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2015年6月 2日 (火)

茜色

茜色

夕陽や朝日に照り輝く、雲の色。

茜さす 紫のゆき 標野ゆき

野守は見ずや 君が袖振る

祖母より受け賜わりし古典文学の心得ある母は、
「やはり朝の色じゃないの?」、と話す。

額田王の歌を見る限り、そんな気がしないでもない。
と言うか、最近までそう信じて疑わなかったのだが…

だが、考えてみると、この「茜色」の「茜」はどうしても夕陽を連想させる。
西(にし)という字が入っているからだと思うのだが、実は確たる証拠はない。

フジファブリックの『茜色の夕陽』にしてもレミオロメンの『茜空』にしても夕陽の切なさをベースに感じている。

梶井基次郎の儚い小説を読んでいるとやはり夕陽の色として幾度も登場する。
もちろん他の作家でも見つかるがそのほとんどは夕陽の描写。
それにしても、綺麗な文章。

「…夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜の空に写すのであった。…」梶井基次郎「路上」より

「…日は函根の山の端に近寄ッて儀式とおり茜色の光線を吐き始めると末野はすこしずつ薄樺の隈を加えて、遠山も、毒でも飲んだかだんだんと紫になり、原の果てには夕暮の蒸発気がしきりに逃水をこしらえている。ころは秋。…」山田美沙「武蔵野」より
「…とかくするうち東の空白み渡りて茜の一抹と共に星の光まばらになり…」寺田寅彦「東上記」より
「…ある時茜さす夕日の光線が樅の木を大きな篝火にして、それから枝を通して薄暗い松の大木にもたれていらっしゃる奥さまのまわりを眩く輝かさせた残りで、お着衣の辺を、狂い廻り、ついでに落葉を一と燃させて行頃何か…」若松賤子「忘れ形見」より

「茜さす」という言葉は、「照る」「紫」等の枕詞として使われる。
朝日や夕陽で照る雲の輝きからだという。

ここで思うのは「紫」
人間が最初に見る色は「紫」だとする説がある。
胎児が認識する色なのだと言う。
また、「Down Purple」というのは「夜明けの色」「朝焼けの色」であるという。
この紫はまさに夜明け、人生の第一歩の色なのだ。

その枕詞の「茜」はやはり朝の色?
それとも夕陽の色?

そんなことをぽろぽろと考えながら車窓に浮かぶのは見事な夕焼け。
朝に夕に、色も匂いも、次のページを繰っていく。
また季節が一つ進むのだ。

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