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2016年4月 6日 (水)

擬人化文化、或いはアイザック・アシモフ25回忌

つくづくすごいと思う。
日本の擬人化文化。
 
現代、「擬人化」には二つの意味があるようだ。
一つは
「自然の現象や動きに、人間のような感情をあてはめたり、意思を見出す」
例えば、
「太陽がにっこり笑っている」
「今日は車の機嫌が悪い」
「大地が怒りに震えている」
などなど。
 
もともとの「擬人化」とはこちらの用法を指す。
漫画の中で太陽がにっこり笑って挨拶したりするのは、この用から法端を発していると思う。
しかし最近は、もう一つの使用の方が目立つように思われる。
 
 
もう一つは、
「無機物や動物に人格を投影する」使い方。
簡単に言えば動物や物を使ってお話を作る用法。
 
やえもんもトーマスもシャギントンも、だるまちゃんとかみなりちゃんも、象のぐるんぱも、おしゃべりしたりしょんぼりしたりにっこりしたり。
3匹の子ブタはお家を立てるしオオカミはおばあさんに扮装する。
ミッキーもトッポジージョもガンバもねずみだし、プーさんもダフィもジャッキーもくまさん。
猫は百万回生きたり、名前はまだないが自己紹介したり、1000年生きた狐は前世の恋人と結ばれ、犬の銀牙は友のために命を懸ける。
傘をもらったお地蔵さんは歩き出すし、助けてもらった亀は人を乗せて海を行く。
 
飛行機も自動車も喋るし、恋もする。
隠れクマノミは大冒険するし、おもちゃたちも人間と共存して暮らしている。
アリスはトランプの兵隊に出会うし、くるみ割り人形だって歩き出す。
 
悪者の象徴、優しいお爺さん、愛嬌のあるふとっちょ、といった実際の人間像を動物やモノに投射しているようなキャラクターも数多い。
 
子供向け商業番組などの世界も。
宇宙鉄人キョーダインでは兄弟が飛行機と自動車に変身し、さらにそれがロボットと化して敵と戦う。
トランスフォーマーや他の戦隊ものでも、電車や車がロボットに変身して人格を持つ。
でもこの辺りは、子供たちが好きな乗り物や興味があるモノらを利用して擬人化し、商売につなげている、と言う大人の事情が見え隠れしたりする。
 
お化けや妖怪や、想像の世界の生き物たちが持つ人格は、擬人化、と呼べるのかな…
目玉おやじやぬりかべや、ピカチューやジバニャンも…
 
 
 
愛着のあるものや心を寄せた動物やモノを擬人化させた物語も良く見られる。
ピノキオ然り、ペトリューシュカ然り、スーホの白い馬然り。
はたまた、人の想いや感情がモノに移り、意思を持ったり。
(そう思えば呪いのワラ人形も擬人化と言えるか…)
 
子供たちが大切なぬいぐるみに名前を付け、お話しし、親友になる。
それもこのタイプの擬人化。
古い人形にも魂が宿る、と言うが…
 
僕の愛車「セリカ」にもはっきり、感情がある。
ナイト2000みたいに。
 
僕が思うに、
昔の人が、馬に人間と同じ愛情をもって接した感情は、現代のバイクや車に持つ愛情にも受け継がれているのではないだろうか。
また、船乗りやパイロットが命を預ける愛機や愛船も然り。
その擬人化もまた同じ機序による。
 
というワケで、その機序で行けば我々音楽家の操る楽器たちも同じ。
名前を付ける人は多いだろうし、「機嫌がある」と断言する奏者も多いことだろう。
 
 
コンピューターが発達し、A.I.(人工知能)の考え方が生まれると、無機物に人格を持たせる擬人化はより多様化し、一般化した。
「2001年宇宙の旅」のコンピューターは身の危険を感じて人を殺す。
「火の鳥」の中では世界各国はそれぞれのコンピューターが統治し、最後には最終戦争へと突入する。
「マトリクス」でも「ターミネーター」でも、未来の世界を牛耳るのは人工知能だ。
「バビル2世」でも敵の首領は人工知能。
「キャプテンハーロック」のアルカディア号には意思があり、「銀河鉄道999」も時に意思を持つ。(生体コンピューター?)
「ちょびっツ」ではコンピューター自体に人格が生まれ、恋も知る。
 
