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2016年9月12日 (月)

忘れる、と言うこと

名前を忘れる、言葉を忘れる、物事を忘れる…

大切なことが忘却の海に飲み込まれ沈んでいく。
それは多くの場合、寂しく、悲しい。
でも、そうとばかりも限らない。

例えば、
楽器を演奏していて、自分の技術を高めるためのアドヴァイスや指摘を、いつも心に置いて練習していたのにいつの間にか忘れてしまう…
それはきっと、その技術を手に入れたから、様々な言の葉は溶けて消えて、血となり肉となり骨となって体の一部になったからなのだ。
もちろんそうでない忘れ方もあるのだけれど…

或いは、事細かに思い出せない小学校時代の他愛もない日常の一ページ。
それらだって、きっと今の僕を形作る礎の一つになっているに違いない。
思い出したくない過去の失敗など、自ら封印した記憶もあるのかもしれないが…

3歳以前の記憶は人は思い出せない、と言う。
なにかの理由があってロックされているのだ、と言う人もいる。
3歳以前の記憶には前世の記憶も含まれるからだ、というのだ。
真偽は疑わしいが、愛に包まれていた幼児期の記憶はきっと、心のもっと深いところに眠っていて、いつかその愛情を他人に注げるのだろうとも思う。

人生の黄昏時、人は記憶が曖昧になる。
それは、人生と言う旅の終わりに、もう一度幸せと感動を新鮮に味わうための、神様からの最後のプレゼントだ、と言う人もいる。
これまた眉唾ではあるのだけれど、慰めとしては受け入れられなくもない。

今思い出せないいろいろな人、事柄、景色、色々な想い出の記憶…
或いは、思い出し、反芻することの減ったすべての経験の記憶、記録。
それらはきっと、今の僕を作る大切な素材となっていて、同じ今を生きる心の細胞として同じ時を刻んでいる、と信じたい。

今は会えないあの人も、もうすでに自分の一部なのだと感じたい。

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