパワー パワーフールル
わたしのパワー うまれてくる パワフルパワー

こころがぺしゃんとつぶれたときは
わたしのじゅもんをとなえてみるのよ

ききめはバツグン たちまちげんき
ことばはかんたん あとはきもちしだい

アナタハアナタヲ シンジテイル
アナタノチカラヲ シンジテイル

パワフルパワー パワフルールル
ふしぎなパワー パワーフールル
あなたのパワー うまれてくる パワフルパワー

(新沢としひこ 作詞/中川ひろたか 作曲)

ホントにホントに涙がポロポロ出ました。
あんまりいい曲なので、つい歌詞を載せちゃいましたが無断転載…(早晩消しますね、すみません…)
このコンビ、本当にいい曲が多くて大好き。
この曲も素敵なメロディとこの歌詞。

と思っていたら情報が!
中川ひろたかさんの主催する絵本カフェが鎌倉にあるんだ、と。
近々訪問して見ようと思います!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年9月17日 (金)

今日の衝動買い(?)

20100917030952
グランドピアノの上に乗ってるのは…グランドピアノ

なかなか細かいところまで精巧な作り。
内蔵曲を演奏すると正確に鍵盤が動き、弾けばもちろん弾いた通りに音がします。
すごーく練習すればショパンだって弾ける…かも?

必要かどうかは別にして、たまにはこんな息抜きグッズもいいかも…

ところで、弾いてるのはジャッキーさん。
ちょっとエラそう?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年9月14日 (火)

夏のしっぽ

夏が終わり、秋が来た。
なんてセンチメンタルな感慨に耽っていたら、車が壊れた。

客地での故障だが、日本全国大手のカーディーラーはまずどこでも見つかる。
昼食返上で駆け込んだが、思いのほかダメージが大きく「修理はすぐには無理」とのこと。
地元のディーラーに電話で修理の依頼をして、しばらくはだましだまし乗ることにした。

壊れたのは「コンプレッサー」
エンジンのパワーを流用してガスを圧縮しその解放時のエネルギー移動を利用して温度を下げる。
まあ、平たく言えば「エアコン」が壊れたという事。

走行には支障ない。
それに移動の多くは「送迎付き」だったし、合間の東京での仕事も新幹線で往復だったし。
本番も終わり珍しく朝まで飲んで、翌日350kmの帰路に就いた。

甘かった…
文明の利器に溺れてしまったこの身に「エアコンなし」は辛かった…
出発時25℃だった外気温は東京に近付くにつれ上昇して、とうとう37℃。
折悪く雨まで降ってきて窓を開けるのもままならない状況で、ガラスも曇る…
結局、汗だくでシャツはよれよれ、髪も風っさらしでごわごわのまま人に会う羽目になってしまった。

以前、やはり真夏にラジエーター(エンジンの冷却装置)のファンが故障したことがある。
走行中は風が当たるので大丈夫だったが、都内で渋滞にはまった途端、見る間に水温計が上昇していく。
このままではオーバーヒートしてしまう。
いろいろ思いを巡らし、ちょっと走ると水温計が下がることから見て原因に辿り着く。
ディーラーに電話して応急の対応法を聞く。
「車のヒーターはエンジンの熱を利用している。だからエアコンを切りヒーターを最高温度にして送風すれば多少エンジンの熱を下げることができる」
眉唾な対処法だったが、試してみると、なるほど水温計の上昇が一定で止まった。
車内は地獄の暑さ。
真夏にヒーターを最強にしているのだから。
しかし仕事の時間は容赦なく迫る。
ようやくホールに辿り着いた時にはシンフォニーを1曲振るより消耗していた。

でも今回の故障は単に「エアコン」
知人との逢瀬(?)の後は、思いっきり風に髪を任せて窓全開で走った。
夜になったが気温はまだ35℃越え。
でも、走行している限り風は入ってくる。

これはこれで気持ちいい、と思えた。
気温は未だ夏の夜そのものだったけれど。
たまには暑い中を暑いままで過ごすのもいいかもしれない、と思えたのは、この暑さのゴールラインが見えているからなんだろうなぁ…

