雷神の少し響みて…
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つくづく1924年に興味がある
いや、縁があるのか...
3月21日に演奏される、吹奏楽版・ミュージカル「銀河鉄道の夜」
この銀河鉄道の夜、初期版は1924年に書かれている。
以前にも触れたように、僕は1924年に強く惹かれる。
この年近辺にかかれた曲をざっと見渡してみただけでも、
イギリスでは、ウォルトンが「ファサード」(1923)を、V・ウィリアムスは「イギリス民謡組曲」(1923)「海の歌」(1923)「トッカータマルツィアーレ」(1924)を書き、
フランスでは、オネゲルが「交響的断章 パシフィック231」(1923作曲1924初演)を、サティはバレエ音楽「メルキュール」(1924)「ル・ラーシュ」(1924)を、プーランクはバレエ音楽「牝鹿」(1923作曲1924初演)を、ラヴェルは「ボレロ」(1928)「ツィガーヌ」(1924)、イベールが「寄港地」(1924初演)を書き、
かたやアメリカでは、ガーシュウィンが「ラプソディ・イン・ブルー」(1924)「パリのアメリカ人」(1928)、グロフェはミシシッピ組曲(1926)、コープランドは「劇場のための音楽」(1925)を書き、
はたまたイタリアでは、レスピーギがローマの松(1924)を書き、
あろうことかドイツでは、R・シュトラウスの「ウィーンフィルのためのファンファーレ」(1924)「ウィーン市役所のファンファーレ」(1924)、クルトヴァイルの「三文オペラ」(1928)、ベルクの歌劇「ヴォツェック」、ヒンデミットのオーケストラのためのコンチェルト(1925)が書かれ、
ロシアに目を向ければ、ストラヴィンスキーはピアノ協奏曲(1924)を、プロコフィエフは交響曲第2番(1924)を書き、
コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」(1925)、シベリウスの交響曲第6番(1923)交響曲第7番(1924)交響詩「タピオラ」(1925)、バルトークの「舞踏組曲」(1923作曲1924初演)、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」(1926)、等々...
ことほど左様に、枚挙に暇がないわけである。
閑話休題
夢枕獏の「神々の山嶺(いただき)」という作品がある。
山を舞台に描かれる人間模様。
しかしなんといっても山の描写がすさまじいのだ。
それをかの谷口ジローが劇画家したものもある。
これがまた素晴らしい!面白い!絶対おすすめの作品なのである。
それがなんと実写映画化された。
そして今日が公開初日。
リハーサルが予定よりもかなり早く終わったので、意を決して見に行った。
物語の重要なキーになっているのが、「古いカメラ」
このカメラ、1953年にエヴェレスト(=チョモランマ=サガルマータ)の初登頂を果たしたとされるヒラリーよりはるか以前に、マロリーとアーヴィンによる初登頂を証明する証拠になるかもしれない、のだ。
そして、マロリーがエヴェレストで消息をたったのもまた、1924年なのである。
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大好きな、トランペットの大先生がいた。
音色も、音楽性も、人間性も、稀代の銘プレイヤーだ。
若いプレイヤーと話していたら、その名前は知らない、と言う。
時の流れは恐ろしい。
人間が生きた証や、成しえた功績はどこへ消えるのだろう。
「ブルー・ホライズン」と言う曲には「ピーター・グライムズ」と言うB・ブリテンのオペラの曲とそっくりな部分がある。
数小節やフレーズの一部が似ている、と言うのではない。
ほぼ完全な一致。
「ブルー…」しか知らない人に「ピーター…」を聴かせたら、「随分ブルー・ホライズンに似ていますね。パクリ…?」と言う。
いや、先に書かれたのは「ピーター…」
借用や、リスペクトから来る習作もある。
曲中のメソッドや音階、リズムフレーズや定番となりつつあるコード進行もある。
同じような理想の表現を追い求めたら、同じ方法論にたどり着いた、ような例もある。
また、偶然、非常に近いメロディになったるすることもある。
メシアンの考案した音階だって、別の見方をすれば名前が変わる。
あるメロディからバリエーションをしていたら同じメロディにたどり着いた、ような例もある。
