日記・コラム・つぶやき

2018年5月14日 (月)

山に焦がれて...

茅ヶ崎交響楽団の定期演奏会が終了した。
オケとしては初めての2回公演だったという。
結論からいうと、とってもよい演奏会だった。

多くの指揮者はいつも考えている。
「オケをそつなくまとめなんとか本番をこなし、個性は無いが嫌われもしない」
...その方が気は楽。次の仕事につながるかもしれない。
でもそれでは進化はない。
「言うことは言う、やることはやる」
今は辛くてもその先にある山の頂を目指して。

成果はまずベートーヴェンに現れた。
なんて意味のある演奏だろう。
他の曲も、全部本気だった。
全力だった。

演奏会の成否は聴衆にもかかってる。
昨日のお客さまは暖かかった。
昨日のお客さまなしで昨日の演奏はなかったのだ。
声出しちゃった小さな子も、きっと意味があったのだと思う(いつも大声出して良いワケではないよ(^_-)

コンサート含め本番と言うものは、山に登るのに似ている。
晴々しい山の嶺きの景色(華やかなステージ)

そこに何があるのか。
心震わすもの。
高い山や有名な山に登れば届くものなのか。
人より速く、高く登れば得られるものなのか。
嶺きに届かぬ登山に意味はないのか。
登れぬ者に価値はないのか。
...もちろんそうではない。

苦労して登る(リハーサル、準備を重ねる)
自分の足で、時間を使って。
歯をくいしばってよじ登り、そこに人の心と愛、自然の美しさと厳しさ、を知る。
喉を潤す水に、力をくれる食べ物に、活力をくれる休息と睡眠に、本当の意味と喜びを思い知る。
それは、自分の力で登ってこそのもの。

まぁ、それはそれとして。

本当の山に登りたい。
青い空、白い雲
木々の緑、湖の碧
大地の茶色に岩肌の灰色
夜の漆黒、星の灯り、雪の虹色、夕焼けの茜色、朝焼けの紫
風に匂いがあること、空気に味があること
必要の意味

スキーでも味わえる。
山ゴルフでも疑似体験できる。

でも、やっぱり、
自分の足で。

そんな夢を見つつ、
今日もリハーサルを重ね、
屋上でコンロで米を煮る。

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2018年1月23日 (火)

新年のご挨拶

Ma cherie, Mon cheri...
大変遅ればせながら…
 
新年あけましておめでとうございます。
 
いろいろ事情が重なりまして、年賀状を今年は出せずにおります…
なかなかお会いできない方との大切な繋がりなのに…と残念な気持ちで一杯です。
今年(来年?)こそはきちんと準備したいです。
 
さて、昨年2017年は激動の一年となりました。
まぁ、毎年激動なワケですが…
 
作曲で賞も頂きました。
オオサカシオンの正指揮者に就任もいたしました。
素晴らしい作品、アーチストとの出会いも数多くありました。
本当に有難いことです。
中でも、17年前、上演が果たせなかった作品が、とうとう素晴らしい作品として幕を開けたのは感慨深いものでした。
懐かしい自分と対峙したような、古い友人と邂逅したような。
同じ時を刻んだ友人と、その気持ちを分かち合ったのも、束の間、夢を見る気持ちでした。
 
実は昨年、自分について小さな発見がいくつかありました。
その驚きは、とても喜ばしく、勇気をたくさんくれるものでした。
自分のことなのに、なんだか可笑しいのですが…
 
今年も沢山の素敵なステージが待っています。
きっと僕は今年も、素敵で楽しく幸せで、ちょっぴり苦い、そんな音楽の時間を過ごすのでしょう。
 
…本当に会いたい。
そういつも思っています。
願い続けていれば夢はいつか叶う。
信じて今年も頑張ります。
 
よろしくお願いいたします(*^_^*)
 

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2017年10月31日 (火)

月が見ている

オオサカシオンウインドオーケストラの定期演奏会が終わりました。
台風の中ご来場くださった皆様、遠路はるばるお越しくださった大勢の皆様、本当にありがとうございました。
本番は、さすがシオンの底力、素晴らしい演奏、そして素晴らしい演奏会でした。
その辺りはまたいずれくわしく話しましょう。

今回は僕の正指揮者就任後、初の定期演奏会。
気合いも入っていましたが、やること、はいつも通り。
もちろん、全力。
しかし、より深く踏み込むほどに、行手は遠くに見えるのです。
苦悩の中、濃厚なリハを終えました。

素晴らしい演奏だったのは本当です。
心から四日間の旅を共にした仲間を誇りに思います。
ありがとうございました。

新幹線を乗り継いで、北へ向かう車中。
ふと気づくと昼間の月。

いつから出てたんだろう…?
…否…ずっとそこにいたんだね。
ずっと見てたんだね。

失敗も成功もあり、手にした喜びも届かぬ夢もありました。
直せるところも見つけます。
より良くなるための道も探します。
でも、後悔も反省もするもんか。
やりたいことはまだ溢れかえっているのだから。