兎に角、きっと最後であろう「夏のしっぽ」は、酷暑の名残をリアルに伝えていたのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夏の終わり

20100716153242
新幹線の車内紙にて伊集院静さんのエッセイを読んだ。

氏いわく、「季節の始まりは目に見えるが、季節の終わりは目に見えない」のだと言う。
けれど、僕は必ずしもそうだとは思わないなぁ。

不意に心の隙間(と言うよりは思考の合間?)に、景色や人の言葉や文字や匂いや、そして時には記憶の中の過去の映像や思い描く未来の妄想が割り込んでくることがある。
考え事しながら歩いていたり、列車の席でウトウトしていたり、そんな「物語」に登場しないような場面のそこここに。

そんな風に、ちょっと唐突に季節の終わりを感じちゃったりするのは、圧倒的に夏が多い。
流れる風に秋を感じて夏の終わりを実感する、のではなく、「あ、夏が、終わるんだ」、と。
いろんな場所に出没する僕の仕事柄、そんな「季節の終わり」「季節の移り変わり」「新しい季節の始まり」を何度か味わえたりする。
それはちょっと得した気分。

福島の夏が終わった。

今年の夏は暑くて長かった。
けれど、忘れられない夏になりそうだ。
逃げずに阿らずに立ち向かった結果は、僕の中の不安を消すには十分のものだった。
変化は受け入れるが、自分の中の揺るがない音楽は確信に変わった。

寂しくもあるが、それは大切で素敵な、次の季節の始まりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日の衝動買い(?)

20100914173118 衝動買い…というか頂き物。

友人にもらった水槽です。
その友人は何事も凝りまくる人。
なので自宅には、カラフルな魚とサンゴ(とその他たくさんの生き物)が水族館よろしく巨大な水槽で飼われています。

で、「現在使っていないから持っていっていいよ」、との甘い誘いに乗って持って帰ってきたわけです。

前から欲しかったんだよなぁ~水槽。
何飼おうかな~?

とりあえず淡水で始める予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 9日 (木)

嵐の中の袈裟

近所に深夜0時まで営業している大型スーパーがある。

一般的飲み物食べ物日用品が理路整然と並び、清潔感がある店内が好きでよく利用する。
ポイントカードまで持っていて、水曜日は終日ポイント5倍で日曜日午前中は3倍、なんてことも知ってるぐらい。
(ちなみにポイントアップの日は意識的に避ける。だって、レジが混むから)

最近のスーパーではレジ袋が有料のところが増えた。
このスーパーは未だに無料で、それも好きな理由の一つ。
レジ袋の有料化自体は別に反対でもないし、それもエコの一環だと言われれば、ああそうかと思う程度の関心。
でも、それほど頻繁にスーパーなんぞに買い物に行く機会もない僕としては、たまたま立ち寄ったお店がレジ袋有料店だとイラっとすることが多い。

会計後にかごから商品を移そうとすると、レジ袋がないのに気付く。
一般のお客さんには常識なのかもしれないが、一言いってくれればいいのに…、と毎回思う。
で、悔しいので素手で全部持っていく。
「常識がないのはあんただよ」と誰かに言われるまでもなく、学習能力のない自分にちょっとイラつくわけだ。
車にエコバックの一つでも置いておけばいいのだから。

なんてことをつらつら思いながらレジ袋に商品を移していると、不意にある老夫婦が目についた。
おじいちゃんがカートを押しおばあちゃんが前を颯爽と歩いている。
貧相な服装ではない。
むしろおばあちゃんのほうは、細身の品の良いワンピースで、育ちが良いような印象を受ける。
きっと、ついと目が吸い寄せられたのは、そのおばあちゃんがなんだかとっても凛として見えたからだろう。

あ、と思った瞬間おじいちゃんがカートを、積んであるツナ缶の山にあててしまった。
かすった程度なのだろうが当たり所が悪く、雪崩のように結構崩れてしまった。
品の良いおばあちゃんは、つと、と立ち止まるときっと踵を返し、気風の良い声で一撃。
「何やってんだい、このポンコツ!」

