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2016年5月

2016年5月26日 (木)

バルセロナの夜、ではなく浜松の夜

浜松で開催された「バンド・クリニック」にお邪魔した。
「バンド・クリニック」とは、以前は伊勢志摩の合歓の郷(ねむのさと)で行われていた、吹奏楽を中心としたミュージック・キャンプである。
開催母体であるヤマハのお膝元、浜松で開催されるようになって約10年だそうだ。
 
世界各地で音楽フェスティバルは行われており、日本でも大小様々な催しがある。
吹奏楽の音楽祭はそれほど多くはないが、その中でも最大級のものがこの「バンド・クリニック」らしい。
 
プロの楽団、演奏者、指揮者の他、アマチュアの有力団体や指導者も講師として名を連ね、オーケストラの育成方法や運営の講演、指揮法やレパートリーの研究、そして奏法や実際のコンサートなどが行われている。
 
また、楽譜出版社やレコード会社、音楽大学やプロ楽団、楽器店の展示や試奏のブース、なども立ち並び、お祭りに彩を添えている。
 
僕は作曲家としては「ハッスル・コピー」という老舗の出版社にほとんどの作曲作品を預けている。
このイベントに合わせて数曲発売する楽譜があり、僕と丹生ナオミさんの二人が引っ張り出されたのだ。
そこで、非公式の質問コーナーと指揮法アドバイスをやった。
 
何組かの希望者に曲の解説や指揮法講座をしたが、ほとんどは丹生さんと共に楽しく過ごしただけ。
大勢の友人や先生方とも邂逅を果たすことが出来て、とても楽しかった。
さらには、近所のホールでは、前回は僕が指揮をした「浜松子供ミュージカル」の稽古と、ジュニアクワイヤーの練習にも顔を出し、懐かしい顔ぶれにも出会えた。
そして、昼も夜も美味しいものを食べ、呑んで、全く贅沢な話である。
 
しかし、レセプションには顔を出さず、あちこちで自主開催されている分科会にも参加しなかった。
気取っているわけでも疲れているわけでもない。
いじけているわけでも蔑視しているわけでもない。
ただ、大勢と交歓する気にちょっとなれなかったのだ。
 
話したい人は山ほどいて、話したいことは海ほど深い。
素敵な人たちの楽しい話は、とっても魅力的なのに…
ただの近況報告が自己顕示になり、そこに参話する自分が許せなかったのもある。
目的のない議論、論点の曖昧な自己主張、と対峙するのが怖かったのもある。
そして、なぜかとっても寂しい気持ちと悲しい気持ちになってしまったのだ。
 
そんなわけで数人と、しかしとても楽しい酒宴をともにし、最後は行きつけのバーにしけこんだ。
一杯だけのつもりが「コーヒーリキュール7酒の飲み比べ」までやってしまって千鳥足。
友人をホテルまで送った後、少しだけ歩いた。
 
「バルセロナの夜」と「エトランゼ」と言う曲が耳の奥でずーっと鳴っている。
ほろ酔いで歩くと、雲の合間から月が見えた。
 
異国気分で歩いている。
そしてずっと考えている。
 
僕のやりたい音楽は、どうやったらできるのだろうか。
誰と、何処でやればいいのだろうか。
ずっと一緒に彼と、彼女と、音楽をやりたいのに。
僕は何になりたいのだろうか。
僕は何になるのだろうか。
 
ほかにもいろいろ考えたけれど、答えなんぞは見つかるはずもなく、ホテルにも帰りあぐねてただただ、歩いた。
 
今一つ自分にできるとしたら、
「信じて積み重ねる」
それだけのような気がする。
 
今も昔もこれからも、自分にはそれしかできない。
明日死んでも悔い無いように、今を精一杯生きる。
 
分厚い雲の向こうで、月は輝いている。
 

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2016年5月23日 (月)

失態…

昨日は午後神奈川からの、夜は東京小平へ。
 
移動時間はぎりぎり(もちろん先方には了承を頂いたうえ)の車移動。
渋滞もほとんどなくいい調子で圏央道を八王子方面へ。 
今日演奏するドヴォルザークの楽譜を頭の中で繰りながら。
 