「見ているから」
そう言った祖母の言葉を胸に、
夢はまだ続きます。

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2017年6月15日 (木)

妄想のススメ

電車に乗ると、みんなスマホを見ている。
「イマドキの若いもんは…」
などと言う気はさらさらないが、
それにしても、ほとんどの人が見ている。
 
長いものに巻かれたくない。
生来天邪鬼なのだ。
だからそんな、皆がスマホ画面を見つめている、不思議な空間を冷ややかに眺めたりする。
 
などとエラそうに宣っておきながら、僕もスマホを見る。
メールだったり、ゲームだったり、乗換案内だったり…
 
それぞれ必要な情報だったり、有効なその時間の使い方、であることは疑いの余地がない。
だから、「冷ややかに眺める…」なんてのは恐悦至極、まったくもって、「お前何様?」なのであるわけだが…
 
スマホのなかった時代だって移動時間に、
本を読む。楽譜を読む。漫画を読む。映画を観る。音楽を聴く。
今はそれがスマホを通して行われているだけであって、つまり手段が変わっただけで、昔からあった風景なのではないか?
 
いや、そうとばかりも言えない。
 
情報が多いのだ。
機能も多いのだ。
誘惑も多いのだ。
あれもこれもできるから、あれもこれもしているうちに、あっという間に時が過ぎる。
そして、なんだか、答えが短絡的にそこにある。
手に入ったような、理解したような、気にさせてくれる。
 
最近気が付いた。
スマホを手に入れた僕が、以前と比べてはっきり失ったものがある。
 
それは、考える時間。
あれやこれやと想いを巡らす、妄想の時間。
 
懸案を整理したり、夢や希望を無限に膨らませたり、
想像したり、創造したり、
未来を思い描いたり、過去の想い出の中の景色を反芻したり、今見える景色にキャプションを付けたり、
まだ見ぬ世界に心躍らせ、目をつぶって宇宙や、ミクロの世界とマクロの世界に想いを馳せたり…
 
まったくもって、妄想の世界は広くて、自由だ。
 
そんな時間が、人には本来必要なのではないか?
想像力が心を豊かにするのではないか?
 
などと思いつつ、今日もスマホは必需品なのである。
だからこそ、意識的にスマホをカバンの奥底に沈め、深呼吸をひとつする。
それだけでイマジネーションの扉は開かれ、物語は始まる。
 
お試しあれ。

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2017年6月13日 (火)

無題

ふわりと、雲のような人でした。
 
まだ楽器をはじめて間がないから、と
オーケストラの経験がないから、と
まだまだうまく演奏できないから、と
いつも控えめで、でも一生懸命で、
 
人数が少なくて、いろいろ負担が重かった時、
演奏面でも、不安と重圧で、
辛い時もあったかもしれません。 
でも、いつも楽し気で、あきらめないでくらいついて、
 
本当に本当に、支えだったのです。
僕にとって、僕らにとって。
 
そこにいてくれることが、何より力になった。
そんなあなたに、
何がしてあげられるだろう、どうしたら楽しいだろう、
 
いつも考えていたのです。
 
今僕らがあるのは、
お世辞でも大袈裟でもなく、あなたのおかげです。
あなたに続いた若い人たちが、今演奏をしています。
 
もう一度、きっと一緒に演奏できると信じていました。
微塵の疑いもなく、そう思っていました。
 
あなたが楽しいと思える演奏、練習、本番、
それは僕が忘れてはならない、大切なことだと思っています。
 
あなたの教えを忘れません。
 
雲の上で、ふわりと笑って、見てくれていたらいいな。

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2017年5月31日 (水)

躊躇と杞憂

本当に久しぶりのblogになります。

「このたび、私西村友は、OsakaShionWindOrchestra(旧大阪市音楽団)の正指揮者に就任いたしました」
 
この事をどう報告しようか迷っていたのです。
SNS、ことにFacebookやTwitterで書くのはとっても躊躇われたのです。
広く報告するにはとても便利なツールであるとは思います。
しかし、その恣意性や独善性が時に人を傷つけ、或いは必要以上に自らを安寧に慰撫することで現実からの逃避を生む...
自慢や、欺瞞や、逃避や、依存...
そんな側面がどうしても受け入れられないのです。
 
もちろん、そうでない人もいますし、疎遠だった方との連絡の機会だったり、世界を広げるのに有効に利用できたり、有能な宣伝ツールだったり、すべてを否定しているつもりはありません。
 
時々芸能ニュースなどで、
「Twitterで公式に交際を発表...」とか「Instagramで正式に結婚を報告...」
等と、目にするたびに、違和感を感じつつ「ああ、これも「公式」と称する伝達ツールになりつつあるのかもしれない...」と思ったりもするのです。
 
blogも同様に、一方的に「公式発表」の場になりつつあります。
何をもって「公式」とするのかは意見の別れるところ。
法的な根拠がある話とも違うので。
 
関係各所、お世話になった方々、にはやはり文章にて報告すべきことだとは思います。
しかし、それには「誰がやるのか」というのもあります。
いずれ何かの形できちんとご報告できたら、と思ってはいるのですが...
 
