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2016年4月

2016年4月28日 (木)

風を描く

福島駅に思ったより早く到着した。
GWの混雑を恐れて早めに行動したが、肩透かしを食ったようにすべてはスムーズに進行。
読みたかった楽譜も読めた。
せっかくなのでリニューアルした福島県立美術館へ。
 
ここの年間パスポートはなんと3000円!
企画展も常設展も見放題。
今日はネーデルランドの絵画たちが中心の企画展。
レンブラントにフェルメール、etc...
 
ロシアのサンクトペテルブルクに滞在した際、様々な国の指揮者たちと連れだってエルミタージュ国立美術館へ行った。
ゆっくり見ているととても一日では回りきれない。
約一月の滞在中4、5回訪れた。
 
レンブラントに全然詳しいわけではないしそれほど興味もなかったのだが、あれだけ大量のレンブラントを見るとお気に入りもいくつか見つかる。
僕が好きなのは、染まる空と風の描写。
 
絵画でも版画でも漫画でも、風を上手く描く人に憧れる。
 
暑い夏の日に、太陽に縫い止められて止まった時間と空気。
そこに吹く風と近づく夕暮れ。
 
ワイエスの描いた「そよかぜ」
「動いている時間」を「風を止めることなくそこに写しとる」
写真のそれとはちょっと違う。
上手く説明できないのがもどかしいけれど。
 
音楽でも風を描く人がいる。
 
僕も風を描きたい。
刹那の時間を永遠に描き止めたい。
体現する指揮者としても。
具現化する作曲者としても。
 
表現への憧れと探求は、
100年じゃ足りないのかもしれない・・・

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ancora eroicamente

たくさん質問のメール頂きます。
Ancora eroicamente
「もう一度(さらに)英雄的に」
この中にテンポに関する指示はありません。
つまり、テンポは変わらないのです。
 
「でも、冒頭にも同じ記述があり、それと同じと言う意味を含むならば同じテンポでやるべきではないの?」
 
いいえ。
やるべきである、という読み方は曲解です。
「冒頭と同様に(或いはさらに)“英雄的に”演奏する」と解釈するのが正しく、そしてそれが「なんの必要(或いは必然)で書かれたのか」を読み取るべきなのです。
 
苦難を越えて旅をしてきた若き英雄が、最後にどんな言葉を語るのか。
それとも、昔語りの老人の話す冒険譚なのか、年老いた英雄自身の想い出話なのか、それとも客観的に語るストーリーテラーのプロローグとエピローグなのか。
 
この曲を書いた時、「英雄」は現在進行形で物語を奏でていました。
つまり、そのまま駆け抜けるテンポしかありえなかったのです。
しかし、しばらく経って楽譜を眺めるとちょっと違う情景が見えてきました。
 
まったく違う時系列、主観と客観、受動と能動…etc...
ああ、いろんな表現の可能性がある…
そう思って具体的な速度の縛りを外しました。
 
そういうわけで、
「はじめと同じテンポにするべきだ」と言うのははっきり間違い、です。
でも、その表現に必要だ、と思うのならば、堂々とテンポを変えてももちろん構わないのです。
 
音響的理由や、技術の問題だけで遅くするのはおやめください(*^_^*)

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2016年4月18日 (月)

チェロを弾く

昨晩は福島から深夜に帰宅。
そのまま昼前までかけて急ぎの楽譜を書く。
で、午後はオケリハ。
キツかったけれど、奏者の皆さんもかなりきつかっただろう…付き合ってくれて感謝…
難しい曲だけれど少しずつ光明が見えてきた…ような気がするな。
 
家に帰って、さて今日は読みかけの楽譜を読みましょう。
ところが…
 
楽譜開いても音が頭に流れない…
ただの象形文字の様にしか音符が見えない…
 
そう、
とっても疲れているのですね。
 
もうず~っと弾いていないチェロを引っ張り出しました。
なんでだろう?
なんとなく、なのですがとっても弾きたくなったのです。
 
サクッと調弦して弾きだすと、
なんだか心がすぅっとほぐれていきます。
ちなみに、僕のチェロはヘタッピです。
謙遜、などではもちろんなく、我流でただ弾き鳴らすだけです。
 