やがてちょっぴり車が詰まってきました。
追い越し車線も詰まり気味。
前方は黒のファミリーワゴン。
よく見るとその車の前は空いているようで…
 
ここまで順調だったのでどうやら間に合いそうだし、それほど焦っているわけではないのでイライラはあまりしていなかったのですが…
子どもが何人も乗っているようで、スピードが上がったり急に落ちたり、ちょっとふらついたり。
左からも抜けないし、あおるのも嫌だし…と思いつつ追走。
 
頭の中のドヴォルザークは2楽章から3楽章へ。
最後のあたりは出来れば3拍子でそのまま振りたいけれど、今日の練習では分割しておこうかなぁ…
久しぶりに振るオケだし、まあ余裕を持った練習したいなぁ。
それにはやっぱり暗譜しているのが一番安心。
さて、きちんと憶えているかしら…
 
ちょっとのど乾いたなぁ…何か飲み物買っておけばよかった。
あれ、後部シートにお茶があるぞ…
いつのだろう?飲んじゃおうかな?
飲んでお腹こわしたら情けないな。
それで急にトイレ行きたくなったりなんかして、それで練習に遅れたりしたら情けないし…
 
それにしても前の車は相変わらずだなぁ…
何処まで行くんだろう?
ずっとこのままだったらいやだなぁ…
 
…あれ?
今何処?
… 鶴ヶ島 …
そうそうそう、このまま圏央道抜けて久喜から東北道へ。
 
 … 鶴ヶ島 …?
 
 
!!!!
 
…久しぶりに血の気の引く音を聞きました。
現在鶴ヶ島、小平までは圏央道を戻っても関越道に入っても大体同じ距離。
どちらもきっと一般道は日曜夕方の渋滞…
練習開始まではあと約30分…
即オケに状況を連絡し緊急運転モードに。
ナビの画面では練習開始の一時間後が到着時間予想…
 
しかし道路はほとんど詰まらずスムースでした。
なんだかこういう時に、不思議な力に助けられている気がします。
練習開始に約15分遅れで到着。
もちろん練習に遅れるなんて御法度中の御法度なのですが、このくらいで済んでよかった…
皆さんごめんなさい。
気を付けます!

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2016年5月20日 (金)

バンド・クリニック

明日から浜松で開催される「バンド・クリニック」で僕の曲も数曲発売されます。
先日出版社で打ち合わせしていて、土曜日空いてることを伝えると、「じゃあ、来てよ!」と言う流れになり…
僕も今日明日だけ顔を出します。
 
と言っても何をするわけでもなく…
まあ、ハッスルコピーのブースか浜松市文化振興財団のブースあたりにいます。
「課題曲のアナリーゼや指揮の質問コーナーや、簡単な指揮レッスンやってくれる?」
とリクエストされ…まあ希望者が来ればやります(*^_^*)
しかし、本編のクリニックとは何の関係もないので…
黒いカーテンで仕切って中に水晶玉置いて、怪しい占いコーナーみたいにする、なんて言ってたけど…
 
実は先日、洗足学園で行われた課題曲講習会に行ってきました。
古い付き合いでもある、伊藤康英先生のお誘いで。
で、作曲者との対談コーナーで、「西村君全部やって~」と、無茶ぶりされ、当然喜んでやっちゃったわけです。
段取りもなく準備もなく…
この様子がYoutubeにあがっていて、ちょっと見てみたら…
 
ヒドイ!
早口なうえに、何言ってるのか伝わりにくい!
その場を和ませたり盛り上げるためにやっているパフォーマンスも多く、肝心のことがうまく伝わっていない…
あれは消去したい…
普段はもっときちんとやりますよ、もちろん。
 
バンド・クリニック
内容はよく知らないけれど、指揮者仲間の大井君やプレイヤーもいろいろ来るはず。
あと、吹奏楽関係の知り合いもきっとたくさん来るのでしょう。
そこに真島さんも岩井さんもいらっしゃらないのは寂しい限り…
みんなに会えると嬉しいけれど、何の約束も連絡もしていないし、クリニック自体には何の参加もしないので…会えないかも。
 
吹奏楽関係でない人はあまり知らないでしょうが、今年僕は吹奏楽の曲を書いています。
その曲の大元になった、幼稚園の子供たちが作ったミュージカル(?)「虹の国と氷の国」の原曲の一部(midiの仮録音)を先着何人かにあげちゃいます。
 
欲しい人がいたらお早めにね(*^_^*)
 
夜はいつものあそこにいます。
 
 
 

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2016年5月17日 (火)

