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2015年9月

2015年9月27日 (日)

Youtube

Youtubeをもっと活用すれば?
と、あちこちで言われるのですが、いかんせんやり方がわからない…
というワケで知り合いにアカウント管理をお願いしてあげてもらいました。

良かったら聴いてくださいね。

Sax Duo I mov. "Player"
https://www.youtube.com/watch?v=MAdVd03Rqho

Sax Duo II mov. "Prayer"
https://www.youtube.com/watch?v=XNdwdQnyWl0

Sax Duo III mov. "Interplayer"
https://www.youtube.com/watch?v=7vM_OpRsVP0

とりあえず3つあげてもらいました。
サックス奏者の田村真寛氏と田村哲氏のデュオ・リサイタルでの委嘱作品です。
ピアノはかの有名な白石光隆氏。
1楽章は先行く1stメロディをたどたどしく追いかける2ndメロディが、やがて成長し追随し同調する曲です。まるで二人が遊ぶように…
2楽章は「祈り」です。楽譜にはモノローグというかソネットというか…テキストがポイントごとにかかれています。東日本大震災の翌晩に書かれました。
3楽章はアルトサックスとソプラノサックス、それにピアノが様々な組み合わせの中でめくるめく、丁々発止をしながら曲が進みます。1楽章、2楽章のテーマも現れます。

以下は既に上がっていた僕の曲です。

Moon of Spring
https://www.youtube.com/watch?v=CMnLklD7kF0

打楽器奏者の小松玲子さんに委嘱され、「サヌカイト」という、石でできた楽器のために作曲しました。
なかなか演奏を聴く機会に恵まれませんが…想い出深い曲です。

ミュージカル「銀河鉄道の夜」~CD(デモ)
https://www.youtube.com/watch?v=azb_Iv-Qo9A

「銀河鉄道の夜」CD発売に際しての、劇団ひまわりによるプロモーション映像のようです。
ダイジェストで少しづつ聴けるようです。

こちらもプロモーションのようです。
https://www.youtube.com/watch?v=SLBZAZg13Sk

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試演

9月30日14:00~20:00までの予定で、出版されている曲、これから出版される曲、を含む数曲の試演をします。

サックス用に書いた小品です。
協奏曲は今回はやりません。

簡単な録音と録画はしますが、基本的に未公開です。
が、興味のある方はどうぞ観に来てください。
出版社の僕の担当者も立ち会います。

場所は横浜線橋本駅の「サンエール」と言う小ホール。

サックスは田村真寛さん。
ピアノは近藤麻由さん。

僕の信頼するこの二人の演奏を聴けるだけでも超オトクかも…(*^_^*)

フルートの新曲の録音、サックス曲含む室内楽の録音情報、はまたいずれ…

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2015年9月 7日 (月)

新しい靴

新しい靴をおろした。
黒い革靴は久しぶりのウィングチップ。
ちょっと奮発して、「良い靴」を買った。
丁寧に大事にはくのがかっこいい、とは思っているのだが、あまり手入れが上手いとは言えない。
それでもしばらくは新しい相棒として、一緒にいろんなところに行くだろう。
 
新しい靴は、なんだか違うところに運んでくれるような気がする。
いつもの道も違う音をたてる。
シャツもズボンもいつものものなのに、なんだか全部おろしたてのような気持ちになるから不思議だ。
 
さて、今日から三日間は四国。
はじめて行くところです。
良い出会い、素敵な音楽ができますように。。。

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2015年9月 6日 (日)

茅ヶ崎交響楽団演奏会

9月20日
茅ヶ崎交響楽団演奏会があります。

曲目は、
歌劇「売られた花嫁」序曲(スメタナ)
「ジークフリート牧歌」(ワーグナー)
「交響曲第6番」(チャイコフスキー)