これらを剽窃、と言うのはちょっと違う。
また、
変拍子(もちろん場合によるが)は言葉のニュアンスだと思えば、むしろ非常に自然な音楽の流れである、と常日頃思っているが、先日鬼の首を取ったように「知っていますか?変拍子はね…(以下同文)」と僕に言ってきた人がいる。
「ある人から聞いて僕は目からうろこでした!その人すごいでしょう?」と。
いや、世の音楽家はみんな考えていることの一つ。
或いは、自分のために見つけたアイディアの一つ。
そういうのが経験と共にたくさん増えていくわけで。
上記の例は似ているようでかなり違う。
前者の例は無知蒙昧の所業、後者は誰もが通る経験と習得の旅の途中の話。
モノの見方によってココロは変わる。
自分の幸せは、自分で決める。
けれど、知らないのはやはり罪だ。
ユーミンの中にだって誰かの、マイケルジャクソンの中にだって某の、先達の影響を見て取れる。
どちらに先に親しんだか、どちらを先に知ったかで印象が変わるのは仕方ないが、知らなければそれをオリジナルだと信じてしまう。
前出の「ブルー…」だって素晴らしい大好きな曲だし、作曲者も紛れもなく天才の一人だと思う。
けれど、「アルプス交響曲」なくして「アルプスの詩」は生まれただろうか。
「教会のステンドグラス」無くして「ビザンチンのモザイク画」は生まれただろうか。
交響詩「海」なくして「波の見える風景」は生まれただろうか。
オリジナルなくして生まれたものではない。
そしてそのオリジナルの中にも先達の礎はあったり、なかったり…
まあ、作曲や絵画や、作品が形として残る分野にはそういった面は残るが、様々な教えの場や演奏の現場では、「誰が言ったか、作ったか」は問題ではなく、その中身だけが残る。
素晴らしい教えならば、その実績はそのアイディア(人ではなく)の功績として残る。
大切なものは目に見えなくて、やがて透明になる。
痛みもやがて消えて、傷の現実は過去のものとなり、傷痕だけに痕跡をとどめる。
例えば、演奏面で壁にぶち当たったプレイヤーがある教えのアイディアでそれを乗り越えたとき、その教えは透明になって消える。
素晴らしい演奏を手に入れた、そのプレイヤーの中に生き、もしかしたら、また後世に語り続けていくことになる。
或いは、一度その教えがどこかで途絶えても、やがて誰かが再び気づくだろう。
だから恐れず進めばいい。
無知を恐れず、恥をかきながら学べばいい。
知らないことが罪、なのではない。
知ろうとしないことが罪なのだ。
もっと知りたい。
知らなければいけない。
音楽のことも、
間違った指導者が動かす、この国の現実と真実も。
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スタジオ・ジブリの新作アニメが公開されるらしい。
監督脚本は宮崎駿さん。
「風立ちぬ」
松田聖子の曲が浮かんじゃうのは世代。
そしてもう一つ忘れられない「風立ちぬ」
山口百恵主演の映画。
儚い恋の物語が昔流行った、その頃の王道映画。
でも、もっと記憶にあるのはその「風立ちぬ」の最初の映画。
たぶん50年以上前の映画だと思いますが、本当に美しく、儚かった。
所有もしていないし何の情報もないのですが、テレビで見て号泣したのを覚えています。
あの世界観を活かして作られるのでしょうか。
楽しみです。
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今年から来年にかけてバレエやミュージカルやオペラ、舞台音楽を手掛ける機会が多そうです。
その中の一つの打合せ…と理由をつけて演出&脚本のNさんと万座温泉に行ってきました。
ここは僕の、いわばホームゲレンデ。
その昔「私をスキーに連れてって」が流行った頃にはゲレンデミシュランで1位に輝くほどの人気ゲレンデ。
アルバイトをしていた事もあります。
2000メートル級の標高で、最高の雪質と最高の温泉!
あわよくば打合せの合間にひと滑り…なんて考えていたのですが…
いつもならば長々と続く雪道は全くのドライ。
そして、雨!
と言うわけでスキーは断念して真面目に打ち合わせを…
しかし時間はたっぷり。
絶景の露天風呂に浸かって、美味しい料理とお酒。
それでも時間がある贅沢な一日。
様々な舞台・音楽談義と、資料と称して映画を観まくりました。
以下ネタバレご注意。
「ミュージカル銀河鉄道の夜」
まったく自画自賛ですが、久しぶりに聴くと、いい曲なんです!