ある英雄の記憶①

「去年の秘儀Ⅲのような解説を書いてくれないか…」
と言う話をよく頂きます。
あれはあの曲がとっても素晴らしいので、また一見とても難解なので、自分の為にも深く読み込んだのであって、この「英雄の記憶」にはそれほど難解な部分もなく…
でも要望もあり、せっかくなので少しずつ書いてみようかと思います。
 
ストーリーーやらなにやらは以前にも書いたので割愛…
 
まず、前説的に登場する楽語+etc.について少々解説。
Eroicamente(エローイカメンテ、エロイカメンテ)
イタリア語の「eroica(英雄)」という言葉に「-mente(~のように)」をつけて形容詞のようにしたものです。僕の造語かもしれない…と思ったら案外認知されている言葉だそうです。
ben ten.=ben tenuto(ベン テヌート)
イタリア語の楽語です。benはbeneの語尾省略形です。つまり「しっかり音を保って」とってもよく使われる楽語です。 
 
en dehors(オンデォーr)※カタカナで書くのは難しいですね…。rは喉の奥を鳴らす感じ。アンデオールでもオンドゥオールでもいいかな。
「外に」と言う意味のフランス語です。「その部分を目立たせて」と言う意図でよく使われます。
「(客席に向かって)声を届かせる」と言う意味でオペラではよく登場する言葉ですし、「外側に(足を開く)」と言う意味でバレエでも使われます。というわけで楽語としても登場頻度は高いのです。
 
「こんな言葉初めて聞いた」「なんでわざわざ仏語で書くの?」と言う若い人がいるのは分かるけれど、指導する立場の人でもそんな人がいてびっくり。経験不足ですね。
吹奏楽では、その部分を際立たせたい時に、strident(金切り声のように)、brassy(金属的な強い音で)といった表記も良く見られます。また、forza(フォルツァ=強く)、fz(フォルツァンド=力をかける)、rf,rfz(リンフォルツァンド=強調、補強する)、sf,sfz(スフォルツァンド=強制する、振り絞る)等のイタリア語も、その部分を強調する意味でよく使われます。notevolmente(目立たせて)と言うのも使われる言葉ではありますが、より一般的な言葉としてen dehorsを選びました。
 
「この部分トランペットはもともとメロディなのだから、こんな言葉必要ないのでは?」
と言う人がいてちょっと悲しくなりました。
なぜ作曲家がその言葉を書いたのか、に心を寄せてほしいと思います。
この部分「G」の2小節前、「N」の2小節前、は音の洪水です。人の洪水です。
その雑踏の中で自分の存在を叫んでほしいのです。或いは、混沌の中でもがき叫ぶ様を描いて欲しいのです。
ホルンとトランペットにこの楽語を書いたのはそんな理由です。
 
Allegro con feroce(アレグロ コン フェローチェ)
allegroは「快活に」feroceは「激しく、勇敢に」と言う意味です。
allegroには「陽気に」という意味もありますが、ちょっとここではあてはまりません。どちらかと言うと速度のガイドとしての楽語として使うことの多い言葉です。ここでもそのように使い、feroceを付け加えました。つまり「アレグロのテンポで勇敢に」と言うことです。
feroceは「残忍に、凶暴に」の意味の方が一般的です。しかし、古くは「勇敢」の意味を含んでいたのです。つまり、凶悪に吹き荒れる嵐ではなく、嵐に勇敢に立ち向かう様なのです。
 
stacc.(スタカート、スタッカート)※余談ですが僕はイタリア語をカタカナで表記するならば「スタカート」が良いと思うのです。「alla(~のように)」だったら「アラ」。小さい文字は子音のみ。でも煩雑なので…(^_^)
staccは「分離する」と言う意味です。
「その音を短く切って」でも大体良いのですが、もう少し細かく言うと、「音と音を分離して演奏する」と言う意味です。
ですから、マルカート(減衰を伴う音)でもテヌート(音を保つ)で、音と音の間を断つ、でも良いのです。
ただ単に「音を短くする」とすると困ったことになると思います。
 