…ポンコツ…
自動車を解体する際、ハンマー等で叩く擬音から生まれた言葉だとする説が有力。役に立たなくなったロートルを指すことが多い。

久々に聞いた「ポンコツ」という言葉も新鮮だったが、言い放ったおばあちゃんの口調が侮蔑するでもなく怒るでもなく、ちょっと自然でむしろ慈愛に満ちていたように思えて、つい駆け寄って缶詰を積み直すのを手伝ってしまった。
ありがとうね、と淡々と言ったおばあちゃんからはやはり気品の様なものが感じられて、なんだかとっても懐かしい気がして、嬉しかった。
何事もなかったように老夫婦は買い物に戻っていったが、僕はしばらくその背筋の伸びた後姿を見ていた。

数日前、大叔母がなくなった。
大叔母と言うのは祖母の姉妹、つまりおばあちゃんの妹。
大好きで、未だに尊敬してやまないおばあちゃんの姉妹の末の妹だ。
おばあちゃんとは15歳も離れていた若いおばあちゃまを、僕らは「大ママ」と呼んでいた。
眠るようなそのお顔を見ていると、今にも起き上がってきそうで、「何だい、めそめそすんじゃないよ。もういいだろ、カラッとお行き!」と言われそうな気がした。

一時期、うちのおばあちゃんと3人の兄妹、大ママと3人の姉弟の8人で戦後の苦しい時期を助け合って暮らしたのだと言う。
どちらかと言うと良い所のお嬢さんの出自であった二人には、方や戦地からの夫の帰りを待ちながら、方や連れ合いを亡くし、ての女手の暮らしは楽ではなかったに違いないのだが、助け合い、笑いに満ちて明るく楽しく過ごしたというのだから尊敬を通り越して憧れもする。

そこに生まれた初孫が僕である。
可愛がられた記憶は、脳みそと言うよりは心に、心にと言うより深く体に、染みついている気がする。
大らかで、どんな世代にも分け隔てなく話し、と言うよりも全ての世代が(動物さえも)惹きこまれてしまう、そんなハイカラで魅力にあふれたおばちゃまだった。
お茶の水女子大でバスケに熱中した大ママ、同じく自転車に乗って周囲を驚かせたおばあちゃん、きっとハイカラで有名だったんだろうなぁ…
大ママはとっても「おモテ」になったんだそうだし。

大ママ、お疲れ様。
いっつも応援してくれて、音楽会にも足を運んでくれてありがとう。
そちらに行ったらおばあちゃんにもよろしく。

でも、天国に退屈したら、僕の所に遊びに来てよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 7日 (火)

「聞く」ことと「聴く」こと

プロでもアマでも、リハーサルをして練習を重ねて、そして本番を迎える。

いかにして短時間に自分の想う音楽に近づくかは、やはり指揮者の一番の悩みどころ。
限られた時間の中、音楽的な欲求を犠牲にしても全体の交通整理に時間を割かねばならないこともしばしば。
プロのオケが相手だと、まだまだ駆け出しの僕では自由にふんだんに練習コマ数(=練習時間)を増やすわけにもいかない…
むしろアマチュアのほうが、技術の向上もしながらじっくりと音楽に取り組める、と言う事もあるのかもしれない。
その分ただ効率を求めるのではなく、日々のリハーサルに、楽しさと苦しさ、即効性のある練習と将来を見据えた練習の両立、そして何より心地よい疲労感がなければいけない。
まあ、指揮者の苦労と喜びはどんな舞台でも変わらない、と言う事だろう。

いずれにせよ、予定通りの効果をあげて、完成への階段はしっかりと登りたい。
なんてことを考え過ぎていると、時々見失う。
「音楽を聴くこと」を。
ついつい「音を聞いて」仕事をしてしまう。
これって結構重要なんだよなぁ…

「ピアノを弾く。練習して技術を上げながら、何とか弾きこなす。精一杯弾きこなす中に自分の音楽を注ぎ込むが、自分の力量の中でしか音楽を語れない」
と言うような事を最近も書いたけれど、オケ相手でもそう。
気が付くと現在の技術力の中で音楽を作ってしまう。
すると自由な想像力が凝り固まった悪しき因習へと傾き始める。