恥ずかしながら感動してしまいました。
作曲家として観ることはできないものですね。
指揮者として観てしまいます。
「ただ君だけをAlways」
ハン・ヒョジュ主演の韓国映画。
ヒョジュはどこまでも明るく可愛い。
あんな風に屈託のない笑顔を持ち続けたいものです。
僕が思うには…男性主人公はどこまでも心の孤独な青年で、そんな自分の弱さを知るから、自分を責め続けている。
暴力や短絡から逃れきれずにいる自分を。
だから一度身を引いた後に偶然再会した彼女の前から、完全に姿を消すことができなかった。
二人の迎えるラストシーンはだからこそ人間味に溢れていて、一見ご都合主義のハッピーエンドに見えても、その実、弱さと向き合う青年とそれを許す彼女がストレートに描かれているのだと思うのです。
僕は、好き。
「ニューシネマパラダイス」
言わずと知れた名作。
僕もNさんも最も好きな映画の一つ。
思い入れ強く観てしまうのは、もう必然。
もちろん音楽も素晴らしいのだけれど、映像もストーリーもほんとに見事。
ただ、「兵士と王女の例え話」とラストの解釈については考えが異なりました。
兵士の純愛に心打たれた王女は「100日の間窓の下で待っていてくれたならば私はあなたのものになりましょう」と兵士に話します。
99日の間雨の日も日照りの日も耐え続けた兵士は、100日目の朝を待たずに最後の夜に立ち去ります。
彼はなぜ立ち去ったのか…
王女が与えたもうた試練を乗り越えた先で彼に見えたのは、真実が手に入るのをおそれたのか、王女の心に潜む変わらない格差の心に愛想を尽かしたのか、成し遂げたことへの充足感なのか、難題をこなしたのにいなされることへの恐怖だったのか、手に入るものは自分の許容を超えると逃げ出したのか。
答えはどうあれ僕は、彼は目を伏せて、しかし真っ直ぐに立ち去ったと思うのです。
もう一つ、ラストで、アルフレードの葬式で故郷にいるトト(サルヴァトーレ)にかかってくる電話の主とエレナとの結末。
エレナの想い出から逃げるように故郷を捨てたトトは、成功はするけれど結局エレナの影を引きずり続けている。
女性とも本気で愛し合うことが出来ずに。
僕が思うに…エレナとの邂逅は長かった疑問と誤解の日に答えをもたらし、止まっていた時計の針をもう一度動かす事になったのだ、と。
だから二人には幸せな未来を期待しちゃうのですが、やはり終止符を打つしか道は残されていないように描かれているようにも見えます。
しかし、トトの時間は動き出し、本当の意味で先に進むことができるのだ、と思うのです。
また、一見希薄な関係の数多の女性の中の一人だと思われたトトの家のベッドの女性は、実はトトをきちんと愛している女性で、それ故のしつこい電話であり、母の言う「声から愛が感じられない女性」では今後なくなるのではないか、と思うのです。
そしてトトはその女性を愛することができるようになるのだ、と。
でも、本当は、アルフレードからの贈り物を観ているトトのところに、エレナが現れる、という妄想を捨てきれないのですが…
他にも帰宅後に「ブレードランナー」「ヒラリー&ジャッキー」「シャイン」「シカゴ」など観まくってしまいました。
ああ、やらなきゃいけないことがたまっているのはわかっているのです…
お待たせしている各方面の皆様、ごめんなさい…
この日だけです、から…
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「友さんテレビ出てた~?」
という問い合わせを最近よくもらうのですが…それはテレ朝のドラマ「砂の器」です。
本当は今年の3月に2夜連続で放映予定だったのですが、ちょうど震災とぶつかってしまったのです。
「砂の器」は、松元清張原作の名作で今までにも幾度となく映画やドラマになっています。
今回は、去年の暮れから今年の2月ぐらいまでかけて撮影したものです。
佐々木蔵之介君や玉木宏君、加藤愛さんや中谷美紀さんといった実力派がそろって、見ごたえのある本格派ドラマになりました。
音楽は沢田完君。
僕は指揮の指導をするだけだったのですが、結局オケを振ったりしゃべったり、いろいろやりました。
京都や長野・松本、東京、といろいろ出向きましたが、最後は神戸のオリエンタル・ホール。
ドラマにも出ていたオケは、神戸のアマチュアオーケストラです。
本編では音楽は吹きかえだったのですが、実際の音がとっても素晴らしかったのを覚えています。
リハの時に僕がいきなり、「それではブラームスの1番、1楽章、あたまから!」といって振りだしたら(もちろん冗談ですよ!)、結構大勢が弾きだしたのでびっくり!
