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2015年5月

2015年5月31日 (日)

浜松の夜と歌声と

専修は火曜日から水曜日まで浜松。

歌や合唱やオケのリハと、楽譜との格闘。
リハではガイドを歌いまくってノドも限界…
本当にノド弱いんだなぁ…いや、歌いすぎか…
それと、深い充実と、大きな反省と、ちょっぴり悲しい出来事と。

ああ、慎重に、丁寧に、事を運ばねばならないんだろうなぁ…
そしてコトバは、毒にも薬にも、自分を傷つける刃にも、なるんだなぁ…
ブーメランのように戻ってきて、自分を切りつける。
分かっているつもりなんだけれど、
何時も是反省…

音楽は幸せだ。
何時も嬉しい発見と楽しい発展に満ちている。
アイディアはどんどん溢れるし、やりたいことも収まらない。

でも、
時々ちょっと辛いコトもあるのです…
まあ一晩寝ればまた頑張れるのがAB型の良いところ。

今週は火曜日から金曜日まで浜松。
今度もメニュー沢山。

美味しいもの食べて、素敵な音楽が出来ますように。

そして夜は…
何時ものあそこで一人でアードヴェックだ(*^_^*)
ひとりか…

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2015年5月20日 (水)

名古屋の夜と歌声と

二日間名古屋でオペラ稽古
名古屋音大に初めておじゃましました。

良いコレペティとの出会いは素晴らしいオーケストラに出会うのに等しい…
まさにその言葉通りの素晴らしいピアニスト。
そして、アイディアに満ちたソリストの皆さん。

いいなぁ…歌。

全3幕、音楽稽古をやりながらほとんど全部を歌ったわけですが、もう、今日はまったく声が出ないわけです…

昔から声、いやノドの弱い私。
すぐ声が出なくなる…
出したい音が正確に出なくなる。
まるでピアノの鍵盤が少しずつ剥がれ落ちるように…

体調が悪いわけでは…

いや…

昨日一昨日と名古屋駅周辺で午前2時まで、飲み歩いていた所為…かもしれない…
ウイスキーと焼酎をいっぱい呑んだ所為…かもしれない…
手羽先と土手焼きと串揚げを腹いっぱい食べた所為…かもしれない…

同情の余地なし…かもしれない…

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2015年5月16日 (土)

Serenata Carioca

文字通り擦り切れるほど聴いたアルバム。

どこを探しても見つからない。

そんなCDがたくさんある。

最近は見つからないなら即買うことにしている。

今、聴きたい気持ちが消えないうちに。

当日か翌日には届く、便利な世の中。

大枚はたいてリニューアルした愛車で聴く。

自分の原点の一つに、あの頃の自分の情熱に、再会したような気持ちで、暫し時が止まる。

静かに聴きたくて車も停める。

好きなんだな、やっぱり。

絶対に手が届かない、

きっと一生かかっても辿り着けない憧れが、

そこにある。

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2015年5月14日 (木)

バンドクリニック2015と銀河鉄道

浜松で開催されるらしい吹奏楽の祭典(?)

今年は今週14日~16日まで開催されるそうです。
僕は行きませんが、ハッスルコピーのブースでは僕の曲が並ぶようです。

そこで、ミュージカル「銀河鉄道の夜」吹奏楽版のDVDが、先着(20人ぐらい?)に配布(多分タダ)で配布されるそうです。

演奏はアマチュアですが、出演は劇団ひまわり。
あまりきれいな撮影ではないようですが、プロジェクションマッピングも駆使した映像は一見(?)

ともあれ、いろんな人に見てもらいたい、やってもらいたい、のです。

じょう、ありがとうね。

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秘儀Ⅲ~その⑦

◆後半部前半、第3セクション
(M)~(V)

ここでちょっと遡って一番初めのメロディに目を向けたい。
Fig28
ここで登場する音を全部並べてみると、
Fig29
(オクターブ下げ)

つまり厳密なオクターブ間のクロマティック・スケール12音である。
12音音楽におけるセリーの様にとらえても面白いのだが、ここにはもっと自由な音列の扱いを感じる。
12音音楽では、調性はなくとも暗い、或いは短調のイメージを持つことが多い。
これは一般的調性音楽とは違う秩序、或いは無秩序に進行する音列に対して感じる不安定感、また、重なる音程の不安感が作用する、といわれる。
明るい調性は、ドミナント機能の和声からの解決が長和音の際に一番強く感じる、と言う説にも起因するように思える。
長音階には登場しない増音程が短音階を想起させる、と言うのも大きい。
いずれにせよ、この曲にも暗い調性を感じる。

ここでもう一つ知っておきたい音階
Fig30
これはメシアンの移調の限られた旋法第7番。
4度音程の積み重ねで作られる音階。
『秘儀』の後半では増4度・完全4度音程が重要な構成要素のひとつになる。
そこに共通点、類似点を見出せる…