僕の見解として、
「Facebook、Twitter等は能動的に自分の意見を伝える。恣意的な部分、自己満足的な部分も」
それに対して、
「blogは、自信の考えを公表するのは同じだが、受けとる側が能動的にならなければ伝わらない。つまり、見たい人だけが見る。独善的な意見だとしても、受けとる側にその判断は委ねられる」
と考えています。
 
まあ、結局はその人によっての「使い方次第」「捉え方次第」ってことなのですが...
兎に角、僕はそう使います。
ですから、いろいろ考えず、blogでは好きなことを書きます。
 
躊躇も杞憂も今は横において、先に進もうと思います。

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2017年2月16日 (木)

急ではありますが…

大学時代の後輩が指導する高校。
ステージマーチングの全国大会に出場するそうです。
おめでとう!(*^_^*)
 
旭川の永嶺高校。
昨年の夏、少しだけレッスンに行きました。
同じく大学の一学年の上の加養さんに偶然にもファミレスで邂逅したり、レッスン後大災害に巻き込まれ20時間も車の中で過ごしたり…と波乱万丈の一日になりましたが、それはまた別のお話…
 
 
さて、そんな永嶺高校が急遽ミニコンサートを開きます。
場所はなんと地元の「相模大野グリーンホール」
小田急線相模大野駅です。
 
う~ん、もう少し早く言ってもらえればもっと動員に協力できたのに~
というわけで、お時間ある方、ぜひ相模大野グリーンホールへ!
19時開演、1000円です。
 

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2017年2月14日 (火)

今やりたいこと

第3位

自転車で遠くの街を走りたい。

第2位

奥志賀高原ホテルでスキーをしたい。

第1位

ボールルームダンスを踊りたい!

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2017年2月 7日 (火)

奥志賀高原か万座温泉

スキーに行きたい。
雪山に行きたい。
 
雪道を駆け抜ける。
ほとんど横向いて走るぐらいカウンターを充てる。
スタッドレスは雪を噛み、4WDはトラクションをダイレクトに路面に伝える。
興奮で手先が震える。
つま先はブレーキに、かかとはアクセルに。
 
雪の白と空の蒼との、涙が出そうになるくらいの美しいコントラスト。
風切る音と雪の削れる音。
急斜面も、コブも、新雪も、緩斜面だって愛おしい。
 
ゲレンデのシュプール。
リフトの軋みと油のにおい。
加重と抜重。
エッジを抜いて滑らかにデラパージュ。
そこからゆっくりとフォールラインに向かえば、一気に景色が流れ出す。
 
音の消える夜の雪山。
凍って透き通る星空。
零下の露天風呂とダイヤモンドダスト。
 
飽きることなく眺める、揺れる暖炉の焔。
ホットココアとウイスキー。
小説のように楽しく読めるスコア。
ページを繰るとあふれ出る音と風景。
 
あの映画を40回も見たのは、もう30年近くも昔のこと。
セリカGT-fourは、今でも最も愛する車。
同じ車種を2台乗り継ぎ、2台とも40万キロ越え。
 
ああ…
もうだめだ…
今すぐ行きたい…
 
 

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2017年1月23日 (月)

欠片

欠片を探している。

 
いくつになっても、
自分を取り巻く環境や、外見や持ち物が変わったとしても、
子供の頃から何一つ変わっちゃいない。
 
あの日見た夕陽も、はにかんだ笑顔も、心をえぐられるような別れの言葉も、遠くから見つめた憧れも、届くことのない想いも、一人の寂しさと大勢の中の孤独も、繋いだ手の温もりも、涙溢れた優しさも、泣きながら歩いた廊下も、みんなが去った教室も、桜吹雪の朧な人影も、音の消えた雪の朝も、二人で抜け出した夏の夜明け前も、去り行く夏の夜と初秋の風の匂いも、
 
無謀でも、見果てぬ夢でも、
いつも求めて、焦がれて、
失っても、逃しても、見失っても、
忘れることなんかできやしない。
 
大人になったら、何歳になったら、
そんな想いや記憶に、
惑わず、緩し、認め、赦し溶けて行けるようになるのだろう?
 
すべてのことは積み重なっていく。
切ない想いは、ただ増え続けていく。
 
人は一生をかけても埋まることのないパズルのピース(欠片)を探しているのだろうか…?
 
例え100の失敗を重ねて、1の成功に結び付いても、
物語は完結にも大団円にもなりはしない。
 
求めている。
欲している。
あきらめずに、あきらめられずに、
切なくて悲しくて、青く幼くて、とっても面倒くさいココロを抱えて、
自分の中の自分を埋める、
欠片を探し続けている。

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