ああ、このオケのみんなは本当に音楽が好きで集まってる、「愛すべき音楽馬鹿(失礼!)」ばかりなんだなぁ、と感じました。
まだ共演は果たされていませんが、いつか必ず!
ドラマはようやく先週放映されたようですが、見損ねました…
番宣やニュース等でメイキングの映像が流れ、そこで登場していたようですね。
でもね、あの頃はちょっと太っていたんですよ…
今は見違えるくらい、いや、少しだけ、痩せてると、思うんだけど…
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昨年末からひょんなことで一つテレビドラマに関わっています。
テレビ朝日の「砂の器」
松元清張原作の名作ミステリー(?)です。
いままでにも幾度となくドラマや映画化されています。
幼い頃心に傷を負った少年が、不屈の精神で成功をつかみ、しかしその砂でできた成功の城が綻び崩れていく様を描いたヒューマン・ドラマです。
今回の主人公は玉木宏さん。
相対するもうひとりの主人公は佐々木蔵之介さん。
蔵之介さんは作曲家でピアニストで、そして指揮者でもあります。
で僕は、指揮を教えたり、オケや衣装等のアドバイスなんぞをさせていただいているワケです。
「のだめ…」の玉木君の前で指揮するのもやりにくい(そんなこともないか…)でしょうが、それ以上に今回は曲が難しいのです…
テレビで活躍している方と仕事を共にすることはままありますが、毎回思うのは、「やはりみんなセンスが良い」ということ。
蔵之介さんも御多聞にもれず、というか、かなりセンスが良いんです。
特に“間の感じ方”と“心情の表現”はさすが。
やはり、音楽と芝居は通ずるものがあります。
しかし、今回の曲はかなりの現代曲。
変拍子でもあり、振るのはなかなか大変。
ましてや指揮を振るのなんて全くの初めてですから(たいていの人はそうでしょうが…)
指揮シーンの撮影は本物のオケをそろえて今週末神戸でスタート。
僕ももちろん行きますが、心配だ…替ってあげたい…
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観ました。
こんなに観客が少なくって果たして儲けは出ているんだろうか…?
といつも心配になる大型スーパーの中の映画館。
3Dも完備だし上映劇場は9部屋もあるし、その上いつ行ってもすいてるわけだから文句はないんだけど。
平日の昼間にいったい誰が観に来ると言うのだ?
でもまぁ、決して満席になるはずはないんだけれどお客さんはそこそこ入っていました。
それも、40歳前後の男性一人客、が圧倒的に多いようで…(まあ自分もその一人なのですが)
内容は、というと・・・
ネタばれになっちゃうのでここでは語れません…
とはいえ、ごめんなさい!
しゃべらずにはおれないので映画を観たい方はこの先読まないで!
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原作では島大介と古代進の関係や背景が簡潔に語られるところなんだけれど、そのあたりは無し。
まあ、はっきり言ってしまえばとっても説明的。
原作の「友情」や「仲間意識」の描写は薄いのです。
地球のおかれている状態や雰囲気、希望の光を手に入れる経緯、なぜ「ヤマト」なのか?、そのあたりも深く掘り下げないので、原作を知っている人にとっても情報のみの印象が強く、あれよあれよという間にヤマトはあっさりと飛び立ってしまいます。
う~ん、島と古代が赤錆びの塊のヤマトを見上げるシーンとか二人の性格の違いを印象付けるエピソードとかあればいいのに…
それにヤマト建造がいかに度肝を抜くアイディアで、密かに進められた地球規模の大プロジェクトか、という扱いではないので、「超ド級宇宙戦艦」の重みが無いんだよなぁ…
とは言うもののヤマトの発進シーンは感涙モノ。
あの5倍ぐらいの尺でじっくり、もっと見たい!
