福島の桜

いつの間にかめっきり春めいて…というか、関東では夏日にまでなっているところもあるようですね。
満開だった桜も緑色が目立つようになってきました。
ピンクと緑の配合を見ていると、無性に「櫻もち」が気になります。
子供の頃はそんなに好きじゃなかったのに…

母の選挙もあり多忙な日々が続いていましたが、やはり一番の危惧は原発。
絶対に許すことはできませんね。

なかなか筆の進まなかった、と言うか作曲に取り掛かるモチベーションが上がらなかった「サックス・デュオの為の協奏曲、完成しました。
3楽章からなり、それぞれ「Player」「Prayer」「Interplayer」という題名。
Player=奏者、戯れ Prayer=祈り、祈る人 Interplayer=交錯、相互作用 といった意味があります。
是非聴いてほしいです。
初演は4月30日横浜の瀬谷公会堂で1:30から。
今や押しも押されぬ、サックス界若手トップ、「田村兄弟」の兄弟初共演です。
ちょっと遠いですが、是非! 

さて、震災後初めて福島を訪れました。
今年初リハーサルとなった福島市の楽団。
震災のため大きく予定が変更になりました。
演奏会場も被災して使えなくなったのですが運良く他の会場が同じ日にとれたんだそうです。
それも実際に使用の許可が正式に下りたのは今日の事だそうです。

練習場所や本番の会場が避難場所になっていたり、被災者救援の拠点になっていたり、と他の楽団が活動延期や休止に追い込まれる中、なんとかコンサートを開催できるのはもはや奇蹟的なことなのかもしれません。

曲目も大きく変更となりました。
僕の曲「Prayer」も演奏して下さいます。
2日間のリハを終え、みんなの音楽への情熱と愛情、そして音楽の力をあらためて思い知りました。
宮川彬良さんに福島にいる旨をメールすると、「目に見えない放射能の目に見えない恐怖と不安に負けるな!目に見えない音楽の力を信じて!」というエールをもらいました。
まったくそのとおりですね。

それにしても、関東にいて感じていたよりも被災地の姿は生々しい、現在進行形のものでした。
市内でもそうなのですから、いわんや海沿いや原発に近い地域の被災と苦悩は並大抵のものではないでしょう。
宮城や岩手、様々な被災地にも行きたい、と思います。
どうかみなさん、負けずに、一緒に頑張りましょう!
参加させて下さるならどこへでも飛んでいきます。

高速道路も新幹線もどうにか福島までは行けるようになりました。
全線が正常に開通するのにはまだまだ日数がかかると思われます。

東北自動車道に入り走り続けると、徐々に道路の痛みが目立ち始めます。
宇都宮を過ぎると、補修されて色が違う部分がどんどん増えていきます。
と同時に、大きく窪んだ所や隆起したところもあって、スピードを出していると激しく車がはねて危険なところもあります。
聞くと震災後にはそれこそもうひどい有様で、補修できるとは思えないほどだったそうです。
この短期間にここまで復旧したのは驚くべきことだとも聞きました。

福島を越えるとさらに道には震災の爪後が色濃く見られます。
一般道でも、通行止めの道路やトンネルや橋などが所々に散見されます。

そして放射能…
僕の宿泊したところは市内の東南より。
山を越えればすぐ川俣や浪江町、まさに原発のすぐ近くです。
そして放射線の量は、市内のほうが原発20km圏内の地域より高い場合もある、と聞きました。
「こんなときに来てくれてありがとうございます」とも言ってくださる方がありました。
なにを仰います、来ますよ、これから先も、いつだって。

みんな外をできるだけで歩かないように、換気扇の使用も控え、子供たちの笑い声は公園から消え、ドライブスルーでも「窓を閉めてお待ちください」と言う…本当にリアルな恐怖を短期滞在者の僕でも垣間見ることができました。
そして、住民はみんな怒っている!
綺麗な土も水も空気も、もう二度と戻ってはこない、と!

