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2013年9月

2013年9月20日 (金)

ルトスワウスキー

ウィトゥルド・ルトスワフスキー
ポーランド生まれの作曲家

高校生の頃は欲しいレコードがあってもおいそれと買えるほどお金は持っていなかった。
買えるのは比較的古い録音の所謂「廉価版」が多かった。
確か1300円ほどのものが主流。
憧れの指揮者やオーケストラの最新版レコードはちょいと高くて、2800円~3000円ほど。
少しでもいろんな音楽を聴きたかった僕は当然廉価版をよく購入した。

ストコフスキー、ジョージ・セル、アンセルメ、オーマンディーあたりが多かった。
あらためて聴くと、今の僕の原点…とは言えないまでも、とても懐かしい演奏ばかり。

それでも時々は話題のレコードや憧れの演奏を手に入れた。
その中の一つが小澤さん指揮のヤナーチェク作曲のシンフォニエッタのレコード。
そして、B面に入っていたのが、初めて知る作曲家、ルトスワウスキー作曲の「管弦楽の為の協奏曲」

衝撃的だった。
虜になって様々なレコードや音源を手に入れて楽譜も買った。
音源の手に入らない室内楽は友人と録音したりもした。
(余談だがバルトークの「管弦楽の為の協奏曲」しか知らなかった僕は、この劇的な作品にほれ込み、コダーイ、シェーンベルク、ヒンデミット、等々同様の作品を貪るように探し回り、いつか自分も作曲しようと画策している)

かくして、僕にとってルトスワウスキーはデュティーユ、ユン・イサン、ジェフスキーらと並ぶ憧れの作曲家のひとりとなった。

ところが、彼のオーケストラの作品となると、なかなか指揮をする機会には恵まれず、いつしか熱も冷めかけていたのだが…
最近ひょんなきっかけで、またいくつかの作品を聴いて熱が再燃!
やっぱり素晴らしい!

ところですっかり忘れていたのだが、ルトスワウスキーの生誕年は1913年。
なんと!今年なのだ!
各地で記念の演奏会もあったようだが、自分と関わりのあるところではあまり話題に上らなかった。

何という迂闊!!

とは言うものの僕一人で何かできるはずもなく…
しかし、願いはいつか必ず叶う、が信条。
やりたい!と願っていればきっと夢叶うはず!

というわけで、
ルトスワウスキーやりたい!

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2013年9月12日 (木)

涼しい風とエリック・サティ

朝夕は寒いくらいになってきました。

なんだかんだと忙しい、今年も後半戦に突入です。
いろいろ考えることも多くって、今日も徹夜になりそうです。

音楽の息抜きはやはり音楽で(「現実逃避」、とも言いますが)
で、久しぶりに引っ張り出したのが”エリック・サティ“のピアノ曲。

1986年にサティ生誕120年で企画された全音出版のサティ全集。
当時大学生だった僕にはもちろん全巻一度に買うことはかなわず…
少しずつ買い揃えていった全13巻。

ところが、どう探しても4冊しか見当たらない…
誰かに貸したのか捨ててしまったのか…

サティは1866年の5月17日生まれ。
ちょうど100歳違いのこの奇才に、当時は魅かれたり、そのユーモアを支えているものが理解できなかったり。

まともに弾くのは本当に何年振りでしょうか。
新たな発見がそこにもここにも。

まいったな、こんなに新鮮に感じるなんて。
まだまだ音楽探訪の旅は入口なんでしょうね。
人生一度じゃ足りないなぁ…

なんてことを思いながら屋上で煙草を一本。
初秋の夜が明けていきます。

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シュレーディンガーの猫

簡単に言えば、物理学の、量子論のお話。

しかしまあ、哲学的な意味があるというわけで、僕が次に手がけるミュージカルにちょっとだけあらわれるお話。

誤解を恐れずに、ものすごく簡単に思考実験を解説すると…

小さな箱の中に猫がいる。
ふたがしてあって外からは見えない。
猫は一時間の間に1回だけ水を飲む。
水の入ったコップは2つあり、一つには致死量の毒が入っている。
さて、一時間後の猫の状態は「生きている」のか「死んでいる」のか。

