交響曲第6番「悲愴」
チャイコフスキー最後の作品、交響曲第6番を演奏した。
子どものころから大好きな曲だが、4年前から、僕の中では特別な意味を持つ曲の一つになっている。
チャイコフスキー最晩年の曲。
この曲の初演を指揮してわずか9日後にチャイコフスキーは亡くなった。
指揮者コンクールでサンクトペテルブルクに滞在していた際に、2度ほどお墓を訪ねた。
同じ墓地にはリムスキー・コルサコフやムソルグスキー、グリンカ、ルービンシュタイン、等々超有名音楽家のお墓が並ぶ。
その一角に、ひときわ大きい墓碑が、まるで棺の様にあった。
訪れるたび真新しいお花が供えられていて、霊感を得たくて僕も墓に何度も触れた。
お世話になった作曲家、三枝成彰先生は当時言っていた。
チャイコフスキーが好きだ、と。
彼は天才ではなく、博愛と努力の人だった、と。
三枝先生自身もご自分のことを無尽蔵に楽想が湧いて出る天才だとは思っておらず、また望んで望んで作曲家になったのではない、と言うようなことも言っていた。
だからこそ、僕も努力をして良い作品を創り上げるのだ、と言うような主旨のことを仰っていたように憶えている。
僕はそんな先生のことを好きだったし尊敬もしていた。
また、三枝先生はチャイコフスキーのことを稀代のメロディメーカーだとも評していた。
その反面、少ないシンプルな要素を発展させる能力の見事さは、発想力の少なさの裏返しでもある、ともとれる。
しかし、それはただ揶揄的に表現しているだけで、先生はチャイコフスキーにシンパシーを感じ、そしてやっぱり愛していたようだ。
僕自身は、そんな理屈や批評抜きに、子供の頃からチャイコフスキーを身近に感じ、大好きだった。
交響曲第4番、5番、6番など、何十回指揮したかわからない。
この曲が4年前から僕にとっての特別な曲の一つになったのは…
幾度か書いているが…
4年前突然自分を襲った病気。
人生の大事件で、死すら意識した入院。
絶望し憔悴し、まったく眠れずに、処方された睡眠剤で朦朧とした意識のなか、頭の中に鳴り響いた音楽の一つだった。
誰の指揮でどこのオケの演奏だろう…
しばらく頭の中で聴いていて、確信した。
これは僕の理想の音だ。
僕の望む、自分の音楽だ。
ああ、俺は大丈夫なのかもしれない。
俺の音楽は、確固としてここにある。
そう気が付いた時、救われた。
友人の励ましがあったからこそそこに行きついたのだと思うが。
懐かしく、大好きなオーケストラと、その音楽に挑む。
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