音楽、と呼べるようなシロモノではないのでしょうが…
ココロに浮かぶメロディを弾いていると、なんだか漸く心が音楽に向かっていくように思えます。
 
外は昼間の激しい雨もやみ、不思議な生暖かい春の夜。
思い立って、屋上でチェロを弾きます。
朧な月明かりの下で聴こえるチェロの音はなんだかステキで、自分がとってもうまくなったような気がします。
 
僕にとって音楽と言うのは、「ただそこにある音楽」、なのであり、自己表現や自らの感情の発現の対象ではないのです。
でも、ただ一人で深夜に月の下で音を奏でていると、その喜びは忘我でありつつもやはり、自分の心の声だと気付かされるのです。
 
ああ、やっぱり音楽っていいなぁ、好きだなぁ…
ありがとう、また一緒に音楽やりましょ。
(写真は本文とは関係ありません(*^_^*))
Sp

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ブリッツと宇宙の音楽

6月に久しぶりにブリッツ振ります。
2年ぶりかな? 
 
少しコンクール向けプログラムなのかな?
僕は課題曲からマーチ以外3曲と、高昌帥氏の「マインド・スケープ」を振ります。
そして…
 
「宇宙の音楽楽しみです!」
とか、
「西村さんの宇宙の音楽!絶対聴きたい!」
等々、メッセージを頂く皆さま…
ごめんなさい、今回僕は「宇宙の音楽」振りません…
 
こんなに反響があるとは思わなかったのですが…
ロンリープラネットの強烈な抒情性、アゴーギクとルバートの絶妙な色違い、ハルモニアの構築とそこから全く対照的に流れ出るコラールの音楽性と歌心。
確かに、僕もかなりのこだわりある曲ではありますが…
 
僕がこの曲を振る、と思った皆さん。
誤解させて、期待させてしまったのならごめんなさい…
またの機会をお待ちください…
スミマセン…
 
高昌帥氏とは数年前、「バンド維新」でご一緒してからの付き合い。
その時僕はなんと、「シュレーディンガーの猫」で作曲家、として登場したのでした(*^_^*)
新実徳英さんと西村朗さんともそれ以来仲良し。
高さんは僕の曲を高く評価してくれて、嬉しかったなぁ…
新実さんが目の前で「シュレーディンガーの波動方程式」をすらすら書いたのにもびっくりしたけれど、最近某大学の女子学生もその場で書いて見せてくれました。
みんなすごいなぁ!
 
高昌帥氏の音楽は堅実な主題の展開と鮮烈なアイディア、そして対照的な抒情性が魅力。
数少ない、吹奏楽も書いてくれる天才作曲家の一人だと僕は思っています。
その高さんの「マインド・スケープ」
西村友の指揮とブリッツの一人一人が、この曲からどんな世界を紡ぎだすのか。
僕もすごく楽しみです。
乞うご期待、です!!(*^_^*)

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2016年4月 6日 (水)

チョコレートとビスケット

数年前書いたマーチ
「Biscuit in the pocket」
 
子供の頃、ポケットにたった一つビスケットがあるだけで、ずっと遠くへ、どこまでも歩いていけるような気がして…
そんな気持ちで作ったマーチです。
叩くと増えるあの曲とは無関係。
数回演奏してそのままになっていました…
 
今回、
「Chocolate in the pocket」
を作曲しました。
コンセプトは同じ。
小さな小さなジャーニー、冒険です。
 
いつも行かない公園まで遊びに行くのが大冒険だったあの頃。
ポケットにチョコレートがあるから大丈夫。
その気持ちだけを持って旅に出たあの頃。
 
新しい道、景色、出会い、感動、なんだか忘れかけている気がして…
ちっぽけな欠片一つのジブンをもって冒険に出ていたあの頃と、何一つ変わっていないのに…
 
他の仕事の合間に、たった3日で書いた作品。
去年あんまり楽しかったので、つい…書いちゃいました。
 
4月の出版に間に合うかと思ったら、嬉しい諸事情により5月、或いは7月に2曲一緒に出版したいと思います。
場合によっては来年の発売になるかも…(^_^) 
 
