夢の道、或いは遠くへ旅立った友へ。
夢がある。
夢をたくさん持っている。
と、思っていた。
昔、ある男がいた。
その男に僕は言った。
「お前夢はあるのか?」
男は答えた。
「ある」、と。
男は言う。
「ただ平穏に暮らしたい。そこそこに食べていけて愛する家族がいればそれで良い」、と。
僕は彼を責めた。
「それで夢と言えるのか?もっと大きな、若者らしい夢はないのか?」、と。
しばらく黙った後で彼は、やっぱりそれ以上はないと答えた。
僕には夢があった。
溢れるほどの、抱えきれないほどの、夢があった。
夢が未来への原動力だと信じていたし、自分の可能性とまだ霧の中だった自分の未来へ想像を膨らませていた。
僕はさらに彼を責めた。
そしてとうとう彼は大きな声を出した。
夢がなくて何が悪い!
夢なんかなくたって生きていける!
夢を持っていることがそんなに偉いのか?
そんな自分の価値観を人に押し付ける権利があるのか?
ショックを受けたが、その時はそれだけだった。
価値観の違う、つまらない男だと思っていた。
僕も若かったし、彼ももっと若かった。
でも、あれからいくつもの季節を越えて、わかりかけてきたことがある。
あの時の彼の気持ち、今なら少しわかる。
彼があの時口にした夢はそれはそれで本物だったし、そして同時に見るべき夢を探し求めてもいた彼の言い訳でもあったのだ。
それを僕が責めたのはもちろんお門違いだが、図星をつかれて悲しかったのもそれはそれで真実なのだ。
その彼は今、温かい家族と共に、夢を持って生きている。
今、夢らしい夢がない、と言うなら、それはそれで幸せだ。
これから自分の前にどんな夢が現れるのか、どんな夢が見られるのか、それはそれで楽しみではないか。
焦る必要もないし怯える必要もない。
ましてや、引け目を感じる必要などない。
引け目?誰に対して?何に対して?
ちょっと休んで、たくさん遊んで、
で、何か見つかれば良いし、見つからなければそれはそれで良い。
夢が未来へのチケットだと、それは今でも信じている。
沢山の夢を抱えて生きている。
だから、僕は思っている。
夢はきっとあなたに喜びと悲しみを運んでくる。
悲しみを恐れれば喜びは少ない。
だけどまあ、ゆっくり生きましょう。
夢を持つ夢を見るのも、また夢の一つだから。
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