でも、これらの人工知能や、「初音ミク」や育成ゲームやロールプレイングの中に見られる人格は擬人化とは呼ばないだろう。
だがその境界は曖昧になりつつある。
 
かのアイザック・アシモフ氏は、自作のSF小説の中で「2058年のロボット工学ハンドブック」として有名な「ロボット3原則」を書いた。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
手塚治虫もすごく影響を受けた作家だし、むしろ影響を受けていない人の方が少ないと思われ。(「火の鳥」に登場するロビタはアシモフのロビィへのオマージュ)
アシモフの「バイセンテニアル・マン」(ロビン・ウィリアムス主演で映画化もされた)の中ではロボット(アンドロイド)は独立した意思を持ち、自らの体を改造し愛する人、人間に近づこうとする。
そして最後は「人間」として死を迎える。
究極の擬人化と言えるかもしれない。
 
ちなみに今日4月6日はアイザック・アシモフ氏の25回忌である
 
 
昨今では、そんな既存の枠をはるかに超えた擬人化を見ることが出来る。
特に漫画、アニメの世界で多い。
 
・「ドラえもん」 ⇒ 台風のフー子、のび太を守るために大きな台風とたたかう、etc...
・もやしもん ⇒ 菌がしゃべり、見える。
・艦隊これくしょん ⇒ 戦艦や空母が女の子に
・P.S.すりーたん ⇒ プレイステーション3がアイドルとして、うぃーたんやでぃーえすたんと奮戦
・終電ちゃん ⇒ 終電が心優しい女の子(しかし“ツンツン”)※ちなみにツンツンとは“ツンデレ”の強化版であり、全く“デレ”がない女の子のことではない
・「OSたん」 ⇒ Windowsとかオペレーティングシステムの擬人化
・「あふがにすタン」「ぱきすタン」 ⇒ 国を擬人化
 
日本人の想像力おそるべし…
国や終電まで擬人化するとは…
 
考えてみれば、「ご当地キャラ」「ゆるキャラ」だって擬人化のオンパレードだ。
メロンだって納豆だってお花だって歩き出す。
 
ところで、特筆したいのが、吉田戦車の「一生懸命機械」
正統派(?)擬人化漫画である。
リモコンと人間との確執と和解
圧力なべのプライドと根性
洗浄トイレの欺瞞と虚無
換気扇のジレンマと真心
降雪機の献身
もぐらの悲哀
ワイパー様のエロ本
etc...
擬人化漫画の金字塔である
 
 
科学的に言えば、車に機嫌などないし、空は怒ったりしない。
 
それは、シュレーディンガーの猫で描かれた矛盾。
意思を持たず行動するはずの素粒子で創られている我々が、なぜかいつの間にかココロを持ち、時に美しい景色に涙し、時に愛を語り、時に死を恐れる。
天元突破「グレンラガン」では虚無が意思を持ち、とうとう小宇宙を投げ合う極大の世界にまで達する。
それはミクロ(極小)の世界とマクロ(極大)の世界を融合させた、いわゆる場を超えた大統一理論の一般化へのチャレンジに思える。
 
天元とは碁盤のど真ん中。
中国ではすべての始まりを指すらしい。
宇宙の始まりは一つの点だった、とするのならば天元は終着点ではなく最初の瞬間だ。
そこを突破する方法は、物理学では説明のできない、人間の想像力しかないのだと思う。
 
つまり擬人化とは、希望と願望、夢と憧れ、畏怖と恐怖、禁忌と嫌悪、懐古・望郷・揶揄…そのほか様々な人間の感情を投影した、想像力の世界。
本来交わるとは思えない架空と現実の世界のかけはしが、擬人化なのだ。
 
ミクロとマクロ、架空と現実、それらの融合と共有。
 
そして、音楽にもそれは可能なのだ。

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コメント

は何なんデスか?

映画「her/世界でひとつの彼女」もAIがテーマになっていて面白いですよ。

投稿: | 2016年4月 7日 (木) 00時09分

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