「音を短くする、ならば四分音符も短い音符で書けばいいのに」
と言う人がいましたが、まったく真意が読めないのですね…というか多分楽譜を読む経験が少ないのでしょう。
 
文字で表記してある、と言うことはすべての音に・(スタカート記号)が付いているのと同義ですから、音を長目にしたとしても音同士はきちんと独立してほしいです。
 
energico(エネルジーコ)
「力強く」と言う意味です。ただ、精力的に突き進む意味がありますので、自分で運命を切り開いていく、運命に抗う、エネルギーを込めてほしくてこの言葉にしました。
「上の音に向かってcresc.」と言ったエスプレッシーボをかけるのははっきり間違いです。
 
meno f =meno forte(メノ フォルテ)
menoは、よく使われるpoco(少し)の比較級です。
ですから「ちょっとフォルテを少なくして」、つまり「今までより少し弱くして」と言う意味です。「弱い」と言う印象は与えたくないが少し音量を落としたい時などによく使われる楽語です。
 
sonore(ソノーレ)
sonoはもともと「音」の意。「音をよく鳴らす、響かせる」と言う意味でよく使われます。
実は作曲家によって使われ方が結構違います。
「よく歌う」と言う意味に転じて、espressivo(エスプレッシーヴォ=表現に富んで)と混同して使われることがあるのです…

一般的にはespressivoは表現をするためにフレーズの頂点等の抑揚を使います。つまりちょっとしたcresc.やdim.を利用して感情を表現するのです。
しかしsonoreは「一つ一つの音をよく鳴らして」、つまりは「細かいespressivoしないで、一つ一つの音を均等に聴かす(強調して)」ということです。
僕もこちらの意味で使います。
もっと大きな範囲で、俯瞰で見ればそこも含めて大きなespressivoになるわけです…
このことはもう少し説明が必要かもしれませんね…指揮法の範疇かもしれません。
 
sfz=sforzando(スフォルツァンド)
前出の様に、その音を強調したい時によく使われます。
注意したいのは「その音」を強調したいのか「その部分全体」を強調したいのか、と言うところです。様々な作曲家がいろいろな書き方をします。リンフォルツァンドとスフォルツァンドとフォルツァンドを使い分ける作曲家もいます。(フォルツァートとかもありますね)
 
「G」の1小節前のTomをみてみると初めの音符にだけsfzが書いてあります。でもこの音符だけを強調してもあんまり意味がなさそうですよね。だとすると全体にかかっている、と考えた方が自然です。前出のen dehorsと同じような、目立たせる意味だと思われます。もちろんen dehorsとは表現の意味は違います。
 
Malinconia(マリンコニア)
「哀愁を持って」と言う意味です。英語のメランコリックと同じです。最近の作品ではあまり目にしない楽語かもしれません。
 
tenerezza(テネレッツァ)
「やさしさ、慈しみ」と言う意味です。最近のアメリカ作品でよく目にします。
 
piu f =piu forte(ピウ フォルテ)
「強いを強めて」つまり、「今までよりもさらに大きく」
 
Pochiss. piu mosso=Pochissimo piu mosso(ポキシモ ピウ モッソ)
poco(少し)よりも少ないのがpochissimoです。
piuは「もっと多く」、mossoは「動き」
「ほんのちょっと」「もっと多く」「動き」、「ほんのちょっと動きを増やす」、つまりは「ほんのちょっぴり速くする」と言うことです。
 
「見たこともない言葉です。こんな言葉必要ある?」
う~ん、割とよく出る言葉ですよ。あなたが見てきた楽譜にはたまたま出てこなかったんでしょう。勉強不足ですね。この言葉に初めて出会う人にきちんと教えてあげてください。
 
とはいえ…
「pochis.って必要?pocoでいいんじゃないの?」
う~ん…今見ると確かにそうかも…(^_^)
ほんの少しの変化にしてほしくて書いたのですが、pocoでも十分だったかもしれません…
でも、書いた時には自分の中から出てきた言葉なので変更はしません。
 
dolce(ドルチェ)
「甘い、優しい」と言う意味から「柔和に」と言ったニュアンスでよく使われる伊語です。
イタリアでは「お菓子、デザート」と言う意味でも通ります。
 
pochiss.rit.=pochissimo ritaldando(ポキシモ リタルダンド)
「ほんのちょっと遅くしていく」と言う意味です。
補足ですが、この部分「K」の前ではストレットがかかります。
ストレットとは英語で言えばストレス、つまり音量と速度の増加を伴う音楽の運びです。
ですからここのリタルダンドは多めです。
でも「J」がpochis.ならここも同じでないと楽譜上の整合がとれませんので…
 