◆第3セクション

・(M)~(N)
前半のクライマックスが過ぎ去り、曲は一旦平穏を取り戻す。
「Es」音から始まるメロディは、4or5小節かけて「pp」から「f」までcresc.する。
カゲロウで像が歪むように揺れながら、音程も「Es」→「D」と移行する。
頂点である「f」の位置は4,5,6小節目にわたってズレて出現する。
6小節目からは「Des」音からスタートし、前出とほぼ同様に進行し「H」音と「C」音に向かう。

つまり大枠としては2回の5小節のcresc.がメロディの主体となり、全体としては「Es」音から「H」音への半音階が、揺らぎながら滲みだしてくる。

(N)に入って減衰していくなかから次のフレーズが現れる。

ここで気になるのは、Tuba。
「Es」音から「H」音への半音階は流れ通りだが「D」音にておんりょの頂点を迎えて暫時減衰していく。
この「D」音を強く聴かすか否か、ちょっと迷うところ。
普通に演奏するとTubaは音を強く当てがちな音。
揺らぎの一つとしてとらえるならば色合いを落として、強調するならば別の登場人物として演出するのが面白い、かな。

打楽器はここで再び冒頭の形に戻る。
そこに新たに「ChineseGongs」が登場し、加わる。
『秘儀Ⅲ』が課題曲になり、日本全国で演奏されることが予想され、各楽器店がすわ!ビジネスチャンス!とこぞって生産中。
しかし、いろいろな楽器があり、個体差もまちまち。
ネットでも安く買えるようだが、なんとか試奏して購入するのがお勧め。
今までいくつか聞いた感じでは、結構ハズレも多し…

(M)の冒頭小節、Perc.3(Tamb.)は「ff」のまま。
厳密に言えばこの音はa tempoで演奏されるべき。
しかし、この音が「ff」である以上、直前の昂揚した音楽の一端だと思われる。
つまり、この音まで前のテンポで演奏する、と言う手が考えられる。
a tempoは(M)の頭から適用、とすると、次のTimp.Perc.2は少し間をおいて入るように感じられる。
こうするとsubitoで音楽が変化する面白さが強調される。
が、違和感を覚えるならば、1小節或いは2小節かけてrit.する手も考えられる。
もちろんPerc.3(Tamb.)もa tempoの中で演奏するのも考えられるが、「ff」がとってつけたように聴こえるのは否めない。

・(N)~(O)
4小節かけてcresc.のあと3小節間の「f」の「決め台詞(?)」
これは練習番号(E)のフレーズとの類似性が認められる。
(E)では各揺らぎの声部が順番に登場したがここではユニゾン(リズム)で奏される。
半音階で並んだ4つの音によるユニゾン。
しかし、メインメロディを担当する楽器の多さから、ユニゾン感は増している。
例えば、上記3小節間の「f」の「決め台詞(?)」部分では「G」音から始まるパートが大多数を占め、残りの三つのクロマティック音はPic.,Fl.1.Fl.2(EsCla.)の3パートのみに限られる。

打楽器は(N)から(P)にかけて、
Timp.には2小節(或いは4小節)の、Perc.1(B.D.)には3小節(2小節目から。中断)の、Perc.2には5小節(中断)の、それぞれリズム的フレーズ感が読み取れる。

・(O)~(P)
ユニゾンメロディの構成は(N)と同じ。
当然Eup.の形が原型なのだが、4連符による揺らぎはアクセントを伴ったパートとスラーパートとでかなり印象を強める。

打楽器は前述のとおり。

・(P)~(RR)
基本的に「C」音から始まるパートがメインメロディだが、揺らぎ(リズムはユニゾンで音程のみ半音階でずれている)のパートは勢力を強めている。

(O)のフレーズは3小節、(P)は4小節、(Q)は5小節、伸長しているのは、前半(A)~のフレーズの伸長と類似性が認められる。
(Q)から5小節?の考察については後述する。

さて、この部分にはFag.,B.Cla.,B.Sax.,Trbs.,Tub.,Cb.,による伴奏形が登場する。
和音の形はとらずユニゾンであるが、この音は全てメロディ(C音から始まるパート)の各小節開始音である。(最後のみ4連符の第2音目。第1音は倚音ととらえるのか?)
或いは、メロディは低音によって提示されるセリーの上に構築されているのか?