これで音楽がアレだったら完璧なのに!
黒木メイサの森雪はちょっとなぁ…と思っていたけれど、森雪が「こんなタイプ」ならばむしろ適役かも。
他のキャストの演技もこのストーリーにあっていてとっても良かった。
それにしてもこの監督、ヤマト世代なのは間違いない。
原作の有名シーンや名セリフはいくつか出てきます。
そしてその描き方がすごくマニアック。
でも、ヤマトファンなら絶対外せないシーンが…あれもこれも、無い…
原作とは違う作品なのだからそれはそれでいいのかもしれません。
が、あのシーンや、あのシーンや、あのシーンや…を実写で観てみたかったなぁ…
原作にこだわるわけではないのです。
この映画版のストーリーでも魅力はあると思うのです。
でも、もっと上手に各キャラクターを浮き彫りにしたり、人間ドラマをもっと見せたり、見せ場のエピソードを作り込んだりすればいいのに…
このストーリーならではのキャラクターの面白さはあるのに全て淡々と説明されていくのです。
テレビ版のものを圧縮して2時間ほどにまとめたアニメがあるけれど、それに近い印象。
人の悩みも、愛情も、友情も、危険も、勝利も、別れも、「在る。けれど薄い」
計算されつくした演出、とは言い難い。
もともと原作も荒唐無稽、破天荒なお話。
でもだからこそ生まれる疑問への答えがストーリーの必然性を高めているのに。
原作にある命の選択は決してただの自己犠牲の美化ではなかったから。
一つだけ気になったのは、戦闘の美化。
自己犠牲や苦渋の選択による犠牲に付きまとうのは本来もっと「エゴ」なのであって、原作ではそこにも慎重に触れています。
原作で、ガミラス星での最後の戦いの後に甲板で、戦いのむなしさに泣き崩れる森雪と銃を叩きつけ破壊する古代進からはくっきりと「反戦」のメッセージを読み取れるのです。
「それぞれがそれぞれの理由(正義)で戦って、殺し、死んだ。でも、必要なのは理解しあい、愛し合う事だったのだ」
これが原作の最大のテーマだったのに…
別の監督で別の脚本で撮り直してほしいなぁ…
ストーリーとキャストはこのままでもいいから。
できれば音楽は宮川泰さんの原曲と彬良さんの曲を使って。
原作を知らない人にはどう見れたんだろう?この映画。
ただの特撮戦争映画になっちゃったようで、ちょっと悲しい…
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いよいよ映画公開。
それも実写版。
まさに「ヤマト世代」ジャストミートの自分としては、
「えぇ~!?実写ぁ~?絶対期待外れに違いない…」
と言うのが正直な印象。
同じ世代のみんなも大体同じ感想だろうなぁ、と思っていたらそうでもないみたい。
実は僕自身も内心結構ワクワクしちゃってる。
「期待外れかもしれない…」っていう心の準備だけはしておくけれど。
でもなぁ、オープニングの映像を見たら声出ちゃうし、涙出ちゃうし。
どうしたって盛り上がっちゃうなぁ…
古代守が木村拓哉。
これは僕は納得。いいと思うなぁ。
真田を柳葉敏郎。
ここもバッチリハマってる感じ。
沖田艦長は山崎努さん。
期待大!
徳川機関長は西田敏行。
間違いない!でも佐渡先生のほうがあってる気も…
あえて反論も覚悟で暴言を吐くと…
黒木メイサの森雪は嫌だ~!
で、ブラックタイガー加藤を池内博之にやってほしいなぁ…
あと、島大介の緒方直人…
緒方さんは宇宙戦艦ヤマトあんまり興味無いらしいし。
佐渡先生が高島礼子…
まあ、映画らしいデフォルメなんでしょう。
相原も女性になってるし。
なんだかんだ言って、ちょっと楽しみなのです…
で、盛り上がってこれ買っちゃいました。
58000円也…
ところが初回予約に間に合わず断念。
次回は来年3月らしいけれど、多分その頃には熱も治まってるでしょう。
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