a tempo(ア テンポ)
「テンポで」、「先ほどのテンポで」と解されることが多いです。
一般的にはTempo I(テンポプリモ)と区別され、速度変化後に元のテンポに戻すときに使われます。「K」の場合には「I」のテンポなのか「J」のテンポなのかわかりにくいので数値を書きました。つまり「I」のテンポと同じです。
 
cresc. poco a poco=crescendo poco a poco(クレシェンド ポーコ ア ポーコ)
少しずつ(だんだんと)音量を上げる
 
poco rall.=poco rallentando(ポコ ラレンタンド)
「ちょっと遅くする」
ritardandoもほとんど同じ意味で使われます。使い分けている作曲家も多くいます。
バルトークの曲のある部分などでは1小節毎に登場したりします。
ではどう違うのか…
「ritardare=遅くなる、ぐずぐずする」「rallentare=遅くする、緩む」と言う元の意味から表現のアイディアを得ることは可能でしょうね。
作曲家の意図を読んで演奏する、と言うのが大前提ですが…
僕のこの曲の場合「D」の前よりも「L」の前の方が感情の描写が強い気がしてrall.にしました。(「緩む」…は違いますね)
 
poco accel.=poco accelerando(ポコ アッチェレランド)
少し速度を暫増する
 
Soar!(ソアール!)
空に舞い上がる!と言う意味です。
しかし…
 
今回この曲を書くに際して、小難しい楽語、こねくり回した回りくどい楽語、マニアックな楽語は使わず、一般的な表記のみで書こうと決めました。
細かい表現は演奏者がしてくれれば良い、と考えたのです。
ここまで(僕が思うに)一般的な言葉ばかりです。
しかし、若い音楽家(中学生や高校生)は初めて目にする方も多くいたようです。
で、ここでの解説を試みたわけですが…
指導する人たちの中からもそんな声が聞こえてきて…
でも、有名な曲を読んでいると普通に出てくる言葉ばかりだからなぁ…
 
で、このSoar!
この言葉だけは一般的な楽語とは言えません。
それに、英語です。
古いフランス語からきた言葉のようですが…
実は僕はこの言葉が好きでよく使います。
僕はよく知らないのですが、吹奏楽(ライニキーやスウェアリンジェンetc...)で時々出てくる言葉だそうで、吹奏楽関係の方の方が馴染みがあるそうです。
でも、僕が思うにはこの言葉だけは楽語でもないし一般的でもないかもしれません。
 
Ancora eroicamente(アンコーラ エロイカメンテ)
「もう一度 英雄の様に」
ancoraには「もう一度」「さらに」という意味があります。
他のコラムでも書きましたが、解釈はいろいろあると思います。
基本的にはテンポの指示は含まれていません。

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2016年5月12日 (木)

ゲシュタルト崩壊

一つの文字をじっと見ていると、
例えば、自然の「然」の字を間近で集中してみているうちに、だんだんそれぞれのパーツが独立して見えてきて、どうしても一つのまとまりとしての情報にとらえられなくなる、
そんな失認の一つが「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる。
 
ゲシュタルトとはドイツ語で「形態」の意味。
それは文字だけではなく、人の顔だったり、他の知覚でも起こりうるという。
 
有名人の似顔絵を見ていて、それも近くで見ているとだんだん誰だかわからなくなり、しまいには顔としての認識も危うくなる。
そんな経験したことはないだろうか…
それもゲシュタルト崩壊。
 
意味あるものの意味が消えたり、
意味ないものに意味を感じたり…
 
ピアノを弾いていて、弾き慣れて耳でも頭でも指でも覚えきっている曲が、ゆっくり弾くと全然訳が分からなくなる。
まったく思い出せなくなる。
これもゲシュタルト崩壊。
 
目を閉じていても、自分の中の常識が崩れていくのを想像すると激しい目眩に襲われる。
 
ピカソの一連の「二人の裸婦像」たち。
はじめ写実的な肖像がやがて変容していく。
そこには主観と客観が入り乱れ、不可思議な映像も挿入されるのだが…
ゲシュタルト崩壊の過程を見るような気がしてならない。
 
これはチャンスオペレート(偶然性)ではない。
一つの認識であり、意図である。
知覚の地平線、認識の水平線をぎりぎりで漂う危うさは、もしかしたら他の次元への入り口なのかもしれない。
 