(Q)の伴奏群の「G」音。
これも例外。メロディには登場しない。
ならばメロディの「Gis」音は?
続く小節への持続音、つまりこの小節のキー音は「Gis」音ではなく「G」音、と深読みできるかもしれない…あまり意味はないようだが実は音楽の読み方のヒントは隠されている。

メロディのフレーズは4小節と5小節。
打楽器(B.D.含む)は4小節のフレーズ(中断)
しかし、打楽器と伴奏群に与えられたデュナーミクを見ると5小節フレーズが見える。

つまり、(P)からは『5小節のフレーズを2回』だと考えるのが妥当。
細かく言えば、各々5小節目は移行部。
メロディはフレーズをまたいでの持続音。
こう理解すると整合が取れる。
また、そのまま演奏すればこう聴こえる。

(Q)の6小節目の打楽器はdecresc.が省略されている。
(P)の打楽器群は「f」まで到達するのはTimp.のみ、他はmfまで。(Q)ではさらにPerc.2はmfにすら到達しない…これは狙いなのか…省略なのか…
(Q)でTimp.にcresc.記号がないが、僕は(P)と同様に演奏する。仮に(P)との違いを表現しても全体的な効果は難しい。

・(R)~(S)
accel.が始まる。
二分音符=63から11小節かけて=72まで、さらに=80、=88と駆け上がっていく。

伴奏形は継続して同じ形、(四分音符で)2拍目にアクセントのある舞曲のリズム。
そして単音から和音へと変化する。
(K)でも現れた、下から増4度+完全4度の形態。
それが半音階で下行・上行のうねりを加える。
後述する打楽器とほぼ同じ音量変化。
全体的にcresc.してdim.するが音量変化の記号は与えられていない。

メロディは「Fis」音からユニゾンでスタートする。
ほとんどのパートにcresc.記号が記されているのにTrp.にはない。
また、A.Sax.2は途中で記号が切れる。
果たして狙い・効果はあるのだろうか?
自然にcresc.はかかるだろうが、それを意図的に抑えるかどうか…
打楽器、和声形の伴奏、にもcresc.の記号はない。
記されている音量表記を目安にcresc.&dim.をするか、段階的な音量変化に音楽的面白さを求めるか、判断は奏者(指揮者)に委ねられる。
僕は、楽譜通り段階的に表現するのも面白い、と思ってはいる。
このことは打楽器の項で再度触れる。

(R)4小節目でA.Sax.2,Trp.2に揺らぎが起きる。メロディラインから分離するのだ。
しかし、すぐ元の流れに戻る。
…謎なのである。
「揺らぎ」と言う便利な言葉で保留しているが…
実際に音にしてみると一瞬聴こえる5度・4度の音が5小節目からの声部の広がりにつながっているのがわかる。
狙いなのか偶然なのか…

5小節目からはPic.,Fl.,EsCl.が別声部に分離し、Pic.は早々にFl.の声部を模倣するかのような形に分離独立する。

メロディは音量を「f」にあげたまま(S)に突入する。
Pic.,Fl.,Cla.群は(S)に入っても僅かにフレーズの残り香を歌い、唐突に消える。

伴奏形と打楽器群は対照的に、(S)の前で急速に力を失い(S)から再度「p」からcresc.を始める。

打楽器でまず注目はTimp.の3連符。
難パートのTimp.、いよいよ、と言う感じ。
セッティングにもよるが、多くの人はRで「Es」音を叩くと思われるので、片手で安定したビートを出せるように演奏する。
もう一つはPerc.1(B.D.)の振る舞い。
ここにきてとうとう他の打楽器と行動を共にする。

打楽器には3小節ごとの音量記号が与えられている。
前述の、cresc.記号のないパート、つまり2小節毎の音量変化の管・弦楽器群、3小節毎の音量記号の打楽器群。
このパートをcresc.せずに変化させるならば、このズレを効果的に演奏する必要がある。
すなわち、細かいcresc.を排除して音量の変化ポイントを際立たせる、と言うこと。
なかなかリハのテクニックが必要になるが、挑戦してみる価値はあるように思う。
しかし、もう少し俯瞰で全体を見ると、そこまでこだわる必要はない、と判断するのも、あながち間違いとは言えない。

・(S)~(U)
まるでDNAの二重螺旋を見るかのような部分。
Fig33
転調部分は抜いて表示。
もう少しわかりやすく書くと、
Fig34
増4度、完全4度を繰り返しながら上行する音型。
それを2回繰り返すまさに二重螺旋のような構造。
最低音のフレーズ開始音を見ると、「B」音から始まり、次のセッションでは「Des」音スタート。
「B」→「Des」→「Es」→「E」…以降「G」まで半音ずつ上昇。
つまり、短3度・長2度(全音)・短2度(半音)と狭まっていく。
これをオクターブを圧縮して模式図にしてみると…
Fig35
そうこの形。
増4度、完全4度を繰り返すのだから当然なのだが…

打楽器を除く、この8声部のリレーション。
8つの声部は、
①(Fag.),B.Cl.,B.Sax,Trb.3,Tub.,Cb.(ベースもこの声部としておく)
②Hrn.3,Eup.,Trb.2
③(A.Cl.),T.Sax.,Hrn.1,2,Trb.1
④(Ob.),A.Sax.2,Trp.3
⑤A.Sax.1,Trp.2,3
⑥Cl.1,2,3
⑦Fl.1,2,(EsCl.)
⑧Pic.

