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2013年3月

2013年3月26日 (火)

グリエール

レインホルト・グリエール
ホルン協奏曲ぐらいしか知らない作曲家でした。
近年になって「赤いけしの花」とか「青銅の騎士」といったバレエ曲を吹奏楽で演奏するようになって、日本での知名度も上がってきたように思えます(吹奏楽中心かもしれませんが)

そういえば、指揮者コンクールでサンクトペテルスブルグに一月ほど滞在した際、何人かの指揮者たちと連立って青銅の騎士の像を見に行きました。
市役所前の広場でそれらしく像を見つけ、あったあった!と記念撮影していたら通行人に、「それ、ピョートルの像だと思ってるなら違うよ。それはニコライ!」と言われ恥をかいたのを思い出します。

それにしてもこの作曲家、ほとんど知らなかったのです。
バレエ音楽の抜粋を聴いた限りでは、所々に琴線に触れるメロディや面白いアイディアはあるものの、それほど世の中でヒットしていない(ように思われる)のだから、瞬間的な才能の開花なのかな?ぐらいに思っていました。

ところで、アマチュアのオーケストラの演奏会の曲目というのはどうしても保守的になりがちです。
というのは、僕にとってはポピュラーに思える曲を提案してもマニアックに、或いは革新的にとらえられることが多いからです。
また、やっぱり人気のある曲はみんなやりたがるわけで、そんな名曲は百花繚乱数え切れずあるわけで、つまり決して悪い意味で保守的なわけでなく、やりたい曲が集中する、ということなのでしょうね。
1年に何回も演奏会がある楽団ならば、冒険や変化球もやりやすいのでしょうが。

今回、ある交響楽団から依頼された演奏会のメイン候補は「グリエールの交響曲第1番」
グリエールの交響曲でかろうじて知っているのは第3番ぐらい。
もっと他に良い曲あるんじゃないの?なんて思っていたのですが…

「これは、いいものだ」
1900年作曲。
グリエール25歳の時。
ワーグナーやロマン派の影響が強い、という見方もあるけれど、それよりも感じるのはロシアの民族的な要素。
リヤードフやボロディンがロシア民謡に根差した情緒性で作曲した曲に近い印象。
バラキエフやムソルグスキーにも同じように感じる部分が多い。
グラズノフやミャスコフスキーもそうなんだけれどもう少し垢抜けた感じ。
チャイコフスキーやリムスキーは少しその要素は減る感じ。
もちろん、曲によるけれど、全体的な僕のイメージ。
同年代のラフマニノフやスクリャービンはまた違う印象。

それにしても25歳のグリエールが自分の将来を世に問うべく発表したこの交響曲第1番。
主題の関連と発展、全体の構成やオーケストレーション、調性や拍子の選択、等々…稚拙、とは言わないまでもまだ発展途上の域にある、との見方も世に多くあるようです。
が、25歳のグリエールが自分の未来を賭して書き上げた当時の彼の最高作品なのです。
そんな玄人ぶった捉え方などせずに、その才能を全力で受け止めるべく楽譜を読んでいくと、この若い作曲家の前途洋々たる成長を感じずにはいられないのです。

1楽章最初のクラリネットのメロディは和声も含めて(出典があるかどうかはわからないけれど)ロシア民謡そのものです。
様々な民謡風の主題は全楽章を通じて登場し、この交響曲全体のイメージを創り上げているといえます。
それにしても所々に現れる、当時近代の他の作曲家が思いつかなかったであろうアイディアがとても面白いのです。
当時の作曲家たちは絶対にそれに気が付いたはずですから、「しまった、やられた!先を越された!」と思った人もいたかもしれません。

この交響曲を語るのにどうしても思い出すのが、ラフマニノフの「交響曲第1番」
学生時代から天才の評を受けていたラフマニノフが、やはり世に問うべく発表したこの交響曲第1番は大変な悪評をもって受け止められてしまいます。
それがもとで精神的に打撃を受けたラフマニノフは作曲が出来なくなってしまいます。
精神科医による治療を受けて再び作曲の筆を取り戻した彼が発表して、世界中にその名を轟かせるきっかけになったのが、かの「ピアノ協奏曲第2番」だったのです。

ラフマニノフはその後の交響曲第2番でも3番でも名声を博します。
が、交響曲第1番だけは生前、出版も録音も許しませんでした。
彼をそれほどまでに追いつめたこのいわくつきの作品、気になるでしょう?
現在では楽譜も録音も手に入るのです。
なぜ手に入るのかは詳しくわかりませんが…

