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2017年5月

2017年5月31日 (水)

Osaka Shion Wind Orchestra正指揮者

私、西村友は、本年4月よりOsaka Shion Wind Orchestra(旧大阪市音楽団)の正指揮者に就任いたしました。
 
以下はShionの紹介ページの記述
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Shionと見る夢

Shionと初共演してから4年の月日が流れました。それから今日まで、幾度となくステージを重ねました。
そのたびに僕は、このオーケストラの持つ底力と奏者の皆さんの高い技術と音楽性に驚き、助けられました。
しかし、まだまだ僕はこのオーケストラの本当のチカラの、その一角を垣間見たに過ぎません。
それは僕とて同じこと。これからさらにお互いの全力を見せ合い、ぶつけ合わなくてはなりません。
吹奏楽と言う音楽が他の音楽に比べて価値が低いように言われた時代はとうの昔に過ぎ去りました。
しかし、まだまだその魅力と可能性を存分に解き放っているとは言い切れません。少しでも、その深淵に迫りたい。僕はこのオーケストラの力を得て、一人一人の奏者の音楽とともに、もっと深いところまで泳ぎ進んでみたいのです。やりたいこと、やってみたいこと。夢も希望も妄想も広がります。このオケの皆さんとなら、聴き慣れた名曲も、最高峰の頂きに挑むような難曲も、きっと聴く人をとらえて離さない名演にたどり着くことが出来る、そう信じて今日も精一杯、全力でタクトを振ります。
どうか、これから生み出されていく名演に、ご期待ください。よろしくお願いいたします。

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指揮者はみな、今身をおいている環境で最高のパフォーマンスを出すのが仕事です。
整えること、直すこと、鍛えること、育てること、それらも全部仕事の一側面かもしれません。が、もっとも重要なのは「創ること」
Shionではその部分にもっとも力を注げると思うのです。
 
それはもちろん素晴らしいプレイヤーの皆さんとタッグを組んで初めて成し得ること。
 
指揮者はみな、きっと夢見ます。
いつか自分の理想の音楽を完璧に演奏したい、と。
様々な制約のなか、少しでもそこに近づける様に自分を磨きます。
演奏の成功はプレイヤーのお陰、演奏の不出来は指揮者の責任、だと思うから。
 
5年前、絶望の縁のベッドのなかで、3日間眠れなかった僕は朦朧とした意識のなかで音楽を聴きました。
それは、耳から入るものではなく心から溢れるもの。
それは既存の演奏ではなく、ココロの奥底から湧いて出る、僕の理想の音楽でした。
ああ、僕はまだやれる...
そう感じてから、ドもレも、八分音符も四分音符も、僕のなかでもう一度、特別なものになったのです。
だから、大袈裟に言えば、指揮をするのも作曲をするのも生きることと同義なのです。
食べることも眠ることも遊ぶことも喋ることも滑ることも、まあ全部音楽なのですが...
 
兎に角、
夢を見続けます。

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躊躇と杞憂

本当に久しぶりのblogになります。

「このたび、私西村友は、OsakaShionWindOrchestra(旧大阪市音楽団)の正指揮者に就任いたしました」
 
この事をどう報告しようか迷っていたのです。
SNS、ことにFacebookやTwitterで書くのはとっても躊躇われたのです。
広く報告するにはとても便利なツールであるとは思います。
しかし、その恣意性や独善性が時に人を傷つけ、或いは必要以上に自らを安寧に慰撫することで現実からの逃避を生む...
自慢や、欺瞞や、逃避や、依存...
そんな側面がどうしても受け入れられないのです。
 
もちろん、そうでない人もいますし、疎遠だった方との連絡の機会だったり、世界を広げるのに有効に利用できたり、有能な宣伝ツールだったり、すべてを否定しているつもりはありません。
 
時々芸能ニュースなどで、
「Twitterで公式に交際を発表...」とか「Instagramで正式に結婚を報告...」
等と、目にするたびに、違和感を感じつつ「ああ、これも「公式」と称する伝達ツールになりつつあるのかもしれない...」と思ったりもするのです。
 
blogも同様に、一方的に「公式発表」の場になりつつあります。
何をもって「公式」とするのかは意見の別れるところ。
法的な根拠がある話とも違うので。
 
関係各所、お世話になった方々、にはやはり文章にて報告すべきことだとは思います。
しかし、それには「誰がやるのか」というのもあります。
いずれ何かの形できちんとご報告できたら、と思ってはいるのですが...
 
僕の見解として、
「Facebook、Twitter等は能動的に自分の意見を伝える。恣意的な部分、自己満足的な部分も」
それに対して、
「blogは、自信の考えを公表するのは同じだが、受けとる側が能動的にならなければ伝わらない。つまり、見たい人だけが見る。独善的な意見だとしても、受けとる側にその判断は委ねられる」
と考えています。
 
まあ、結局はその人によっての「使い方次第」「捉え方次第」ってことなのですが...
兎に角、僕はそう使います。
ですから、いろいろ考えず、blogでは好きなことを書きます。
 
躊躇も杞憂も今は横において、先に進もうと思います。

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