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2016年8月

2016年8月24日 (水)

秋はさやかに

藤原敏行は、見目には感じず、風の音で実感した、と言いました。
何とも風流なんだけど、僕の場合秋の実感は、「空」
 
雲も形を変え、空は高さも蒼さも増して、そして陽は優しくなる。
それから風と匂いが来るのです。
 
灼けるような昼の太陽を仄かに残した夏の宵に、やがて晩夏の気配が忍び寄り、逝く夏を惜しむかのようないくつもの宴の後に、
あの、胸が締め付けられるような秋の訪れが。
 
夕暮れは秋の真っただ中にあり、それはそれで美しいんだけれど、
秋の切なさは、一人っきりの昼間にやってくるのです。
 
逆光で光る長い栗色の髪は、夏の名残をとどめ、
しかし、変る装いに、戻ることのない進みゆく季節を感じるのです。
 
学生の頃だったら、学校をさぼって電車で山に行くところ。
何処にでも自由に行ける身になった今では、
身を隠すのが難しい、ですね。

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早朝家を出ると、低く垂れこめた雲
 
今日はこれから北海道。
先日までは沖縄。
色々なところで音楽が出来るのはとっても嬉しい。
 
吹奏楽、管弦楽、合唱、オペラ、ミュージカル、映画音楽、レコーディング、etc...
 
それぞれに魅力があり、それぞれが違う。
…違う?
何が違う?
 
もちろん各々の違いは明白で、各々に必要なスキルやテクニックはあるのだけれど、もっと違うのは、様々な形態の持つ独特の「甘え」
 
リズムやアンサンブルに対してだったり、音楽に対してだったり、クオリティに対してだったり、バランスだったりドライブ感だったりグルーブ感だったり、いろいろいろいろ。
 
若輩ながら思い、改善しようと目論む。
それぞれの甘えの部分、或いはそれぞれのこだわる部分を、また各々にフィードバックすることでもっと音楽は素敵になる、ってこと。
 
まぁ、いつも思ってはいるんだけれど、重い雲の下を歩きながら、つらつら考えたのでした。

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2016年8月 4日 (木)

ダムダム人in宮城

杜の都で午前中が空いた。
久しぶりの友人に連絡もしたかったが、煙たがられると悲しい…
こういうところすごく弱気で消極的な私…
 
午前中をどう過ごすか地図と相談。
どうしても行きたいのは宮城県美術館。
ダムに行けるとしたら、精々一か所…
必要な仕事は前日に飲み会の後こなして、朝一で出かけることといたしましょう。
  
さて、どのダムに行きますか…
こういうのは一期一会。
適当に気持ちよさそうなところを走ってたどり着くところがきっと行くべきところ。
で、着いたのは「釜房ダム」
 
Myphoto14
最近あまり見られない堤頂部を車で走行できる、コンクリート重力式ダム。
ダムカードをもらいに隣接の資料館を訪ね、お姉さんといろいろ話しこみました。
で、
「近くに七ヶ宿ダムと言うダムがあり、おすすめですよ!」
と言うので向かったところ、約1時間の道のり…
急がねば。
 
Myphoto4
「七ヶ宿ダム」
この辺りが街道だった昔の名残。
七つの宿場町を総して呼んだのがこの名称。
ロックフィル(アースフィル)式のダムでコンクリートの洪水吐きのある、まあ複合ダムの一種。
Myphoto11洪水吐き
上部がクレストゲート
その下が通常の水門
Myphoto1
下流側見るとこんなになっていて、
Myphoto9
クレストゲートはこんな感じ
Myphoto5
果てしなく続くダム内の監査廊まで入れてもらっちゃいました。
 
もちろんこちらもダムカードゲット。
その後、「ダムカレー」 (ダムを模したカレー)を食し、もう一つダムを見学した後に美術館へ。
 
半日でこれだけ充実できるとは…
こういうところは無駄にアクティブでポジティブなのです。

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ある英雄の記憶②

毎年、課題曲のアナリーゼ載せてほしい!との声が届きます。
今年は自分の曲もあるワケで、ぜひ書きたいんだけど…
もちろん他の曲も…
時間がないのです…
Pokemon Goも始まったことだし…
 