スメタナは1824年生まれ。
無名だった彼は24歳の時当時売れっ子だった「リスト」に手紙を出します。
僕のことを知ってください、と、自作の楽譜を添えて。

ある日パーティーの席上で某がチェコ人をけなします。
チェコの出自の人間にはろくな奴がおらん、政治家然り、芸術家然り…と。
スメタナは反論しますが一笑に付されてしまいます。
そこにピアノの音が聴こえてきます。
弾いているのは今を時めくリストその人。
人々は、素晴らしい!これはあなたの新曲かね?、と口々に褒め称えます。
いや、この曲はそこにいるチェコ人、スメタナ君の作品だよ、とリスト。

多少の脚色はしましたが、ほぼ史実。
リストはスメタナを認めていたんですね。
スメタナは後にチェコ国民楽派の父と呼ばれ、交響詩「わが祖国」でその名声を不動のものとします。(この曲を書き終えるときにはもうその両耳が音をとらえることはありませんでした)

さて、ピアノの大家、交響詩の始祖として有名なリスト。
リストの先生は教則本で有名な「ツェルニー」さんで、そのまた先生は「ベートーヴェン」さん。
リストには「コージマ」さんという娘がいます。
そしてコージマさんは、後に指揮者としても有名になるお父さん(リスト)の弟子、「ハンス・フォン・ビューロー」さんと結婚します。
で、ここで登場するのが「ワーグナー」

ワーグナーはスイスへの亡命等でリストにはとってもお世話になりました。
その縁もあり、コージマさんとビューロー君とも親交が深かったのです。
当時はブラームス派とワーグナー派の対立の真っ最中。
リスト一家はワーグナー派だったのですね。
ところが、ところが…
コージマさん、1865年に3人目の子供を産みます。
実はこの娘、ワーグナーの子…
『トリスタンとイゾルデ』にちなんで「イゾルデ」と命名されました。
因みに『トリスタンとイゾルデ』の稽古初日に産まれました。
で、その指揮者はビューロー君…

1867年にはワーグナーとコージマの間に第2子が産まれます。
『ニュルンブルクのマイスタージンガー』のヒロインの名にちなんで「エヴァ(エーファ)」と命名されます。
『ニュルンブルク…』の初演指揮者もビューロー…
なんて複雑な…

そして1869年に産まれたのが、男の子「ジークフリート」
その名の通り楽劇『ジークフリート』からの命名です。
ここにきてようやくコージマはビューローと別れワーグナーと結婚します。
まぁ、そのあたりの複雑なお話はまたゆっくり話すとして…

「ジークフリート牧歌」は愛する24歳も年下の妻、コージマの誕生日のために作曲されました。
けして派手ではないしっとりとした曲調の中に、ワーグナー本人、コージマ、3人の子供たち、そして美しい緑の木々に囲まれた自然の様子が見事に描かれています。
因みに、その息子であるジークフリートが自分で指揮をしたこの曲の録音は今でも聴くことが出来ます。
この曲の初演は自宅で、コージマに内緒で準備をして、演奏のサプライズプレゼントになりました。
その時トランペットを担当したのは後にやはり指揮者として有名になる「ハンス・リヒター」
彼はトランペットの出番が少ないのでヴィオラも持ち替えで演奏しました。
あの有名なチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の初演を指揮したのはこの「リヒター」さんです。

さてさて、コージマの元夫、ハンス・フォン・ビューローは、ワーグナーのもとを離れ結局ブラームスと仲良くなります。
ピアノの名手としても知られた彼はある協奏曲の初演をして有名になりました。
その曲はチャイコフスキー作曲の「ピアノ協奏曲」
かのニコライ・ルービンシュタインをして「演奏不可能」と言わしめた曲です。
後にルービンシュタインはこの曲の素晴らしさを認め、チャイコフスキーに謝罪して自分の得意レパートリーに加えたのですが。