 
 

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擬人化文化、或いはアイザック・アシモフ25回忌

つくづくすごいと思う。
日本の擬人化文化。
 
現代、「擬人化」には二つの意味があるようだ。
一つは
「自然の現象や動きに、人間のような感情をあてはめたり、意思を見出す」
例えば、
「太陽がにっこり笑っている」
「今日は車の機嫌が悪い」
「大地が怒りに震えている」
などなど。
 
もともとの「擬人化」とはこちらの用法を指す。
漫画の中で太陽がにっこり笑って挨拶したりするのは、この用から法端を発していると思う。
しかし最近は、もう一つの使用の方が目立つように思われる。
 
 
もう一つは、
「無機物や動物に人格を投影する」使い方。
簡単に言えば動物や物を使ってお話を作る用法。
 
やえもんもトーマスもシャギントンも、だるまちゃんとかみなりちゃんも、象のぐるんぱも、おしゃべりしたりしょんぼりしたりにっこりしたり。
3匹の子ブタはお家を立てるしオオカミはおばあさんに扮装する。
ミッキーもトッポジージョもガンバもねずみだし、プーさんもダフィもジャッキーもくまさん。
猫は百万回生きたり、名前はまだないが自己紹介したり、1000年生きた狐は前世の恋人と結ばれ、犬の銀牙は友のために命を懸ける。
傘をもらったお地蔵さんは歩き出すし、助けてもらった亀は人を乗せて海を行く。
 
飛行機も自動車も喋るし、恋もする。
隠れクマノミは大冒険するし、おもちゃたちも人間と共存して暮らしている。
アリスはトランプの兵隊に出会うし、くるみ割り人形だって歩き出す。
 
悪者の象徴、優しいお爺さん、愛嬌のあるふとっちょ、といった実際の人間像を動物やモノに投射しているようなキャラクターも数多い。
 
子供向け商業番組などの世界も。
宇宙鉄人キョーダインでは兄弟が飛行機と自動車に変身し、さらにそれがロボットと化して敵と戦う。
トランスフォーマーや他の戦隊ものでも、電車や車がロボットに変身して人格を持つ。
でもこの辺りは、子供たちが好きな乗り物や興味があるモノらを利用して擬人化し、商売につなげている、と言う大人の事情が見え隠れしたりする。
 
お化けや妖怪や、想像の世界の生き物たちが持つ人格は、擬人化、と呼べるのかな…
目玉おやじやぬりかべや、ピカチューやジバニャンも…
 
 
 
愛着のあるものや心を寄せた動物やモノを擬人化させた物語も良く見られる。
ピノキオ然り、ペトリューシュカ然り、スーホの白い馬然り。
はたまた、人の想いや感情がモノに移り、意思を持ったり。
(そう思えば呪いのワラ人形も擬人化と言えるか…)
 
子供たちが大切なぬいぐるみに名前を付け、お話しし、親友になる。
それもこのタイプの擬人化。
古い人形にも魂が宿る、と言うが…
 
僕の愛車「セリカ」にもはっきり、感情がある。
ナイト2000みたいに。
 
僕が思うに、
昔の人が、馬に人間と同じ愛情をもって接した感情は、現代のバイクや車に持つ愛情にも受け継がれているのではないだろうか。
また、船乗りやパイロットが命を預ける愛機や愛船も然り。
その擬人化もまた同じ機序による。
 
というワケで、その機序で行けば我々音楽家の操る楽器たちも同じ。
名前を付ける人は多いだろうし、「機嫌がある」と断言する奏者も多いことだろう。
 
 
コンピューターが発達し、A.I.(人工知能)の考え方が生まれると、無機物に人格を持たせる擬人化はより多様化し、一般化した。
「2001年宇宙の旅」のコンピューターは身の危険を感じて人を殺す。
「火の鳥」の中では世界各国はそれぞれのコンピューターが統治し、最後には最終戦争へと突入する。
「マトリクス」でも「ターミネーター」でも、未来の世界を牛耳るのは人工知能だ。
「バビル2世」でも敵の首領は人工知能。
「キャプテンハーロック」のアルカディア号には意思があり、「銀河鉄道999」も時に意思を持つ。(生体コンピューター?)
「ちょびっツ」ではコンピューター自体に人格が生まれ、恋も知る。
 