とりあえず、要望の多かった「ある英雄の記憶」中間部「I」のコード進行です。
Img_0406
よく見ると微妙に間違ってますが…
冒頭NC(コード無し)の部分は本当はG7ですね。
和音の取り方はdim(ディミニッシュコード)ととらえても音楽の意味はつながると思いますし、借用の末の転調ととらえても構わないと思います。
激しい戦いの末に傷つき倒れる少年…
彼の耳に優しい声が響きます。
「…だいじょうぶ。あなたならだいじょうぶ。きっともう一度立ち上がれるわ…」
「その声は、ニーナ(仮名)…?でも、君は、君は…」
「私はずっと一緒にいたのよ。あなたの心の中に、あなたとともに…」
「でも、僕はもうだめなんだ…みんなも僕を必要とはしていない…」
「思い出して、昔の自分を。夢と希望を信じて、一緒に野山を、海辺を走ったあの頃を…」
c mollのV、Gのコードで倒れた少年。
c mollの平行調であるEs durのIIのコードFm7で心配そうに、優しく話しかけるニーナ。
美しい転調を重ねAs durに解決します。
僕が思うに、和音の中の「9の音」と言うのはとってもヒロイックな音。
古今様々な曲、特に英雄の登場する曲では必ずと言ってよいほど「9の音」が活躍します。
試しにファイナルファンタジーのテーマをピアノで弾いてみよう。
ドレミソドレミソドレミソ…そう、このレの音が英雄。
「英雄の記憶」の冒頭、ファンファーレにも表れます。
 
そして4小節目の1stTrp.のFの音。
G♭M7(メジャーセブンス)の7音として登場した「F音」は短い時間にたくさんの和音を旅し、その間常に「F」であり続け、練習番号「A」ではとうとうメロディたちの奏する「F音」、Es dur主和音(E♭9)の「9の音」へと行きつくのです!
このEs dur、すぐに平行調のc mollに移動します。
 
…Es durからc moll…?
そう、中間部ではその逆が起きるのです。
このc moll、かのベートーヴェンも運命と闘った、象徴的な短調。
この調から練習番号「D」ではc mollに戻らずg mollに回り道します。
ベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭のように…
そう、それは避けては通れない大切なものへのアプローチなのです。
先日、東京佼成の指揮者、大井さんが「このすぐにc mollに行かないあたりがとっても友さんらしい」と言っていました。
まったくその通り、さすが大井君。
そこまで読みといてくれた人は初めてです(*^_^*)
 
さて、「I」からの中間部でも「9の音」はたくさん出てきます。
でも、ほとんどの「9音」はフラット(下方変異)、と言うか短調のナインス。
やはり少年は傷つき、悩んでいるのです。
ところどころナチュラルになる「9音」に何を見出せるか…
そしてAs durへと行きついたわけですが、Es dur、As durと来たら、次は?
そう、Des dur。
この曲のラストの音を見てみよう。
 
また脱線しちゃいましたが…
As durになったところで場面は一変します。
この作曲家はどうやらメジャーセブンスが大好きなようです。
解決したAsを保留して、Aのメジャーセブンスの「7音」に仕立てています。
ここはきっと少年とニーナの過去の世界、夢の世界…
しかし現実へと少年は戻ります。
「ニーナ、行くな!行かないでくれ!!」
少年は目を覚まします。
知らぬ間に涙はとめどなく流れ、横たわった草葉を濡らします。
傍らに咲くのは可憐で小さなうす紫の花。
「やっぱり僕は、、、ひとりだ、、、」
いいえ、一人ではありません。
つぎつぎに声が聞こえます。
「一人じゃないよ」
「一人にしないよ」
月が、星が花が、草が、風が、ニーナが…
少年の心の叫びむなしく、現実世界c moll(Es dur)に戻りますが、もう一人ではありません。
そして再び少年は旅立つのでした。

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2016年8月 2日 (火)

国立新美術館とルノワール

国立新美術館はダムである。
種別で言うなら、アーチ式コンクリートダム。
奈川渡ダムや黒部ダムに代表される。
 
この美術館、常設コレクションを持たない。
つまり開館されるときは必ず企画展。
で、今回はルノワール展。
 
僕は作品も美術館も大好きだけれど、美術品自体に詳しいわけではない。
かのルノワールだって何も語れるものは持っていない。
だから今回の様々な作品との出会いは楽しく、新鮮だった。
 
でも…
やっぱりお客さんあっての美術展なのだろうか…
展示されている作品たちは人気のありそうな作品が多かった。
新古典派に傾倒したころの硬く暗めの色彩の絵はなかった。
 
しかし、よくよく考えるに、教科書のように、すべての時代を網羅し、作品を系統だって並べ、、彼の創作のすべてを丸裸にするのが正しい絵画展だ、とばかりは言えないだろう。
企画者の意図や愛情も絵画展の楽しみ、醍醐味、だとも言えるから。
 