もちろん、仕事としては目の前の「音を聞いて」リハーサルをすることがほとんど。
でもそこにおかしな形でハマってしまうと「自分の中から発せられる音楽」も「人から発せられる音楽」も気が付くと「聴いて」いない。
ただ目の前の症状に対症療法の薬を出す不勉強な医者みたいに。

そうならないようにいつも必死で自分の尻を蹴っ飛ばしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 2日 (木)

晩夏と残暑 2010

毎年この時期になると似たような文章を書く。
他の季節ではそれほどこだわらないのに。
季節時節の移り変わりの中でも、この季節だけは特別なのだ。

夏も好きだが、春も秋も冬もそれぞれ大好きだ。
季節の移りゆく期間も好きだ。
春に浮かれ、夏に浮かされ、秋に想い、冬に語る。

夏が近づくときと冬が近づくときには無条件にワクワクする。
春も秋もワクワクするのだが、こちらはちょっと別の要素が加わる。
春に向かうときにはワクワクのほかに「寂しさ」が、
秋に向かうときには「切なさ」と「ちょっぴりの焦り」、とが。

切なさは「刹那さ」に通ずる。
儚い、過ぎゆく時間を惜しむのだ。

「秋」、と呼ぶにはあまりに残暑が厳しく、
「残暑」、と呼ぶには盛夏の日差しそのままで、情緒の入り込む余地のない、容赦ない暑さが続いているが、
それでも暮れゆく陽の色・灯の色に、長くなっていく残照と夕暮れに、短くなっていく昼間の時間に、やはり秋の匂いはしはじめている。

夕陽を見に、

行きたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

借り暮らしのアリエッティ

観た。

面白いかったか?と問われれば「それなりに面白かった」と答える。
楽しめたか?と問われれば「僕なりには楽しめたと答えよう。
好きか?と問われれば「僕は好きだ」と答えるだろう。

音楽も演出も映像もそれぞれ及第点、というか、きっと高いクオリティなのだろう。
たぶん。
面白かったし楽しめたし好きだ。

でも、「これは俺の一押しだ!絶対観るべき!逃してはならん!」と人には言えない。
人によって好みも評価も様々あろうし、当然賛否も両論なのだろう。

まあ、クドクドしたり顔でぬかすつもりは毛頭ないけれど、
ひと夏の思い出の一つとして、薄めの印象の映画だった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

アメリカシロヒトリ

小学生の頃、通学路は桜並木でした。
春になるとそれはそれは見事な花が満開になり、お花見の人たちで夜までにぎやかでした。。
ところがある年その道は恐怖の道と化しました。

何がどうしてそうなったのか、「アメリカシロヒトリ」という蛾の幼虫が大発生したのです。
真っ白な毛の生えた毛虫。
毒はないそうで、特に危険ではないらしいのですが、毛虫嫌いの僕としてはそれはもう登校拒否になるぐらいの大問題。

地面には蠢く幼虫やら死骸やら、次から次へと上から降ってくる恐怖。
大発生した時のおぞましさは今思い出しただけでも鳥肌が立ちます。

近所の悪ガキどもで、ゴミ捨て場にあるお酒やら調味料やら化粧品やらの瓶の中身を集めて「毒薬」なるものを調合して毛虫にかけたりしていました。
もちろんそんなことで駆除できるはずもなく、桜も大打撃、地面は毛虫の死骸で埋め尽くされた状態。

苦情によるものか業を煮やした行政によるものか、駆除の作業が行われたのか記憶は定かではないのですが、徐々に毛虫の数が減っていき、やがてほとんど目にしなくなりました。
本当に恐ろしい思い出です。

そんなことはすっかり忘れて暮らしていましたが、最近のニュースを見てびっくり。
今年はあちらこちらで大発生の兆しがあるそうな。
ああ、考えるだに恐ろしい…

どうか「家の近くで大発生」なんてことになりませんように…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »