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2015年4月

2015年4月14日 (火)

Pop Dance Suite

今日15時から白寿ホールにて僕の「Pop Dance Suite」が演奏されるようです。

昨日連絡もらったので(正確には以前から聞いていたのに忘れてました)、昼間の仕事をやりくりして、何とか間に合うか?
しかし、僕としてはかなり好きな作品。
吹奏楽版も作ってみたい。

お暇な方、白寿ホールへGO!

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2015年4月10日 (金)

交響曲~矢代秋雄

かなりのコアなお話です。
興味のない方はとばしてください。
オタク…な話ですから。

矢代秋雄さん作曲の「交響曲」

以前、少しこの曲に触れてからもう6年も経ちました。

本当に、僕にとって想い出深い、大好きで思い入れのある作品です。
僕の運命を変えた、と言ってもいいくらい。
井上道義さんは吹奏楽で全4楽章を演奏した際に、リハ初日でアツ~くこの曲と矢代先生について1時間も語ったそうです。
その時のメンバー(中央音楽隊)のお話では、「1時間とまでは言わないけれど、確かにアツく語っていらした」のだそうです。
去年、新実先生と西村先生と飲んでいて、まさに生の矢代先生や三善先生のエピソードを聞けたのは、幸せでした。

その作品を吹奏楽で演奏することについて。

まだ子供だった僕は、恥ずかしながらこの曲をまず吹奏楽で知ったのでした。
もちろん、管弦楽の為に書かれた曲。
吹奏楽で演奏するなんて想定外の音楽。

しかし、吹奏楽でもこの曲を演奏する機会があるならば、その気は逃したくない、と言うのも本音。
作曲者の意図と違う編成で演奏する以上、少しでもその音楽的意図に近い演奏をするべき、でしょうね。

①管弦楽の音を出す(目指す)ことのみを目的とする。
②演奏効果の高いオーケストレーションを優先して作曲者の意図を損なう。
③カットして演奏する。

と言う3点については避けたいですね。
違う編成で演奏するマイナス面があるなら、違う編成で演奏するプラス面も何とか見出したいものです。
吹奏楽でもこの曲の良さが引き立つ演奏をしなくては。

ざっと見渡しただけでも10種類以上あるのですね、この曲のアレンジは。
自分でも編曲しましたから言える部分、言えない部分、もありますが…
出版社に交渉すれば誰でもこの曲を編曲できます。
期限付きで、もちろん有料です。

で、言えるのはやっぱりきちんとした編曲もあるなぁ、と言うこと。
特に、さすがは○○さんや○○さんだ、と言うアレンジもあるのです。
ではなぜ昔、他の編曲に苦言を呈してしまったのか…
それは、大きく言えば、

・出版譜の間違いの考察不足
・作者の意図を損なう編曲
・カット

といったあたり。

でもまぁ、
それも好みの問題かもしれませんが…

例えば…(4楽章)
「冒頭のHornがきついのでTubaを足す」 ⇒ それはないでしょう…
では、
「(B)のHarpの低音にCb.のPizz.を加える」 ⇒ う~ん、ダメでしょう
「(B)~の弦楽器の和声主題をFl.Cla.Sax.織り交ぜて演奏する」 ⇒ え~、絶対やだなぁ、色合いがくしゃくしゃになる…でもそういう演奏もありますね…好み?
「冒頭、主題のC.Fg.をオクターブ上げてFg.でやる」 ⇒ 音を換えちゃうんならこの曲選んじゃダメでしょう…

などなど、吹奏楽にありがちなものは置いておいて、いくつか例を…

(E)~(F)の弦楽器部分をただ管楽器に割り振っただけでは意図通りには聴こえないのです。
演奏上の努力をするか、楽譜で工夫しないと。
バルトークの「中国の不思議な役人」でも見られるように、巧みに弦のシングルとダブルの音圧変化を利用しています。

(F)の7小節目ではメロディと次のモチーフが交錯します。
オケでCb.が演奏しているメロディは吹奏楽ではTubaも演奏することが多いようです。
するとメロディと交錯するTrb.Tubaと音色がバッティングしてしまいます。
ここは演奏で工夫するしかありません。
ドビュッシーの交響詩「海」の吹奏楽編曲を耳にするときに似たような違和感をよく感じます。
そこは指揮者のセンス、かな…
高音でも低音でも似たような問題はたくさん起きます。
そこを曲全体の統一感と意図を損なわないで書き、演奏するのが我々の使命、ですよね…