それぞれの音程間隔は、以下の様に増4度、完全4度の組み合わせ。
Fig31
先ほども登場した伴奏の和音と同じ音程間隔。
常に長7度の響きを持ち続けているのがとても面白い。

実際の演奏でも、上手に演奏するとこの二重の上行形が螺旋のように思えてくるから不思議。

打楽器以外は(S)~(T)まで2小節毎に音量が上がっていき、(T)~(U)は1小節毎にその角度を上げて、「ff」到達後はその音量でキープ。

打楽器は同様に(S)~(T)まで2小節毎に音量を上げていくが(T)前でdim.して、(T)からもう一度「p」から2小節毎に上昇。
(T)の7小節目で「f」に達してキープに入るが、この位置が重要。
この位置で初めて管・弦楽器のメロディメソッドは最終形で統一され、音量も「ff」が出そろうのである。
つまり、音楽的な目的地は一致していると考えられるのだ。

・(U)~(V)
テンポは=80にまで上がり、いよいよ音楽は昂揚していく。
Timp.ににもEs-Dのメロディが聴こえる。

拍(小節)頭にベース音がしっかり演奏され、最後のたたみかけの足固めが整う。
ここの構成は巧妙かつエキサイティング。
楽譜で見れば一目瞭然。
Fig36_2
1拍目アクセントと2拍目アクセントの呼応と、上記音響空間が、踊りを最高潮にまで高めていく。

ところで、この増4度と完全4度の組み合わせ、長7度を二つ組み合わせた形にも見える。(上記譜例9小節目、D-CisとG-Fis)
これがとてもモダンに響く。
和音で言うならばGmM7♭5/Dと聴こえる。
そして続く最終和音はD7(#9)そのもの。
つまりD音がベースとしてはっきり機能して聴こえる。
このD7(#9)と言う和音・・・カッコいいのです。


かくして最終セクションへと曲は進む。

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2015年5月13日 (水)

水のオンディーヌ

四精霊の一人、水の精・オンディーヌ。

愛らしい少女の姿。
陸(おか)の世界に憧れ、水面(みなも)に映える陽の光と共に、今日も不思議なダンスを踊る。
ある日彼女は、美しい青年に出会い恋をする。
しかしその恋は実らず、高笑いしながら嵐のように立ち去る。

本当の彼女の心は、未だ愛を知らぬ、恋に恋する純真無垢。
美しい歌を歌いながら、明日の幸せを夢見て水中から外の世界を眺める…

某吹奏楽団から委嘱されて作曲しました。
半音階と全音階、メシアンの旋法も駆使した神秘的なスケールで作曲されています。

印象的な和声主題はやがてエキセントリックな舞曲を導きます。
彼女の踊りは徐々に熱を帯びていきますが、情熱的なアプローチはチャイムの一閃によって過ぎ去り、一見複雑な和声主題は内包された美しい光のみに至ります。
そして聴こえる美しいコラールはオンディーヌの歌。
水面の光を反射するように、冒頭でも聴かれた分散主題の中、やがて静かに、遠くに消え去ります。

「地の精・グノーム」、「火の精・サラマンデール」、「風の精・シルフィード」と合わせた四精霊、全4楽章の吹奏楽の為の交響詩的組曲(或いは交響曲)として構想しました。

しかし、委嘱されたのは「水の精・オンディーヌ」のみ。
演奏する当てもないのに作曲する余裕もなく…
さりとて心に浮かんだ音楽は溢れんばかりで…

ああ、誰か続きを委嘱してくれないかな…

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2015年5月 7日 (木)

人と違う時の流れの中で

絵を見る。

静止画は時間を止めて、
しかし絵の中の風景は流れる時間の中に心を誘う。

心に浮かぶ音楽は、時の流れとともにあり、
しかし、その時の流れは現実の時間とは違う。

静止した時間の中に流れる時間があり、
その絵を眺める自分は現実の時間の流れの中にいるはずなのに、
傾いた陽の光に、経る時を知る。

音楽を聴く。

流れる時間の中に静止した風景が見える。
瞬時に飛び去る早回しの人生が見える。
スローモーションの一場面が語り掛ける。

時に現実の時間を遥かに超えて、時は過ぎ去り、
時に現実の時間の中にありながら、時はその動きを止める。

たった0.1秒の感動が1時間の音楽になり、
悠久の時の流れが1秒の和音に集約される。

現実の時の流れから解き放たれて、
自由に心の羽を広げるとき、
音楽は溢れて流れ出す。

ココロはいつも、自由だ。

僕はいったいどこの次元世界をどの時系列で生きているのだろう?
僕は一体何歳なのだろう?
僕は一体何者なのだろう?