そして楽譜を手に入れて録音を聴いてみると、そんなにバッシングに遭う理由がわからないのです。
確かに未熟な部分もあるかもしれませんが、それよりもこの若い作曲家の瑞々しい感性とアイディアに、これから生み出される曲達への期待を込めて、ワクワクするものを抑えられないのです。

あれ?
そう、グリエールの交響曲第1番との共通点に驚かされるのです。
どちらも新進気鋭の作曲家によるチャレンジングな、“第1番”なのです。
1873年生まれのラフマニノフが交響曲第1番を発表したのが1895年22歳の時。
1875年生まれのグリエールが交響曲第1番を発表したのが1900年25歳の時。
ほとんど同時期のお話なのです。
しかし、ラフマニノフは方向を変化させ、グリエールは同じ方向で自分を進化させていったのです。
それが良かったのか悪かったのかは、わかりません。

ラフマニノフは最晩年、亡命先のアメリカで故郷を想って最後の大きな作品「交響的舞曲」を書き上げます。
そして第1楽章の最後に「交響曲第1番」のメインテーマを用いるのです。
そこにあるラフマニノフの心に想いを馳せるとき、何かとっても大切なものを見つけられるような気がするのです。

グリエールがどこに行きついたのかは実はまだよく知りません。
この愛すべき交響曲第1番を仕上げたあと、グリエールの晩年の曲を聴いたとき、そこに何が見えるのか、楽しみです。

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2013年3月25日 (月)

巨人の星

久々に変な夢を見た。

野球のグラウンドで僕はキャッチャーにに向かって投球をしている。
なぜか外野、ライトの位置から投げていて、どうやらキャッチャーは伴宙太、バッターは花形満のようである。
ということは僕は星飛馬?

背後に人影も感じる。
とうちゃん?

その距離から僕は投球を続ける。
なぜかボールは真っ赤で、それもつるつる。
ツルッツルなのだ。
感触としてはコンビニの袋みたいな感じ。

それで全力投球するのだから力が入らない。
だがなぜか全部ど真ん中ストライク。

「だめだ、だめだよ!」
とがっくり膝をつく飛馬(僕)

突っ込みどころが多すぎて何が何だかわからないうちに、父ちゃんが僕の肩を優しく抱いて「もういいんじゃ…」

そして流れてくるエンディングテーマ。
スロウなロックで。

…そこで目が覚めました。
いったい何の暗示?
僕は時々よくわからない夢を見ますが、今回は夢自体が久しぶり。

目が覚めてまだ口ずさむことができたエンディングテーマ。
どう考えても聴いたことがないのです。
どうやら夢の中で作曲したようです…

夢の中でどんどん作曲できたら、こんなに楽なことはないのに…(^_^)

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2013年3月21日 (木)

効果音

効果音が鳴ればいいのに…と最近よく思うのです。

というか、自分の中ではよく効果音が鳴っています。

「バーン!!」
「しゃき~ん!」
「ピ~ン!」
「どぅふ!」
「てってれ~」
「ふぁんふぁんふぁんふぁぁぁ~ん…」

なんて話を若い音楽仲間に話したら、
「じゃあ僕らが友さんの心情に合わせて音を出しますよ!」
と言ってくれました。

僕の動きに合わせていろいろ音を出してくれます。
これが、かなりの快感なのです!

そうそう!
この場面にはその音!

ただ…
この効果音
有料なんです…

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映画いろいろ

今年から来年にかけてバレエやミュージカルやオペラ、舞台音楽を手掛ける機会が多そうです。
その中の一つの打合せ…と理由をつけて演出&脚本のNさんと万座温泉に行ってきました。

ここは僕の、いわばホームゲレンデ。
その昔「私をスキーに連れてって」が流行った頃にはゲレンデミシュランで1位に輝くほどの人気ゲレンデ。
アルバイトをしていた事もあります。

2000メートル級の標高で、最高の雪質と最高の温泉!
あわよくば打合せの合間にひと滑り…なんて考えていたのですが…

いつもならば長々と続く雪道は全くのドライ。
そして、雨!
と言うわけでスキーは断念して真面目に打ち合わせを…

しかし時間はたっぷり。
絶景の露天風呂に浸かって、美味しい料理とお酒。
それでも時間がある贅沢な一日。

様々な舞台・音楽談義と、資料と称して映画を観まくりました。
以下ネタバレご注意。

「ミュージカル銀河鉄道の夜」
まったく自画自賛ですが、久しぶりに聴くと、いい曲なんです!
恥ずかしながら感動してしまいました。
作曲家として観ることはできないものですね。
指揮者として観てしまいます。