と言うわけで、とっても楽しめるルノワール展だった。
 
僕は印象的画風が大好きで、音楽も同じ。
新しい感性とと技術に芸術性を開花させた、様々な可能性の一つである。
ルノワールは後に疑問と独自性への探求から新古典(と呼ばれたくはないだろうが)へと傾向した。
まるでストラヴィンスキーのようでもある。 
 
僕が勝手に、無知を盾に私見を述べるならば…
ルノワールは「光」の作家。
創作の前半では降り注ぐ光を描き、人生の後半では下からの光を描いた。
僕はフェルメールやワイエスも「光を描いた画家」だと思っているが、みんなもちろん違った感性で描いている。
 
肖像画や裸婦画にはあまり現れなかった降り注ぐ光の描写が、いくつかの作品に見ることが出来た。
それもとても興味深かった。
僕はルノワールを印象派の画家だ、とは思っていないが、印象的作風の作品たちはやはり素晴らしく、心をとらえて離さなかった。
もう一つ驚いたのが、有名(らしい)な「ムーラン・ギャレットの舞踏会」はきちんとモデルを雇って描かれた作品だ、と言うこと。
きちんとスケッチと習作と推敲を重ねたうえで作品を仕上げている、と言うこと。
 
全然知識がないから、先入観がないから、さらに楽しめたのかもしれない。

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福島県立美術館とエドワード・ゴーリー

Img_0234_4信夫山の麓にひっそりと佇むレンガ色の建物。
中心に大きなプールと広い緑の芝生、それを見渡すレストランが配置され、右側が図書館、左側が美術館、になっている。
 
モダンで大きな屋根と直線を基軸にデザインされた建物は、特別凝りに凝ったデザインと言うわけではない。
しかし、山の緑・庭の緑、水の青・空の青、プールの白・雲の白、そして建物のレンガ色、見事なコントラストと調和は見事のひとこと!
計算し尽くされている。
まったくもって硬質に感じさせる部分がない、本当に美しい美術館。
 
福島に来た際には、短い時間でも(閉館の日でも!)できるだけ訪ねる。
暑い夏の福島だが、ここだけは涼しい風が吹いている。
 
前回見たフェルメールは少し肩透かしだったが、今回の「エドワード・ゴーリー」展は素晴らしかった。
以前から興味があって絵本もいくつか読んだことがある。
知っている人には分かるが、この人のお話、怖くて暗い!でも、どこかユーモアに溢れている。
精緻な線の美しさとお話のミステリアスさに惹かれて絵本と画集を5冊も購入してしまった。
 
今回は時間がなくて常設展は見られず…
こちらの常設展は本当に好き!!
 
ひとことではとても語れないので次の機会にいたしましょう。
大丈夫。
なんたって年間パスポート持ってますから。

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宮城県美術館と清原啓子

Img_0405_2 旅先で時間を縫うようにして美術館を訪れる。
とても楽しく落ち着く、密やかな時間。
 
仙台で訪れたのは宮城県美術館。
緑の中に佇むモダンな建物。
モダンながらも年輪と重みを感じる雰囲気から結構歴史深い建物かと思いきや1981年の開館だという。
 
丁度企画で「ぐりとぐら」展が開催されていた。
2014年から続いているこの企画展もここ仙台が最後。
僕も見るのは、福島等に続いて3回目。
それにしても、開催される美術館・キュレーターによってずいぶん感じが変わるものだと思う。
子供の頃から慣れ親しんだ「ぐりとぐら」「いやいやえん」など、そして作者の中川李枝子さんと山脇百合子さん。
懐かしくて素敵な絵に感動するのはもちろん、お二人の人柄溢れる絵柄とお話に久しぶりに触れてとても嬉しくなった。
で、思い出すのが「ムーミン」で有名なトーベ・ヤンソン展。
トーベ・ヤンソンの素顔に迫る展示と作品が素晴らしかったのだが、それを彷彿させる、「絵本を超える」、と言うか「絵本の魅力を再認識する」楽しい時間だった。
 
常設展もすごく好き。
特に印象的なのは近代的な作品群。
カンディンスキーのベートーヴェンは久しぶりに見ることが出来た。
そして今回心を奪われたのが、「清原啓子」さんの作品。
31才で夭折した八王子出身の作家。
生い立ちも作品も今まで全然知らなかった(作品はどこかで目にしていたかもしれないが)
どんな生活をして、どんな子供時代を過ごして、どんな恋をして、どんな挫折をして、何を見て、何に悩んで、何を愛したのか、そしてどうやってあの詩的な世界が表出したのか、とっても知りたい。
 
今回は時間がなくてじっくり見られず残念…
次回はもっとゆっくりと廻りたいな。

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