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2015年5月 5日 (火)

時の流れと忘却と、無知

大好きな、トランペットの大先生がいた。
音色も、音楽性も、人間性も、稀代の銘プレイヤーだ。
若いプレイヤーと話していたら、その名前は知らない、と言う。

時の流れは恐ろしい。
人間が生きた証や、成しえた功績はどこへ消えるのだろう。

「ブルー・ホライズン」と言う曲には「ピーター・グライムズ」と言うB・ブリテンのオペラの曲とそっくりな部分がある。
数小節やフレーズの一部が似ている、と言うのではない。
ほぼ完全な一致。
「ブルー…」しか知らない人に「ピーター…」を聴かせたら、「随分ブルー・ホライズンに似ていますね。パクリ…?」と言う。
いや、先に書かれたのは「ピーター…」

借用や、リスペクトから来る習作もある。
曲中のメソッドや音階、リズムフレーズや定番となりつつあるコード進行もある。
同じような理想の表現を追い求めたら、同じ方法論にたどり着いた、ような例もある。
また、偶然、非常に近いメロディになったるすることもある。
メシアンの考案した音階だって、別の見方をすれば名前が変わる。
あるメロディからバリエーションをしていたら同じメロディにたどり着いた、ような例もある。
これらを剽窃、と言うのはちょっと違う。

また、
変拍子(もちろん場合によるが)は言葉のニュアンスだと思えば、むしろ非常に自然な音楽の流れである、と常日頃思っているが、先日鬼の首を取ったように「知っていますか?変拍子はね…(以下同文)」と僕に言ってきた人がいる。
「ある人から聞いて僕は目からうろこでした!その人すごいでしょう?」と。
いや、世の音楽家はみんな考えていることの一つ。
或いは、自分のために見つけたアイディアの一つ。
そういうのが経験と共にたくさん増えていくわけで。

上記の例は似ているようでかなり違う。
前者の例は無知蒙昧の所業、後者は誰もが通る経験と習得の旅の途中の話。

モノの見方によってココロは変わる。
自分の幸せは、自分で決める。

けれど、知らないのはやはり罪だ。
ユーミンの中にだって誰かの、マイケルジャクソンの中にだって某の、先達の影響を見て取れる。
どちらに先に親しんだか、どちらを先に知ったかで印象が変わるのは仕方ないが、知らなければそれをオリジナルだと信じてしまう。

前出の「ブルー…」だって素晴らしい大好きな曲だし、作曲者も紛れもなく天才の一人だと思う。
けれど、「アルプス交響曲」なくして「アルプスの詩」は生まれただろうか。
「教会のステンドグラス」無くして「ビザンチンのモザイク画」は生まれただろうか。
交響詩「海」なくして「波の見える風景」は生まれただろうか。
オリジナルなくして生まれたものではない。
そしてそのオリジナルの中にも先達の礎はあったり、なかったり…

まあ、作曲や絵画や、作品が形として残る分野にはそういった面は残るが、様々な教えの場や演奏の現場では、「誰が言ったか、作ったか」は問題ではなく、その中身だけが残る。
素晴らしい教えならば、その実績はそのアイディア(人ではなく)の功績として残る。

大切なものは目に見えなくて、やがて透明になる。
痛みもやがて消えて、傷の現実は過去のものとなり、傷痕だけに痕跡をとどめる。
例えば、演奏面で壁にぶち当たったプレイヤーがある教えのアイディアでそれを乗り越えたとき、その教えは透明になって消える。
素晴らしい演奏を手に入れた、そのプレイヤーの中に生き、もしかしたら、また後世に語り続けていくことになる。
或いは、一度その教えがどこかで途絶えても、やがて誰かが再び気づくだろう。
だから恐れず進めばいい。
無知を恐れず、恥をかきながら学べばいい。

知らないことが罪、なのではない。
知ろうとしないことが罪なのだ。

もっと知りたい。
知らなければいけない。
音楽のことも、
間違った指導者が動かす、この国の現実と真実も。

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2015年5月 1日 (金)

こだわりの指揮棒②

もうずーっと使っている指揮棒。

ムラマツの指揮棒、PK526。

社長宅に押し掛けるほど気に入っていた指揮棒。

3年ほど前から変わってしまいました。

何とも言えないテーパーライン。

滅多に反らない信頼性。

残念です…

あの何とも言えないラインにはもう会えないのですね…

職人さんが変わったのです。

でも、他に目ぼしいものもありません。

毎回10本ほどずつ購入していますが、もう在庫切れです。

あのラインが復活していることを願って、

購入してみます。

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失う日

某日、父が車の運転を卒業した。

高校時代、16歳(当時は16歳で普通免許が取れた)で取得して以来、ずーっと乗り続けてきた。
スピード狂でもなく、横暴でもない。
実に模範的ドライバーで、速度違反もほとんどなかった。