福島では、桜がちょうど満開の季節を迎えました。
例年通り美しい桜がそこここで観られます。
桜の花びらが風で舞って見事な花吹雪となって僕を包みました。
見ていた人がぽつりと、
「桜の花びらの放射線量、高いらしいよ…」

・・・
原発被害者の(世界中の人が被害者とも言えますが)怒りと現実を、少しでも伝えたい、と心から思ったのでした。

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祈り

大変なことが起きました。
まったく、なんとも言葉にしようもありません…

みんな不安でいっぱいです。
安否の事、食べ物や飲み物の事、仕事の事、
明日の全ての事…

被災者の方々の不安や恐怖は筆舌に尽くしがたいものでしょう。
お悔やみとお見舞いを申し上げます。

僕の知人や友人、仕事仲間も大勢被災されました。
未だに連絡のつかない方もいらっしゃいます。
無事を、ただ祈るばかりです…

そんな中、先日ある楽団の練習が行われました。
いろいろ考えた末での開催に違いありません。
奏者の一人が、
「私の実家は○○です。まったく両親、肉親、親戚とも連絡が付きません…
どうしよう、私、独りぼっちになっちゃうよ…」
と言って肩を震わせて泣きました。
無理して練習に出る必要はない、家で連絡を取り続けてはどうか?と話したところ、
「いいえ、一人でいても辛いだけです。今は仲間と音楽をすることが私の救いです。どうか一緒にいさせてほしい」
その辛さは量り知れません。

また、被災地域の楽団の方と話ができました。
大人数のオーケストラのほとんどの方が何かしらの被害を被っているんだそうです。
「私の楽器も、みんなの楽器も流されてしまいました。でもね、必ずまたやります。必ず復活します」

音楽家でしかない僕に何かできることはないだろうか。
僕にできること、すべきことは何なのだろう?
音楽をやっていていいのだろうか?
と、悩みます。
今すぐ飛んで行って手伝いたい、とも強く思います。
しかし、彼は言いました。
「今来てもらっても西村さんにやれることは少ないと思います。ただ、少ない食料や飲料水を消費し、少ないトイレを使うことになるでしょう」
その通りだと思います。
でも、どうしたら…
「私たちはどんなに音楽をやりたくても(今は)できない。西村さんはできるのにやらない、と言う。そんなのは同じ音楽家として許せない。精一杯西村さんにできることをやってください。私たちも必ず復活します」

涙が止まりませんでした…
非力な自分を悔しくも思います。
でも、今自分にできることをやる以外にありません。

その日の夜、僕は曲を一曲書きました。
地震の災害や恐怖を描写した曲ではありません。
第三者的に哀悼の意を表した曲でもありません。
僕なりに、願いを、祈りを、想いを込めたつもりです。
一晩で書きあげたオケ曲ですから、推敲を重ねた作品だとは言えません。
でも、その時に僕にできる精一杯はこれだけだったのです。

明日はきっと晴れる。
いつかきっと笑える。
「この出来事を笑って話せるようになる」「忘れ去る」と言う意味では決してありません。
「心の中に忘れられない出来事だと刻みつけつつも、いつかきっと立ち上がるんだ」と言う強い意志と決意、人への励ましと自分への叱咤を込めて、
「笑える明日はきっと来る」
と言う希望と願いの祈りを音符に認(したた)めたのです。

僕も明日が怖い。
でも、絶対負けない。

3月27日には茅ケ崎で、コンサート・ソムリエの朝岡聡さんと茅ケ崎交響楽団の皆さんと共に演奏会があります。
普段よりも一段くだけた演奏会です。
開催についてはやはり賛否入り乱れ、そのうえでの決断なんだと思います。
チャリティコンサートの形をとり、公開リハも行い、収益は被災地への義援金するのだそうです。
そこで僕の書いた曲も演奏します。
曲名は「Prayer」としました。
「祈り(Prayer)」であり、「祈る人(Prayer)」でもあり、「奏する人(Player)」でありたい、という想いからです。

管弦楽版で作曲しましたが、吹奏楽版もピアノ版も作りました。
短く拙い曲ですが、演奏して下さる方はご連絡ください。
楽譜をお送りいたします。

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