というお話。
(本来は水ではなく、アルファ崩壊する放射性原子を用いて、量子学的確率論、シュレーディンガー方程式による二つの波動関数、つまりは量子確立と量子状態のパラドックスを解説しようとした。このマクロの視点とミクロの視点が無ければ本当は意味がないのですが…まあ、)

ヘンなお話、とお思いでしょうが、さて、猫ちゃんの状態を何と呼ぶ?
「死んでいる」?、「生きている」?

これは、ふたをあけて二つの波動関数の矛盾を解消するまでは、「その両方である」となるのです。
「生きている」と「死んでいる」が混じり合った状態。
つまり、「生きてもいるし、死んでもいる状態」ということ。
重なり合う波動関数。
それらが一つの観測結果に収束するのはいつなのか?

面白いのはコペンハーゲン解釈や多世界解釈の違いによる考察。
ミクロな世界とマクロな世界の境界、ヒトの意識の介入、等々…要因を経て収束(生きているか死んでいるかどちらか確定)する、というもの。
中でも「エヴェレット解釈(多世界解釈)」では、「収束はしない」とされているのです。
観測している我々人間の中にも、「死んだ猫を見ている人間」と「生きている猫を見ている人間」の量子的重ね合わせ状態が生まれる、というわけです。
つまり、見る人によっては「生きている状態」と「死んでいる状態」がそれぞれ真実(観測結果)として存在するのです。

ああ、物理って奥深く、面白いとは思いませんか?
でも、ミュージカルの中では「心の中に生ずる相反する(ように見える)二つの想い」についてのみ語られます。

「五代さんも好きだけれど三鷹さんも好き。50%同志の二人、ではなく二人とも100%なの」
「あなたの顔が好きだけど心が嫌い。打ち消し合って0(ゼロ)になるのではなく、そのどちらもなのよ」

・・・
こんな風に書くとちょっと薄っぺらくなってしまいますが…
ミュージカルではもう少し哲学的に語られます。

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2013年9月 3日 (火)

夏の終わりのノクターン

毎年この季節に思う。

往く夏の、晩夏の、挽歌。

僕の中の原点は、高校生の夏休みの想い出。
思い出すと小さく胸がちくりとする、あの気持ち。

それ以上に思うのは、あの頃憧れた未来の自分への思い。
具体的な夢などなく、当然何の準備もなく、
いくつかの恋をなくして、少しだけ大人になったつもりでいたあの頃。
今思っても、未来は霧の中だった。

夏の夜は長くて、そして切なかった。
それでも昼間の昂揚は仄かに残っていて、眠らない夜に思うのは、今日の心地よい疲労の記憶と明日の予定へのワクワクだった。

秋の夜はやっぱり長いけれど、夏とは違う。
いろんなことを考えるんだ。
きっといろんなことを思うんだ。

ノクターン=夜想曲
夏の夜想曲と秋の夜想曲。

思えば思うほど、
考えれば考えるほど、感じるのは。
やっぱり今のこの切ない思いは昔の自分へのオマージュなどではなく、
今の自分の感覚。
今を生きる今の自分の切ない思い。

そしてやっぱり、
未来は霧の中なのです。

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会いたい人

会いたい人がいて、

すごく会いたい。

ご無沙汰しちゃってすみません…

行動力がなくてホント申し訳ないんですが、

企画したい、と常々思ってはいるのです。

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ちょっと愚痴

動いている。

自分の周りでいろいろと。

それはとっても嬉しいことなのです。

仕事も世界もどんどん広がるのですから。

でも、同時に進めなきゃいけないことが多すぎ。

わかってる、わかっているのです。

能力はまだ大丈夫。

でも、プレッシャーやストレスには同時にいくつも耐えられない。

しかし、まあ、乗り越えた後には、

自分の大きなステップアップを得られるのです。

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