それでいて、同乗していてちっともイライラしない。
発進も停止も実にスムーズで無駄がない。
ウィンカーのタイミング、ハンドルを切るタイミング、信号や道路状況を見切るタイミング、兎に角「間」が良いのだ。
間が良いと最高速度が高くなくとも到達時間に大きな差はない。

母の運転は対照的で、せせこましい。
渋滞しているととにかく抜け道に突入し、いろいろ走り回った挙句そのまま渋滞にはまっていたのと大して変わらない、と言うタイプの運転。

そんな父がこの春、等々運転を卒業した。
最近、ケガもなく車も大して壊れないような、そんな小さな事故が続いていた。
そんな小さな事故もほとんどなかった人なので少し心配ではあった。
それが、近所で事故を起こした。

それも、それほど大きな事故ではない。
本人にはケガもない。
ぶつかった相手はカーブミラー、約17万円。
しかし彼は運転からの卒業を決断した。

決断するに至る、彼なりの判断基準に達したのだろう。
それについて僕はなんの言葉も持たない。
しかしその気持ちを想う時、とても寂しくなる。

自分の父の老いを目の当たりにして…と言うのも少しはある。
それも含めて、「何かをあきらめる哀しみ」に想い至り、感慨深いのだ。

以前母が言った。
「上高地に行きたい。けれどもう無理かしら…」

どこへでも、いつかきっと行けると思っている。
その気になれば、何にでもなれる気がしている。
本気で望めば、何でも手に入る、と信じている。
それは若さの特権で、夢を実現する原動力でもある。

それをあきらめてしまったら、不可能を認めてしまったら、僕は僕自身ではいられなくなる。
バカだ、ガキだ、青い奴だ、と言われようとも僕自身はそう思っている。

しかしいつか失う日は来るのだろう。
そしてその日への道は確実に始まっている。

老いだけではない。
理由はともあれ、失うものはあるのだ。
しかし、抗う。
夢も可能性も失いはしない。

父の寂しげな後姿と溜息を、
僕は一生忘れないだろう。

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秘儀Ⅲ~その⑥

秘儀Ⅲ - 旋回舞踊のためのヘテロフォニー

分析を試みていましたが、前半が終わったところでここでちょっと休憩。
実際に演奏上のことを少々。

基本的には1小節一つ振りです。
テンポを遅くするならば2,3拍を簡略した3拍子、或いは3拍目を分割(先入)したサブディバイドの振り方、も可能かもしれません。
その場合はテンポアップの際にスムースに振り方が移行できるようにするべきでしょうね。
いずれにせよ、拍を示すというよりも拍から拍へのドライブ感が伝わるようにするのが先決。
特別難しい指揮法は必要ないでしょうが、2拍子振りにならないようすると演奏者には伝わりやすいです。

トレ・バットゥータ、クアトロ・バットゥータ(3小節、4小節を3拍子、4拍子の様にとらえる)で振る人もいるかもしれません。(例えば前奏部分を4拍子→3拍子→2拍子、の様に)
オーケストラ全体が同じフレーズ間隔で進むところはそれも意味があるかもしれません。(「A」や「B」など)
ただ、打楽器はほとんど一致しませんし、フレーズのズレが起きている部分ではかえって混乱するでしょう。
「H」や「K」などで小節数の目安のために便宜的にクアトロ・バットゥータで振る、のも一つの手かもしれませんが…どこかの声部を強調してしまうのは「音楽的」には無意味です。

Fig11_2のリズムは、兎に角、(四分音符で数えて)3拍めが遅く、結果として1拍目と3拍めが近いいびつな形になりがちです。
理由は、ほとんどがプレパレーション(準備動作)分の遅れに思えます。
展覧会の絵(ムソルグスキー)の「古城」などでも毎回感じます。
自分でピアノで弾いてもちょっと気を許すとそうなります。
「リズムがすごくおかしいわけでもないのに、なんだかノリが悪い」と思える時のほとんどがこの原因。
冒頭のTimp.でよく起きる現象ですが、他の楽器でも管弦楽器でも当然起こります。

四分音符(もう少し細かく言えば八分音符の)の粒子が正確に進む上に、確実に各リズムが乗るようにすればとてもスムースにドライブ感が作られます。
これが「グルーヴ」
前奏でこれが作られないと「A」に入ってメロディが入ってきた時に一瞬違和感が感じられてしまいます。

「A」~「B」ではフレーズに着目します。
フレーズの区切り方(スラーの長さ)をどう表現するか、はこの曲全体の作りに大いに関係します。
例えば冒頭のメロディは3拍(付点二分音符)が基本単位。
この付点二分音符を減衰の多い形で演奏すると当然リズム感が強くなり、声部のフレーズの違いや合成を強調できます。
また、全体としてのボリューム感も減らすことになるので、同じ「f(フォルテ)」でも後半に向けて変化を付けられそうです。
と言ったメリットに対して、
アタックが強くなる分アクセントの有無がつけにくくなり、フレーズのラストが短くなりがちになります。
結論としては、基本的に管楽器は短く(抜き過ぎに)なりがちなので、音を保つ方向が良いように思います。
もちろんほどほどに、そして曲全体の構成を考えて整合をとる、のは常識。