「ただ君だけをAlways」
ハン・ヒョジュ主演の韓国映画。
ヒョジュはどこまでも明るく可愛い。
あんな風に屈託のない笑顔を持ち続けたいものです。
僕が思うには…男性主人公はどこまでも心の孤独な青年で、そんな自分の弱さを知るから、自分を責め続けている。
暴力や短絡から逃れきれずにいる自分を。
だから一度身を引いた後に偶然再会した彼女の前から、完全に姿を消すことができなかった。
二人の迎えるラストシーンはだからこそ人間味に溢れていて、一見ご都合主義のハッピーエンドに見えても、その実、弱さと向き合う青年とそれを許す彼女がストレートに描かれているのだと思うのです。
僕は、好き。

「ニューシネマパラダイス」
言わずと知れた名作。
僕もNさんも最も好きな映画の一つ。
思い入れ強く観てしまうのは、もう必然。
もちろん音楽も素晴らしいのだけれど、映像もストーリーもほんとに見事。
ただ、「兵士と王女の例え話」とラストの解釈については考えが異なりました。

兵士の純愛に心打たれた王女は「100日の間窓の下で待っていてくれたならば私はあなたのものになりましょう」と兵士に話します。
99日の間雨の日も日照りの日も耐え続けた兵士は、100日目の朝を待たずに最後の夜に立ち去ります。
彼はなぜ立ち去ったのか…
王女が与えたもうた試練を乗り越えた先で彼に見えたのは、真実が手に入るのをおそれたのか、王女の心に潜む変わらない格差の心に愛想を尽かしたのか、成し遂げたことへの充足感なのか、難題をこなしたのにいなされることへの恐怖だったのか、手に入るものは自分の許容を超えると逃げ出したのか。
答えはどうあれ僕は、彼は目を伏せて、しかし真っ直ぐに立ち去ったと思うのです。

もう一つ、ラストで、アルフレードの葬式で故郷にいるトト(サルヴァトーレ)にかかってくる電話の主とエレナとの結末。
エレナの想い出から逃げるように故郷を捨てたトトは、成功はするけれど結局エレナの影を引きずり続けている。
女性とも本気で愛し合うことが出来ずに。
僕が思うに…エレナとの邂逅は長かった疑問と誤解の日に答えをもたらし、止まっていた時計の針をもう一度動かす事になったのだ、と。
だから二人には幸せな未来を期待しちゃうのですが、やはり終止符を打つしか道は残されていないように描かれているようにも見えます。
しかし、トトの時間は動き出し、本当の意味で先に進むことができるのだ、と思うのです。
また、一見希薄な関係の数多の女性の中の一人だと思われたトトの家のベッドの女性は、実はトトをきちんと愛している女性で、それ故のしつこい電話であり、母の言う「声から愛が感じられない女性」では今後なくなるのではないか、と思うのです。
そしてトトはその女性を愛することができるようになるのだ、と。

でも、本当は、アルフレードからの贈り物を観ているトトのところに、エレナが現れる、という妄想を捨てきれないのですが…

他にも帰宅後に「ブレードランナー」「ヒラリー&ジャッキー」「シャイン」「シカゴ」など観まくってしまいました。
ああ、やらなきゃいけないことがたまっているのはわかっているのです…
お待たせしている各方面の皆様、ごめんなさい…
この日だけです、から…

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2013年3月10日 (日)

コンピューターのお話2013

※コンピューターの興味ない人は読むと疲れます(^_^;)

僕の長年愛用しているコンピューターは、SONYのVAIOシリーズ。
現在もメインのディスクトップに加え、ノートやタブレットなど。
有体に言えば、SONYファンなのです。

ノートは去年1台、一昨年に1台、それぞれ購入。
タブレットも一昨年買って去年買い替え。
メインのデスクトップは今年が替え時。

専門的な話になってしまいますが、コンピューターのCPUの最大手、インテルの開発ペースは最近は1年サイクル。
実質はアーキテクチャとプロセスの進化を1年毎交互に続ける、チックタックモデルと称する、約2年毎の開発戦略。