そんな絵もある。
そんな音楽もある。
 
狂気とは違うが、何かが共通もしている。

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2016年5月11日 (水)

雨を聴く、或いはPopDanceSuite

屋根を叩く雨を聴く
 
絶え間なく続く音は、
なにも音がしないのとおんなじだ。 
 
だからホッとするのか。
 
https://www.youtube.com/watch?v=j3jX367oMCM
 
https://www.youtube.com/watch?v=2xI1kiG_NQI
 
 
二人の才気あふれる演奏。
どちらも素敵だ。

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2016年5月10日 (火)

ドビュッシーを弾く

揺れる海に潜りながら、
光る水面へ向かってひたすらもがくように…
 
ああ、僕は何処へ向かうのだろう…
何処へ行けるのだろう…
 
ドビュッシーを弾く。
ただひたすら弾く。
 
アラベスク、子供の領分、ベルガマスク組曲、ピアノの為に、夢、前奏曲集、版画、映像、エピグラフ、小組曲、喜びの島…
交響詩「海」やノクターンも弾く。
むさぼるように弾く。
ただ弾く。
好きなように弾く。
何度も何度も…
 
この和音が好きだった。
この音にシビレたあの日の感動を少しずつ思い出してきた。
マラルメもボードレールもヴェルレーヌも。
 
昔よりちょっと上手になったから?
いろんな音がすごく愛おしい。
涙が出る。
ぽろぽろ出る。
 
音楽が大好きだから。
だから大丈夫。
大丈夫だと思う。
 
この感動と情熱と、大好きだという気持ちがしっかりあることを思えたから。
大丈夫だと思う。
 
ああ、恥ずかしい一人の誕生日だ。

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2016年5月 6日 (金)

前々夜

Dsc_0017

Chemexの新しいコーヒーサーバーを買った。
これがとっても良い!
早速一杯。
 
昨日は新しい、才能溢れる素敵な友人を得た。
なんともウマの合う予感。
数年ご無沙汰だった友人との旧交も暖まった。
共演がすごく楽しみ。 
 
僕は作曲するときの多くはピアノに向かう。
いろんな楽器の音をはっきりイメージできるから。
楽譜を書くとき、オーケストレーション、アレンジ、の時はPCの大きな画面とエレピの間に座る。
でもこれらは多分、音楽の芽はもうでていて、それを育てる時間。
 
では、音楽の芽はいつ出るのだろう?
時にはうろうろ歩き、時には他の何かをしながら心は夢想(妄想?)の世界へ飛ぶ。
ドライブしたり、浜辺に寝転んだり、温泉に浸かったり、雪山に遊んだり、月夜にバルコニーでウイスキー飲んだり。
人と会話したり、美味しいものを食べているときにも発芽する。
飛行機の中やファミレスや喧騒のスクランブル交差点の真ん中でも。
上手く説明できないけれど、音楽は常に身近にあって、酒樽に柄杓を入れるように掬い出す感覚。
だいたいこんな調子なので、追いたてられて作曲した、と言う記憶はあまりない。
「作曲家」と自分で言えるほど書いていないからこんな悠長なことが言えるのだろうが…
 
指揮の方はどうだろう。
指揮者の仕事場。
それはもちろん、リハーサル現場とステージ(ピット、スタジオも)なのだが、僕の場合その前の「楽譜を読む作業」が一番時間がかかるだと言える。
それは、考えてみると作曲の作業と驚くほど似ている。
特に頭の中に楽譜がもう入っている場合には、お風呂でも、歯医者の待合室でも、眠りに落ちる直前のベッドの中でも、アイディアは次々萌芽する。
楽譜への書き込みやリハーサルの準備は補助的な作業。
 

 


新しいコーヒーサーバーを買ったので、コーヒーを淹れてバルコニーに出る。
暑くもなく寒くもなく、風も強くなく匂いも悪くない。
そして薄曇り。
こんな日は一年でもそう多くはない、特別な日なのかもしれない。
 
年若き友人の声で、当たり前になりかけていた大切なことをもう一度実感した。
すべては新鮮で、すべては新しい出来事。
そうやっていると、身の回りのことが全部音楽に思えてくる。
 
人生は旅で、
旅は音楽で、
音楽は旅で、
旅はそれ自体が目的であり、
人生を旅することは、音楽を旅することは、人生を音楽することだと、
あらためて思えたのです。

 

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