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2011年4月18日 (月)

福島の桜

いつの間にかめっきり春めいて…というか、関東では夏日にまでなっているところもあるようですね。
満開だった桜も緑色が目立つようになってきました。
ピンクと緑の配合を見ていると、無性に「櫻もち」が気になります。
子供の頃はそんなに好きじゃなかったのに…

母の選挙もあり多忙な日々が続いていましたが、やはり一番の危惧は原発。
絶対に許すことはできませんね。

なかなか筆の進まなかった、と言うか作曲に取り掛かるモチベーションが上がらなかった「サックス・デュオの為の協奏曲、完成しました。
3楽章からなり、それぞれ「Player」「Prayer」「Interplayer」という題名。
Player=奏者、戯れ Prayer=祈り、祈る人 Interplayer=交錯、相互作用 といった意味があります。
是非聴いてほしいです。
初演は4月30日横浜の瀬谷公会堂で1:30から。
今や押しも押されぬ、サックス界若手トップ、「田村兄弟」の兄弟初共演です。
ちょっと遠いですが、是非! 

さて、震災後初めて福島を訪れました。
今年初リハーサルとなった福島市の楽団。
震災のため大きく予定が変更になりました。
演奏会場も被災して使えなくなったのですが運良く他の会場が同じ日にとれたんだそうです。
それも実際に使用の許可が正式に下りたのは今日の事だそうです。

練習場所や本番の会場が避難場所になっていたり、被災者救援の拠点になっていたり、と他の楽団が活動延期や休止に追い込まれる中、なんとかコンサートを開催できるのはもはや奇蹟的なことなのかもしれません。

曲目も大きく変更となりました。
僕の曲「Prayer」も演奏して下さいます。
2日間のリハを終え、みんなの音楽への情熱と愛情、そして音楽の力をあらためて思い知りました。
宮川彬良さんに福島にいる旨をメールすると、「目に見えない放射能の目に見えない恐怖と不安に負けるな!目に見えない音楽の力を信じて!」というエールをもらいました。
まったくそのとおりですね。

それにしても、関東にいて感じていたよりも被災地の姿は生々しい、現在進行形のものでした。
市内でもそうなのですから、いわんや海沿いや原発に近い地域の被災と苦悩は並大抵のものではないでしょう。
宮城や岩手、様々な被災地にも行きたい、と思います。
どうかみなさん、負けずに、一緒に頑張りましょう!
参加させて下さるならどこへでも飛んでいきます。

高速道路も新幹線もどうにか福島までは行けるようになりました。
全線が正常に開通するのにはまだまだ日数がかかると思われます。

東北自動車道に入り走り続けると、徐々に道路の痛みが目立ち始めます。
宇都宮を過ぎると、補修されて色が違う部分がどんどん増えていきます。
と同時に、大きく窪んだ所や隆起したところもあって、スピードを出していると激しく車がはねて危険なところもあります。
聞くと震災後にはそれこそもうひどい有様で、補修できるとは思えないほどだったそうです。
この短期間にここまで復旧したのは驚くべきことだとも聞きました。

福島を越えるとさらに道には震災の爪後が色濃く見られます。
一般道でも、通行止めの道路やトンネルや橋などが所々に散見されます。

そして放射能…
僕の宿泊したところは市内の東南より。
山を越えればすぐ川俣や浪江町、まさに原発のすぐ近くです。
そして放射線の量は、市内のほうが原発20km圏内の地域より高い場合もある、と聞きました。
「こんなときに来てくれてありがとうございます」とも言ってくださる方がありました。
なにを仰います、来ますよ、これから先も、いつだって。

みんな外をできるだけで歩かないように、換気扇の使用も控え、子供たちの笑い声は公園から消え、ドライブスルーでも「窓を閉めてお待ちください」と言う…本当にリアルな恐怖を短期滞在者の僕でも垣間見ることができました。
そして、住民はみんな怒っている!
綺麗な土も水も空気も、もう二度と戻ってはこない、と!