今年の春はアーキテクチャが更新される「タック」の年。
Ivy BridgeからHaswellへの進化。
プロセスは同じだし、ターボブーストも引き継いで大きなクロックアップもないと思われます。
でも、もちろん性能はアップ。
一番気になるのは所謂4K解像度への対応。
まあ、そんな大きなモニターは当分手に入りそうもないけれど。
(SONYブラビアでは100万円もするのです(>_<))

さてさて、現行のデスクトップPCはCore2QuadをCPUとするWindowsVista(32bit)機。
主に楽譜を書くのと音楽制作、映像をちょこっと編集するぐらいにしか使わないので、機能もスピードもそれほど困ってはいないのですが…
新しいのがほしくなっちゃうのです…なぜか。

ところで、使っているモニターは24インチで1920×1200の解像度。
最低でもこれぐらいの解像度はほしいところ。
ところが、現行のSONYのVAIOにはもう縦が1200のモニターはないのです…
やっぱり楽譜を書くには作業領域が広い方がありがたいのですが…
そのうえ、性能的にも高いもの、所謂ハイエンドの機種は存在しない。

世界のソニーがそんなことでいいのか!と、いろいろ手をまわして開発情報を聞き出したところ、「しばらくは以前のような映像や音楽に特出したものは作らない」と断言されてしまいました。

う~ん、では満足のいく高解像度の機種は…
ここで俄然候補に挙がったのが「iMac」
解像度は2560×1440(!)
デザインも良いし、近しい友人にMACに詳しい人もいるし、いよいよ僕もMACユーザーか!
と思ったところに目に入ったのがデザインそっくりの某Windowsマシン。
同じ解像度だがタッチパネル!
楽譜を書く際に驚くほど重宝するのがこのタッチパネル。
紙感覚で画面上の楽譜をスクロールできるのです。
ノート上でも快適なのでさぞかし便利なのでは?
ということで衝動的に購入してしまいました。

ただひとつ不満、というか不安なのがグラフィック。
グラフィックカードはNVIDIAのGT640Mしか選べないのです。
iMACはなんとGTX675MXかGTX680MX
つまりはグラフィックの性能を選ぶかタッチパネルを選ぶか。

う~ん、どなたかコンピューターに詳しい方、GT640MからGTX680MXへの換装を指南してください。
それともそれは不可能…?
(ちなみにチップセットはH77Express)

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2013年3月 9日 (土)

ドルチェ

浜松の吹奏楽団の客演を終えました。
素敵な本番、素敵な出会いでした。
清水さん、どうもありがとう。

少ない練習時間の中で、どれだけのことができるのか。
いつも楽しみで不安。

「直し、整え、創る」
出来ないところを直し、
個々の演奏、個々の奏者の才能を整理し、
一つの音楽へと紡いで、創りだしていく。
その上に、「種を播き、育て、鍛える」こともできれば最高なんだけれど。

すべてを満足いくように、というのはもちろん難しいんだけれど、それでも妥協せずギリギリまで取っ組み合う。
その結果、今回も素晴らしい演奏に出会えました。

打ち上げの時、
「最後の音が鳴った時、ああ、この素敵な時間が終わっちゃうんだ、と思って涙が出そうになりました」
と言いながら泣きべそかきながら話してくれた人がいました。
僕も同じ思いをしたんですよ。

その想いを抱えたまま演奏した次の千葉でも、小さな、でも素敵な音楽の卵に出会えて、幸せをたくさん感じたのでした。

イヤなこともたくさんあるけれど、あの感動をまた味わいたくて、次の山へとまた挑むのですね。
いくつになっても青い衝動で動いている自分に、嫌気もさすんだけれど。

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白い春

今年も白い春が来る。

ドラマの「白い春」で描かれる”白さ”は純粋で清らかで、
自分の心の奥の大切なものをもう一度信じられる。
自己啓発や説教とは違う、また共感や感動ともちょっと違う。

認めるけれど負けないこと
気付くけれど恥じないこと
愛するけれど求めないこと

白くあり続けたい、と思うまでもなく、結局いつまでも白いばかりのキャンバスを抱えて、明日を生きていく。

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眠れぬ夜

ただ正直に、好きなものは好き。
手を抜くはずもなく、真っ直ぐに。

今はそれだけで良い。

小難しい政治力や作戦なんて出来ないから、
辛い思いもするけれど。

まあ、それはそれ。

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