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2013年9月12日 (木)

シュレーディンガーの猫

簡単に言えば、物理学の、量子論のお話。

しかしまあ、哲学的な意味があるというわけで、僕が次に手がけるミュージカルにちょっとだけあらわれるお話。

誤解を恐れずに、ものすごく簡単に思考実験を解説すると…

小さな箱の中に猫がいる。
ふたがしてあって外からは見えない。
猫は一時間の間に1回だけ水を飲む。
水の入ったコップは2つあり、一つには致死量の毒が入っている。
さて、一時間後の猫の状態は「生きている」のか「死んでいる」のか。

というお話。
(本来は水ではなく、アルファ崩壊する放射性原子を用いて、量子学的確率論、シュレーディンガー方程式による二つの波動関数、つまりは量子確立と量子状態のパラドックスを解説しようとした。このマクロの視点とミクロの視点が無ければ本当は意味がないのですが…まあ、)

ヘンなお話、とお思いでしょうが、さて、猫ちゃんの状態を何と呼ぶ?
「死んでいる」?、「生きている」?

これは、ふたをあけて二つの波動関数の矛盾を解消するまでは、「その両方である」となるのです。
「生きている」と「死んでいる」が混じり合った状態。
つまり、「生きてもいるし、死んでもいる状態」ということ。
重なり合う波動関数。
それらが一つの観測結果に収束するのはいつなのか?

面白いのはコペンハーゲン解釈や多世界解釈の違いによる考察。
ミクロな世界とマクロな世界の境界、ヒトの意識の介入、等々…要因を経て収束(生きているか死んでいるかどちらか確定)する、というもの。
中でも「エヴェレット解釈(多世界解釈)」では、「収束はしない」とされているのです。
観測している我々人間の中にも、「死んだ猫を見ている人間」と「生きている猫を見ている人間」の量子的重ね合わせ状態が生まれる、というわけです。
つまり、見る人によっては「生きている状態」と「死んでいる状態」がそれぞれ真実(観測結果)として存在するのです。

ああ、物理って奥深く、面白いとは思いませんか?
でも、ミュージカルの中では「心の中に生ずる相反する(ように見える)二つの想い」についてのみ語られます。

「五代さんも好きだけれど三鷹さんも好き。50%同志の二人、ではなく二人とも100%なの」
「あなたの顔が好きだけど心が嫌い。打ち消し合って0(ゼロ)になるのではなく、そのどちらもなのよ」

・・・
こんな風に書くとちょっと薄っぺらくなってしまいますが…
ミュージカルではもう少し哲学的に語られます。

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