(H)からセンス良いアレンジは少ないです。
作曲家の意図が生きるアレンジもあるはず。
現場ではきっと分厚く演奏した方が安全、となっちゃう、のかな?
いやだなぁ…

(I)(J)は一楽章に通ずる音圧の変化が必要。
音色の統一感だけでは寂しい気がする…けど好みかしら…
音の長さ、decres.記号の正確な記述もないアレンジ多数…

(L)からの編曲は悲しい…
出版スコアもけっこう音が違うのですが、
正しい音で書かれているアレンジ譜はごく少数。
しかし、もしかしたら、或いは、音の考察は指揮者にまかせて、スコアの音を忠実に記述…したのかも…
いやいや、では、(L)3小節目のVln.IIのナチュラル抜けは?
(M)の4小節前のCelloの音部記号の間違いは?
こんな明らかな記述ミスを直さずに気が付かないなんてあまりにもこの曲に対する愛がないじゃないですか!!!好み以前の問題…
この部分は他にもスコアの音ミスがあり、アレンジでは野放しの場合が多いです。

(N)からの進行にはメソッドがあるので、それに照らし合わせて音を確認すれば記譜間違いはわかるはず。
にもかかわらず放置のアレンジ多数、アレンジの際のミスフィードも結構あるようです。
元のオケ譜の間違いは演奏者の判断に任せるためにそのままにした可能性もありますが、吹奏楽アレンジの際に音間違いが起きる、のはもったいないですね。

(N)の9小節目のPicc.は逆に、正しい記述のスコアを勝手にリズムを変えているのも散見されます。
続くTub.Bellのメロディ、八分音符13個分の意味深な、音価から一つづつ減らしながらストレットがかかっていく部分、位置が違うアレンジがあります…リズムで捉えちゃってるのかな?

(O)の3小節前のPicc.はちょっと面白い謎あり。
次の小節と同じ位置なら整合が取れるのだけれど…
さすがにここを直したアレンジにも演奏にも出会ったことはありません。
でも一考に値すると思う。

(P)の金管のdim.記号の位置は超重要だと思うんだけど…意外と変な楽譜にも出会いました。

(P)の6小節目からも出版オケ譜に間違いがあり、アレンジ譜にも間違いが多い部分です(例えば、Violaの「F」)
こういう絶対的な音の並びに気が付かないのも、残念ですね。

Adagioのコラールは言わせてもらいたい!
弦楽器群と管楽器群を別々に譜面に起こしてみればその和声構造と配置がよく理解できます。
そうしたらあんなアレンジにはならないでしょう!
…と言うアレンジがあります。
そこはちゃんと書いて欲しい!(S)で何が起きるのか、吹奏楽の譜面見ても全然インスピレーションがわかない!
…ようなアレンジもあるようです。
ちなみに、このコラールの部分、一つだけ素晴らしいアイディアのアレンジがありました。
それには脱帽。

(S)の3小節前は皆さんどう思うでしょう。
1楽章で提示されたこの主題、(N)では音楽全体のストレットに寄与しました。
このコラール部分では、むしろ唱えるかのように一定のリズムで書かれている、と僕は読みます。
つまり、八分音符(2個-3個-4個分)が一定の音価でメインテーマを演奏しています。
このルールで行くと間違っているのはCelestaのはず。
ところがCelestaに合わせちゃっているアレンジもあります。

終結部は面白い!
やはり、あるメソッドで書かれている、と思うのですが、音間違いが結構あります。

もちろん、他にも音間違いや、全体を見越したアレンジ像にも言いたい気持ちはあるのですが…
でも、やっぱり才能ある作曲家の書いたアレンジはさすがと言うべき部分も多いのです。
結局は演奏する側がきちんと勉強して、正しく演奏するべき、と言うことなのかもしれません。

まぁ、そういう話なんかじゃなくて、
この曲の魅力を、マニアックなアナリーゼも絡めて、
語りたい…

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秘儀Ⅲ~その⑤

第2セクションの続き 

◆第2セクション(K)~(M)

