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2016年7月

2016年7月29日 (金)

自作を指揮する、と言うこと

僕は作曲もします。
作曲、大好きです。
文章も書きます、演出もします。
歌も歌うし楽器も演奏するし、ちょっぴり踊ったりもします。
それらは全部有機的につながっていて、切り離せるものではないのです。
でも・・・
 
指揮をするとき(楽譜を読むとき)に、作曲者の気持ちを知りたいと、理解したいと、思っています。
何を表現したかったのか、何を描きたかったのか。
そこに自分の感性を乗せます。
そして、時には作曲者の想像を超えた世界(デフォルメの意味ではありません)に足を踏み入れます。
 
作曲する時(楽譜を書くとき)には、演奏者を思い浮かべます。
誰が演奏するのか、どんな演奏を望むのか。
そして、時に演奏者は作曲者の想像を超えて羽ばたきます(もちろん良い意味で)
 
では、作曲者と演奏者が同一人物の場合には…?
 
僕の親友の作曲家は自分で演奏もしますし、指揮も振ります。
彼は言います。
自分は楽器を演奏する時も指揮する時も、自分が作曲家であることからは離れない、と。
 
でも僕は…
 
作曲する時に自分が指揮する姿を想像できません。
そして楽譜を読むときには、作曲者がその音を書いた理由、何を表現したかったのか、何を描きたかったのか、自分の全身全霊を傾けて理解し、分析します。
しかし、そこにイメージされる作曲者は、自分ではないのです…
 
理解してもらえないかもしれませんが、自分で書いた曲、とは全く思えないのです。
まったくの別人、或いは多重宇宙の似て非なる自分が書いた曲、としか思えません。
そして、作曲者「西村友」が作曲時には思いつかなかった秘密、曲の内面にたどり着くことがあるのです。
演奏後に我に帰ったときにその発見に驚くこともしばしば。
臆面もなく言わせてもらえば、作曲家としてこの指揮者の読譜力に驚き、指揮者としてこの作曲家の才能に感心するのです。
世の素晴らしい作曲家に比べれば低いレベルの話なのかもしれませんが…
 
兎に角、自分の曲を演奏する際に、作曲者である自分が全く顔を出さないのですから、他の曲を演奏するのと何ら変わりはありません。
でも、「ある英雄の記憶」をコンクールの場で演奏するのにはとっても抵抗があったのです…
 
プロのオーケストラで指揮をするようになった今でも、コンクールの現場に出て指揮をするのに何の抵抗もありません。
音楽は音楽。
でも、課題曲で自作を演奏するのはいかがなものか、と。
そりゃあ、やりにくいったらありゃしない。
当然、揶揄的に「自作自演」と言われるワケで、コンクールの評価的に不利な面も否めません。
それに、コンクール、と言った限定的な場面では、よりそのオケにあった選曲がなされるべきであり、「ある英雄の記憶」がベストな選択とは限りません。
と言うわけで、僕は今年コンクールで課題曲3番を演奏するのを拒み続けてきたのです。
 
しかし、演奏するのは僕ではなくそれぞれのオケの皆さんで、その皆さんが「やりたい!」と言ってくれるならばそれはとても嬉しいこと。
嫌々、ではなく、演奏するのもとても嬉しいこと。
でも、やっぱり上記の理由から抵抗しました。
やりたくない、と。
 
結論から申しますと、今年僕は「ある英雄の記憶」を演奏します。
しつこいようですが決して嫌々ではありません。
「それでもやりたい!」と言ってくれるのは本当に本当にウレシイことなのです。
多少の不利を承知で演奏することにも納得の上で挑戦します。
 
僕はこの曲が好きです。
演奏できるのは幸せです。
僕の消極的な抵抗を押しのけて、この曲を選んでくれたことにも感謝です。
それに「ある英雄の記憶」は人気のわりに、演奏する団体はあまり多くないようです。
そう思うと、なおさら力も入ります。
指揮者としてやることはただ一つ。
この曲に命を吹き込み、素晴らしい演奏をすることです。
リハーサルを重ねるたびこの曲の新たな秘密や魅力を発見します。
作曲者の予想をはるかに超えて、英雄は羽ばたくのです。
 

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2016年7月25日 (月)

新潟

明日1日新潟でフリーになりました(^_^)
何しようかな(^_^)

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2016年7月 1日 (金)

耳をすませば

ゆっくりゆっくり進んでいる。
それでも、まだ見ぬ景色は刻々と姿を現していく。
 
他人と生きるスピードが違っていても、
他人と考えるスピードが違っていても、
耳をすませば聴こえてくる。
だんだんと見えてくる。
 
無理に目を凝らさなくとも、
無理に石塊を砕かなくとも、
そこにある原石は光を失わない。
 
初めて見るはずの今日の夕陽に、心の奥が切なく震え、
まだ見ぬ明日の朝日に、心が揺れる。
 
失うから怖いのではない。
でも、心から溢れる感情のあれやこれやに、日常のあれやこれやはおいていかれる。
そして気がつくと一人で夕陽を眺めている。
 
きっと普通の人は逆なのだろう。
僕の時計はゆっくりとしか時を刻まないから。
 
だから僕は自分の心の声に耳をすませる。

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