福島では、桜がちょうど満開の季節を迎えました。
例年通り美しい桜がそこここで観られます。
桜の花びらが風で舞って見事な花吹雪となって僕を包みました。
見ていた人がぽつりと、
「桜の花びらの放射線量、高いらしいよ…」

・・・
原発被害者の(世界中の人が被害者とも言えますが)怒りと現実を、少しでも伝えたい、と心から思ったのでした。

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コメント

お元気様です。
勇気を振り絞って福島へ行かれたのですね。
がんばり過ぎない様に、気をつけて下さい。
陰ながら応援いたします。

saxophoneDuoの為の協奏曲、とてもとても聴いてみたかったです。
いつかまた、何処かで演奏される機会がある様にお祈り申し上げます。

投稿: | 2011年4月18日 (月) 19時26分

「原発を許せない」「原発は悪」このような声を最近多く耳にします。この言葉を聞いた中で「原発に対する備えと対応が悪い」と考えられる人は何人いるのかと不安になります。
選挙の時だけ反原発を声高に叫ぶ政治屋さんには、ぜひ原発関係の仕事が7割近くになる双葉町の避難者の前で言っていただきたいものです。

「皆さんの今までしてきた仕事は悪行の片棒を担ぐ行為でした!皆さんの家も車も子供の服も、全て原発という悪から生まれたお金で買ったものです!でもこれからはそんなことしなくて済みます。新しい仕事を見つけて頑張ってください。」

そこで生きてた人がいて、それを誇りある仕事としてた人がいることを忘れてはいけない気がします。

投稿: ヨン | 2011年4月25日 (月) 15時18分

まったくそのとおりだね。
きちんと原発反対を唱えた候補者は、相模原市の場合はたったの一人しかいなかったよ…

原発の作業員、技術者の癌・遺伝異常の発生率は当然高い。
でもそれがなかなか表に出ない。
それを職人の一人が反対・賛成の立場ではなく、純粋に報告したものがあるんだけれど、その恐怖は読んだものを全員震撼させるよ。

危険への知識と教育はほんのちょっと。
だからずさんな現場管理が行われていることをほとんどの人が知らない。
結局被害を受けて泣くのは一番近くで働く労働者からなんだよね…
それからその家族と近くで住んでいる人たち。
お偉いさんは遠くで観てるだけ。

高度成長期の中、日本のエネルギー政策の転換期に日本の選んだ道は「新しいエネルギー」の開発ではなく、「いかに石油エネルギーを(政治的に)確保するか」だった。
その後、さらなる転換が必要になったときに、
石油確保で遅きに失してしまった日本の選ぶ道は「原子力」がいい、一部政治家が押し切ってしまった。
他の方法への開発援助等は極力削って。
そこで生み出した雇用や補償を他の物に使っていればずいぶん違っただろうにね。

確かに書いてくれたように「悪行の片棒を担ぐ行為」なのかもしれないけれど、それは一概に責めるべきではないとも思う。
その仕事についた人たちは、会社や政府の言う事を信じていたんだと思うから。
その仕事をせざるおえないように誘導された場合も数多くあり、他にも様々なケースで引っ張りこまれた人たちがいる。
とくに現場最先鋒で働く労働者たちがね。
資本社会の構図で、効率と儲けを最優先して考えられないような手作業(バケツでウラン溶液!)で大事故を起こした1996年の東海村の例もある。

原発の事を「悪」だとは知らなかった人がほとんどだったんだと思うよ。
だからこそ、それを推進した人たちには、そこで働いている人たちすべての現在と未来を保証する責任があるよね。
そこで働いている人たちの怒りや悲しみがなかなか報道されないのも不安で、かなしい。

だから、ただ単に「原発は悪だ!」と言うのではなく、原発に頼らなくてもいい発電、社会機能、雇用、を進めるべきだと思う。
新しいエネルギー開発も含めて。

投稿: YOU | 2011年4月25日 (月) 18時28分

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