ここまで演奏してきたメロディの核心とでも言うべきフレーズ。
その前半の集大成がこの部分。

ほとんどの楽器が2拍目のアクセントに踊りの重点を置く。
Fag.,A.Cl.,B.Cl.,T.Sax.,B.Sax.,Trb.,Tub.,Cb.の楽器群は和声的でパルス的な1拍めにアクセントのあるステップを繰り返す。

・(K)~(L)

Fig26


前半4小節でメロディは「E音」から長3度~長3度~短3度と上行する。
そこには3度音程で作られた和音感覚もあり、長7度の響きは低音の和声とも共通している。
低音は4度音程による和音で構成され、半音ずつの下行(後半では上行)する。
断片的ではあるが俯瞰で見て大きな旋律線、動きを見出すことが出来る。

後半4小節ではメロディは短3度で上行する。
低音は半音での上行。

メロディは半音ずれて滲み始める。
やがてその滲みは大きくなる。
と同時に、前フレーズの模倣も内包されている。

・(L)~(M)

Fig27

低音は同様の音程間隔のまま下降線をたどる。
メロディはやはり核心の「決め台詞」を歌い続ける。
助走のような3小節の繰り返しの後、半音で上行していく。

メロディは大きく2声部に見える。
上記譜例ではその2声部を分離してオクターブ関係も縮小して記してある。
特徴を見出すことが出来るだろう。
それぞれの声部の中で半音ずれるが、1小節遅れて追走した結果とも取れるので、旋律線の横の揺らぎとも縦の滲みとも取れる。

打楽器はここまで「p」を守り抜いてきたがとうとうcresc.に参加し、クライマックスへ向かう。
Perc.1(B.D.)のみが3小節フレーズで、それ以外は4小節フレーズ。
p---mp---mf---f--- ---
p-----mp-----mf---f--
p---mp---mf------- f--
p---mp---mf---f---ff---
打楽器の音量変化の記譜を見るとやはり揺らぎがみられる。

(K)から全体として音量もテンポも上がって、音楽が昂揚していく。
打楽器以外はほぼ一様にエキサイトしていくが、打楽器に揺らぎによる特異点を作り出すことでさらに音楽は昂揚するだろう。
因みTimp.のwithTamb.の表記位置が下方に変化しているが、楽器の変更と言う意味ではないようである。
「Es」には常に同時に鳴る、ということで問題ない。
当然、表記が抜けている個所でも同様(そこだけ外す必要はない)

そんな中、Ob.だけは(L)の前からtacetになる。
果たしてその効果のほどは?

さて、音楽は中間地点(M)に入る。
昂揚はいったん収まり、テンポも元に戻る。
1小節を一つで振る指揮ではテンポ変化を(M)の1小節目で打楽器に伝えることはできない。
2小節間でrit.する演奏もあり得るだろうが、作曲家の意図としてはsubitoの変化だと読める。
Tambourine以外は「f」の一発だが、Tambourineは「ff」!

この「秘儀Ⅲ」の全曲の小節数は258小節。
最後の打楽器の一閃を別にすると256小節。
(M)は128小節。
見事に中間地点である。

さて、漸く後半。



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拝啓、クロード・アシル様

はじめ、海に心奪われたのは子供の頃。
夜を想い、田舎の道を通って、パンの笛を聴いた。
ペレアスもメリザンドもまだ知らず、シリンクスは夢の中で聴いた。

やがて、アラベスクに彩られた雨の庭には、夢と喜びが、花火のように、レントよりもゆっくりと、色づく夕暮れの光の中、月の光は亜麻色の髪をオンディーヌへと手渡す。

マラルメもボードレールも、
しかし、紫のパリもエリックの肖像も、
既に憧れの中に横たわっていた。

どれだけ焦がれただろう。
とどかない響きはつねに新鮮で、ピアノのために、象も博士も人形も雪のように踊るのだ。

40年近くも前からの恋は、赤々と燃える火のように、今も続いている。
約100年前の1918年3月25日。
その日は近づいているわけだが、霧の中の小舟のように、手に取ることのできなかったあの響きが、いま少しずつ僕の口からもこぼれ始めている。
それは、恐ろしいことですらあるのだ。

エピグラフに名を刻む前に…

語りたい言葉がある。

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