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2016年5月12日 (木)

ゲシュタルト崩壊

一つの文字をじっと見ていると、
例えば、自然の「然」の字を間近で集中してみているうちに、だんだんそれぞれのパーツが独立して見えてきて、どうしても一つのまとまりとしての情報にとらえられなくなる、
そんな失認の一つが「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる。
 
ゲシュタルトとはドイツ語で「形態」の意味。
それは文字だけではなく、人の顔だったり、他の知覚でも起こりうるという。
 
有名人の似顔絵を見ていて、それも近くで見ているとだんだん誰だかわからなくなり、しまいには顔としての認識も危うくなる。
そんな経験したことはないだろうか…
それもゲシュタルト崩壊。
 
意味あるものの意味が消えたり、
意味ないものに意味を感じたり…
 
ピアノを弾いていて、弾き慣れて耳でも頭でも指でも覚えきっている曲が、ゆっくり弾くと全然訳が分からなくなる。
まったく思い出せなくなる。
これもゲシュタルト崩壊。
 
目を閉じていても、自分の中の常識が崩れていくのを想像すると激しい目眩に襲われる。
 
ピカソの一連の「二人の裸婦像」たち。
はじめ写実的な肖像がやがて変容していく。
そこには主観と客観が入り乱れ、不可思議な映像も挿入されるのだが…
ゲシュタルト崩壊の過程を見るような気がしてならない。
 
これはチャンスオペレート(偶然性)ではない。
一つの認識であり、意図である。
知覚の地平線、認識の水平線をぎりぎりで漂う危うさは、もしかしたら他の次元への入り口なのかもしれない。
 
そんな絵もある。
そんな音楽もある。
 
狂気とは違うが、何かが共通もしている。

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