チャイコフスキーはビューローの10歳年下。
そのチャイコフスキーが1893年に亡くなる、その年に書きあげたのが「交響曲第6番」
通称で「悲愴」と呼ばれますが、スコアにはじめあったこの副題は消されたようです。
交響曲というジャンルの中でもとりわけ人気の高いこの曲。
1893年にチャイコフスキー自身の指揮で初演されました。
今日見られる速度表記等の多くは彼自身の筆によるものではないようです。
しかし、彼も目にした可能性があるものも多く、また、彼自身の演奏から書き加えられたと考えられるものもあり、「貴重な演奏への提言」として受け取るべきものでありましょう。
この初演のわずか9日後、チャイコフスキーは53年の生涯を終えます。

というわけで、この3曲にはつながるエピソードがあるわけですが、それを意識しての選曲ではないそうです。
でも、知っていると楽しめる、そんなエピソードでした(*^_^*)

ぜひ聴きにいらしてくださいませ。
チケットご希望の方はメールかメッセージをください(*^_^*)

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emotional..., in other word...

「B・J・ロス」

僕は知らなかった言葉なのだが…
「あまちゃんロス」とか「タモさんロス」と言う風に使うらしい。
要するに、朝の連ドラが終わったり、笑っていいともが終わって、その喪失感を言い当てた言葉らしい。

オペラ「ブラック・ジャック」
とても長い道のりだった。
と言っても僕が参加したのは3年半ほど前から。

コロス、合唱、キャスト、オケ、の音楽稽古。
脚本や演出への微力ながらの手伝い。
オーディションや楽譜の整備、等…

素晴らしい作品だった。
親友、宮川彬良の紛れもない代表作の一つ。
演出も振付も才気にあふれ、歌い手とオケの作品に対する愛情もこの上演の成功になくてはならないものだった。

素晴らしいコレペティとの出会い。
先ず言葉ありき、そこから音楽が生まれた、源たる脚本。
百戦錬磨の舞台スタッフ、照明は、特筆すべきもので、さすが日本を代表するスタッフたち、何のストレスもなく難しいスケジュールの中で最善を尽くしてくれた。
そして何よりも、プロデューサーの執念にも近い熱い思い。

本当に有難く、感謝の気持ちで一杯。
いろいろあったにせよ、やはり公演は大成功で、今後も再演を続けるべき作品であるのは誰の目にも明らか。

でも…
僕には「B・Jロス」は訪れなかった。
最後の一か月は無理に無理を重ねた(もちろん、みんなそうなのだが…)
で、終演後には心よりも体の疲れで精も根も尽き果てた感じ。
本番翌日も一人で豪華なウナギを食べてから帰路についたが、寂しさも喪失感もなかった。
ガラス越しに指揮をしていて、生の演奏も舞台もほとんど見ることはできなかった。
観衆の反応もスタンディングオベーションも肌で感じることができなかった。
終演直後、舞台で喝采を浴びる仲間たちを、ガラス越しに誇らしく、しかし他人事のように眺めていた。

あの、祭りのような日々を今振り返って、沸々と思いが沸き立つ。
そうか、僕はゴールテープをきれなかったのだ。
満足していないのだ。
愛すべき素晴らしい歌声や演奏に、この公演の成功に、少しは貢献できたと信じている。
でも自分の力を存分に発揮したという実感にはたどり着かなかったのだ。

だから、この先に続くこの作品の行く道に想いを馳せて、まだ道半ばの思いのまま、「B・J」は続くのだ。

また、この仲間とこの作品にチャレンジしたい。
一つのステージを創り上げるのは山登りに似ている、というのは僕の好きな例え話。
自分の力で、足で登った山だからこそ頂上で見た景色には意味があるのだ。
登る途中で出会った人や言葉や出来事がすべて、その感動に色を添えるのだ。
今回どこまで登れたのかはわからない。
次に登る時には僕もみんなと同じ景色が見たい。

みんなと離れるのは寂しかった。
また会いたい。
また会えると信じている。

あれ…?
これが所謂…
「B・Jロス」…なのか…?

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