ここで気になるのはCla.の高音。
特にシ、ド、レあたりになると音が立ちすぎ、フレーズがブチ切れに、或いは不用意なアクセントが付きがち。
かなり音を絞らないと良いフレーズにならず…しかしあまり不自然に操作すると演奏者から良い音楽が生まれず…困りどころです。
自然なフレーズになるよう、奏者とコンセンサスを取ったうえで練習してもらうしかありませんね。

フレーズの終わりの音は、抜き(減衰)を強くしてもしなくても、音価通りになるようにするのが肝要。
特に最後の音が四分音符のパートは短くなりがち。
注意していてもだんだん短くなります。
ただ長くするのではなく、きちんとグルーヴにのせて自然に扱うのも重要。

「B」からは打楽器にアクセントが登場。
よくやるのは、一旦大きく演奏し印象付けてからまた一旦引く手。

「G」の前までの第1セクションに於いては管弦楽器はほとんどが「f」で、そのなかで打楽器群は、「p」→「アクセント付加」→「mp」→「mf」→「f」の変化していきます。
これをはっきりと聴衆に認識してもらうのか、おおまかに全体の音量増として認識させるのかは、指揮者の考え次第。
前者の表現で行くならば、それぞれの変化ポイントを強調して印象付けてから一歩引く方法論、
後者で行くならばsempre crescendoでいけば良いと思います。
僕は前者の考えですが、アナリーゼの回でも述べたように、リズムの変化、フレーズの変化、リズムメロディの発展、等でcresc.感は伴うのは間違いなく、それを以下に抑えるかがポイントだったりします。
前者の場合、長いcresc.の結果として「ff」(「G」の前)を演奏し、後者の場合は「mf」から一気に「ff」になります。

さて「B」
初めて「p」からのcresc.が現れるわけですが、着目はアクセントと「f」の位置。
第3声部がメイン・メロディだと思われるので、バランスは気になるところ。
でもあからさまな操作は避けたいところ。
各奏者が「f」の位置を意識して演奏すること、がまず重要。
試しにcresc.もアクセントもなしで、「f」のみを意識して演奏してみるとよくわかります。
「f」でもアクセントでもない部分がすごくうるさかったりするのです。
原因としては、抜きすぎる音型によってスラーの切れ目が目立つのも大きいですが、やはり気になるのはCla.の高音。

「B」の5小節目、2フレーズ目以降アクセントのズレは増えていきます。
この後「D」あたりまでは前述(「A」に於ける)なような方法でアクセントを強調しても認識してもらえるかもしれません。
アクセントが増えると当然フレーズ感は短くなり、結果的にやがていくつかのリズムに帰着していきます。
それを効果的にするためにバランスをとると良い…のかもしれませんが、やはりあからさまな操作をしてもしなくても、音楽は到達するべきところにたどり着く、とも思うのです。

さて「C」
第4声部のHornが参画するのですが、気になるのは第3声部。
演奏する楽団の状況にもよりますが、第4声部を凌駕しすぎることがあります。
「D」で第5声部が入ってきても同様。
第5声部はA.Cla.とT.Sax.とEup.ですが、この声部内でも揺らぎがあるため第3声部が勝ち気味。
音域の違いもあるので競合することも無いようにスコア上見えますが、案外第1~3声部の勢力は強いのです。
しかし、ここでもやっぱり第3声部が面白い。
アナリーゼではあまり触れませんでしたが、アクセントによるリズムの面白さに加え微妙に音程のズレも演出されています。
この第3声部内のドライブも確実にしないとこの面白さは単なるがちゃがちゃな印象になってしまいます。
「D」は第3声部に注目!

「E」の二つのフレーズ。
各々の入りをはっきり強調するとリズムの面白さは出ます。
でも、「f」への到達点がぼやけちゃうのが残念。
「f」への到達、アクセントと所謂「決め台詞」の強調を印象付けたいならば、入りの出だしをうるさくしないのが吉。
二つ目のフレーズ、B.Sax.とTrb.3のズレを強調するか否か…
現実問題、あまり大きく影響しないのです。
が…「f」到達後にcresc.が続いてしまう感じを消したいならば、同位置で「f」に到達するように演奏する手もあるでしょう。

「F」の決めフレーズ、どうしても2拍目(スラーの最後の音)が短くなりがち。
この音がきちんと奏されないと続く3拍めがとってつけたような音になってしまいます。
しかし、2拍目を短くし、3拍目を強調する解釈もないとは言えません。
その場合、その限りではありません。

