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2012年3月 6日 (火)

「グレンラガン」に見る芸術

心象風景とは、
不可視の現実とは
限界を越えること、
限界の認識を越えること、
想像を越えること、

他人が作った嘘
他人が作った限界
他人が作った現実

自分が作った嘘
自分が作った限界
自分が作った現実

在り得ないことがことが眼に入るたび、
そこに理由を求める
そして謎解きの現実は実態として認識される
しかし、在り得ないことは次々に現れ
限界の認識の愚かさを知る

それでも、想像は創造を越え、
そしてまた新たな想像は新たな創造を産む

在り得ない映像の向こうには、それを現視した者のリアルが宿っている。
その映像から自らの心の眼に映るものは、自分だけの幻視かもしれない。
だが、それは確かにそこに在る。

偶然性の作品に、何らかの無意識の意図が浮き沈みする。
それはその意味でその者の個性であり、リアルだ。
だが本当に偶然性には何の感動も生む力はない。
ただの物理運動の結果だから。

ではなぜ美しい夕陽に涙が溢れるのか。
ただの物理現象の風景だが、きっとそこに、確率の偶然から産まれた生命と「心」の神秘、そしてそこから自分に繋がる道を感じるからだ。
(もっとも、多くは記憶に依るのだろうが)

クセナキスにも、ストラヴィンスキーにも、ピカソにも、デュティーユにも、ユンイサンにも、モーツァルトにも、チックコリアにも、そしてグレンラガンにも在るもの。
像が描く花畑の絵が絶対に持ちえないもの、
それがこの話の本質。

僕ももまた、螺旋の力を信じている

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