でも、これらの人工知能や、「初音ミク」や育成ゲームやロールプレイングの中に見られる人格は擬人化とは呼ばないだろう。
だがその境界は曖昧になりつつある。
 
かのアイザック・アシモフ氏は、自作のSF小説の中で「2058年のロボット工学ハンドブック」として有名な「ロボット3原則」を書いた。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
手塚治虫もすごく影響を受けた作家だし、むしろ影響を受けていない人の方が少ないと思われ。(「火の鳥」に登場するロビタはアシモフのロビィへのオマージュ)
アシモフの「バイセンテニアル・マン」(ロビン・ウィリアムス主演で映画化もされた)の中ではロボット(アンドロイド)は独立した意思を持ち、自らの体を改造し愛する人、人間に近づこうとする。
そして最後は「人間」として死を迎える。
究極の擬人化と言えるかもしれない。
 
ちなみに今日4月6日はアイザック・アシモフ氏の25回忌である
 
 
昨今では、そんな既存の枠をはるかに超えた擬人化を見ることが出来る。
特に漫画、アニメの世界で多い。
 
・「ドラえもん」 ⇒ 台風のフー子、のび太を守るために大きな台風とたたかう、etc...
・もやしもん ⇒ 菌がしゃべり、見える。
・艦隊これくしょん ⇒ 戦艦や空母が女の子に
・P.S.すりーたん ⇒ プレイステーション3がアイドルとして、うぃーたんやでぃーえすたんと奮戦
・終電ちゃん ⇒ 終電が心優しい女の子(しかし“ツンツン”)※ちなみにツンツンとは“ツンデレ”の強化版であり、全く“デレ”がない女の子のことではない
・「OSたん」 ⇒ Windowsとかオペレーティングシステムの擬人化
・「あふがにすタン」「ぱきすタン」 ⇒ 国を擬人化
 
日本人の想像力おそるべし…
国や終電まで擬人化するとは…
 
考えてみれば、「ご当地キャラ」「ゆるキャラ」だって擬人化のオンパレードだ。
メロンだって納豆だってお花だって歩き出す。
 
ところで、特筆したいのが、吉田戦車の「一生懸命機械」
正統派(?)擬人化漫画である。
リモコンと人間との確執と和解
圧力なべのプライドと根性
洗浄トイレの欺瞞と虚無
換気扇のジレンマと真心
降雪機の献身
もぐらの悲哀
ワイパー様のエロ本
etc...
擬人化漫画の金字塔である
 
 
科学的に言えば、車に機嫌などないし、空は怒ったりしない。
 
それは、シュレーディンガーの猫で描かれた矛盾。
意思を持たず行動するはずの素粒子で創られている我々が、なぜかいつの間にかココロを持ち、時に美しい景色に涙し、時に愛を語り、時に死を恐れる。
天元突破「グレンラガン」では虚無が意思を持ち、とうとう小宇宙を投げ合う極大の世界にまで達する。
それはミクロ(極小)の世界とマクロ(極大)の世界を融合させた、いわゆる場を超えた大統一理論の一般化へのチャレンジに思える。
 
天元とは碁盤のど真ん中。
中国ではすべての始まりを指すらしい。
宇宙の始まりは一つの点だった、とするのならば天元は終着点ではなく最初の瞬間だ。
そこを突破する方法は、物理学では説明のできない、人間の想像力しかないのだと思う。
 
つまり擬人化とは、希望と願望、夢と憧れ、畏怖と恐怖、禁忌と嫌悪、懐古・望郷・揶揄…そのほか様々な人間の感情を投影した、想像力の世界。
本来交わるとは思えない架空と現実の世界のかけはしが、擬人化なのだ。
 
ミクロとマクロ、架空と現実、それらの融合と共有。
 
そして、音楽にもそれは可能なのだ。

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