「G」からの8声部(打楽器も加えれば9声部。B.D.を別声部にカウントすれば全10声部ですね)は考えどころ…
「G」~「H」にかけては印象的メロディ「決め台詞」が認識しやすいので、それをきちんと強調することで被さり、重なっていくのを理解できます。
しかし、「H」以降は理論上常にどこかのパートが「決め台詞」を演奏していることになり、そのすべてを聴く人に認識してもらうのは難しいかもしれません。
バレエや演劇、絵画や映画のモブシーンの様に考えるとひとつの方針が出ます。
すなわち、「どの部分を聴くかは聴衆に委ねられる」か「意図的に注目すべき特異点を作り出す」かの方法論です。

前者では、奏者は出来るだけ各声部・パートで演奏方法を統一し、完全な群衆シーンを作り出すことになります。
そのうえで、聴く人がもし楽器経験者だったり(自分の演奏した部分だったり)、視覚上どこかに注目点があったり(可愛い子がフルート吹いてたり)、音量の偶然の揺らぎやリズムの乱れである声部が気になったり(Trp.がミスっちゃったり)、その他諸々の理由でどこかの声部が耳に入って来たり(心理学でいう「カクテルパーティー現象」みたいなものもありますね)
或いはもう少し全体を俯瞰で捉えることに成功して、音塊(トーン・クラスター)の中の音の重なりや和音、生まれくるメロディ感等を認識したり、クラスター自体に何か(感動や美的感覚)を見出したり…
その中で最終的に8つの半音の積み重なりが同じリズムメロディを演奏する恍惚に至る、ことになります。

後者では、例えば「決め台詞」を強調して聴かせる(他の部分を「pp」にする、cresc.しない、決め台詞の頭だけ演奏してすぐ落とす、等々)、フレーズの頭を先ず聴かせる、等々様々な方法でフレーズ内のどこかを強調したり、
どこかの声部或いはパートのみを強調したり(Trb.が良く聴こえるとか)、ランダムでどこかを強調したり…
つまり、作為的に注目点を作り出す方法論です。

いずれにせよやがて到達するものは変わらないのですが。

もう一つ考えるのは、各声部が一般的セオリーから外れた振る舞いをする部分をどうするか、と言うこと。
例えば「H」のA.Sax.の音量変化、「J」のTrp.やFluteの音量変化やアクセント。
「楽譜にそう記されている」のだから「揺らぎとして捉える」のが正しい…のかもしれません。
しかし、前述のような効果を目指して「全パートを一つのセオリー(メソッド)に統一する」という考え方もないとは言えません。
これも指揮者の考え方、ですね。

「K」からはいよいよクライマックス。
テンポが上がっていきます。
Fig26
メロディはどうしても正しいドライブ(八分音符の並び)に対して不正確になりがち、です。
特に、最後の八分音符の位置が不鮮明になるのです。
すると、当然次の休符の位置もズレて、次の発音もズレて…となってしまいます。
正確にドライブにのせて演奏するのが兎に角寛容。
正しい位置で八分音符が奏されれば1拍めの休符がきちんと空いて、そこにきちんと和音音型がはまります。

Fig27
「L」に入るとその休符部分に第2声部がメロディーを伸長します。
これは音響的にはかなりの変化をもたらします。
しかし、リズム的には乱れる危険性を大きくしてしまいます。

なめらかに、効果的にテンポを上げるためには、各奏者が同じドライブ感を共有し演奏するに限ります。
八分音符や十六分音符単位での細かいドライブを感じそこにリズムを当て嵌めるわけです。

この部分の乱れの原因のほとんどは「休符部分のドライブ感の悪さ」です。
具体的に言えば、休符部分でaccel.が滞ってしまう奏者が多い、のが大多数。
休符の後の音の出が流れに乗れず、遅いのが次いで多い原因(特に和音側)
メロディについてもう少し厳密に言えば、演奏しながらドライブを見失ってしまい続く休符を正確に休めない、ドライブを見失ったままブレスする或いはブレスでドライブを見失う、発音の悪さでドライブを見失う、と言った感じ。
僕は指揮する際「ウン・ターラ」と感じないように「タカ・タカタラ」と歌いながらドライブを作っています。

指揮法的には「点前では喋れない。点後で喋る」と言うのが常識。
つまり四分音符で二つ目に到達するのを早くする、ということ。
アマチュアの方で時々、大きく振るあまりスピードが上がらず、叩き込む速度をどんどん上げているのを見ます。
逆の方がうまくいきます。
棒の上がるスピードを速めるわけですが、所謂「引っかけ」になっちゃうともうコントロールがきかないかも…
上下(或いは回転)動作する腕(棒)のどこが1で2で3なのか常に一定するようにするのが得策。

後半に続く…




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